子育てに関するよい言葉を見つけた

現代の高度産業化社会によって、日本の家族の多くは「核家族」となり、大きく変わってきた。

核家族によって、子育て機能が完全に集中化してしまったのである。

以前も人間が子育てをする上で、共同で子育てをすることが自然な姿であるという投稿をした。

本日読んだ文献には、次のようなことが書いてある。

〇子育てを核家族だけで育てていたなんて時代はなかった。

〇ずっと以前から、地球上を見わたして、ない。

〇おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人、さらにおじさん、おばさんも加わわっているというのが当たり前のことだった。


以前、私が結婚して間もないころのことだ。もう13年くらい前になる。妻と新婚生活ということで、アパートを借り、そこで生まれたての長女と一緒に暮らすことになった。

私が仕事をなるべく早く終わらせ、急いで帰ると、家は大変なことになっていた。

「何でこんなに遅いんだ!!」「今日は大変だったんだ!!」と言って私に、わめきちらしていた。


私の仕事道具を投げてくるなど、その当時の私は全く意味が分からず、困惑するばかりだった。大変だとは思うが、ここまでしなくともよいのではないかという気持ちがどこかにあった。


結局、二人で住むのは無理だという結論になり、妻の実家に住むことになった。


今思えば、妻は、一人で一日中小さな子供を育児するという大きな不安を抱えていたのだろう。核家族は、子育てという側面から考えるとき、非常に脆い状況であることは間違いない。

以下の文は引用である。この日本社会の家族の在り方をもう一度見直す必要があることを示唆してくれる。


 夫、妻がつねに互いを愛し合い、労わり合って、互いにパートナーの役割洞察をする、つまり妻が母であるということを夫がサポートしてあげる。また夫が良い父になろうとしている、その夫を妻がサポートしてあげようとすることですよね。そうしますと、子どもは子どもになれるんですよ。


最後の、「子どもは子どもになれるんですよ。」という言葉は深い。この状況をいかにつくるかが、日本の未来を決定するといっても過言ではないと思う。


夫と妻がこのような関係になるためには、本人同士の関係性ももちろんある。しかしながら、このような関係の前提となる家族の在り方、つまり、女性が気楽に、人を頼りながら共同で子育てができるという環境をつくることで、夫、妻がそもそも互いを愛し合い、労わり合い続ける関係が築くことができるのではないだろうか。

文献

野々村久也(2003)『家族の「遊び力」-変わりゆく家族と子育てのはなし―』ミネルヴァ書房,pp.24-28




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