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【映画】”ゴジ泣き”できると聞いて『ゴジラ−1.0』を観に行ったが…?

自分はとても人に影響されやすい

〇〇が良かったよ!」という意見が多ければ、とりあえず試してみるかと動くことが往々にしてある。

なので観に行った。

『ゴジラ−1.0』を。


自分はよくYoutubeの映画レビューを見るのだが、ゴジラ−1.0はレビュアーたちの評判がかなり良い。

ゴジ泣きした!!」なんて言葉が飛び出すくらい感動する作品だそうだ。

「ゴジ泣き」検索結果


あまりに多くのレビュアーがそんな大絶賛レビューを出しているので、これは名作の可能性がかなり高いとみた。

Youtubeのコメント欄を見ても、「絶賛」と「泣いた」で溢れている。


最近の自分は涙腺が弱まりすぎてちょっとした感動シーンで泣きまくりなので、「こりゃもうゴジ泣き確定だわ!」とワクワクで映画館に向かった。


「よーし、今日は”ゴジ泣き”しちゃうぞ!!」


〜映画鑑賞中〜


・・・


さて、『ゴジラ−1.0』を見終わったわけだが……


……うん。


自分は世間の人とは違う感性のようだ。



いや、もちろん人によって作品の受け取り方は違う。

自分が涙腺崩壊した作品の数々だって、他の人に見せたらそうでもない場合だってあることだろう。

このゴジラ−1.0だって合う人には合うし、
だからこそレビュアーたちも絶賛していたし、ゴジ泣きが話題なのだ。


しかしどうにも自分には合わなかったんだよね……。


いや繰り返しになるが、世の中こういうもんだから!

自分が日本一の教師なんじゃないかと思っていた先生が、他のクラスメイトにとっては侮蔑の対象だったように、

どんな素晴らしいと自分が思うものだって他人からしたらそうでもないなんてことはよくあることだ。


なのでこれはあくまで個人の感想だし、※気持ちのことだから!!

なんだそれは


ということで最大級に予防線を張り終わったところで、これ以降はネタバレもしていく。

なので映画を楽しみにしている人はここから先は見るのをやめよう!


あとゴジラ−1.0が面白かったという多くの人たちも、気分が悪くなるだろうし時間の無駄になってしまうので見ない方がいいだろう。

自分が良いと思った作品の悪評はあまり見るべきではない。

美しい思い出を大切にしよう。


……では、ネタバレ感想開始!!




【説明しすぎる】

この映画の登場人物はとにかく説明をする

良く言えば大衆向け映画としての配慮、悪く言えば現実感のないセリフ

そんな感じのセリフのオンパレードな映画だ。


こういう説明しまくりな脚本は最近の邦画ではよくあることだとレビュアーが言っていたので、そういうものなのだろう。

でも自分はそれがあまり好みではないので、ちょっときつい。


例えば”戦争に行っていない若者”のセリフはこうだ↓

まあ俺戦争行ってないっすけど〜!

俺だって戦争行ってたらな〜!

俺が戦争に行ってないからそんな事言うんすか!!

こんなふうに、何回擦るんだその要素というくらいにその人物の立ち位置をセリフで何度も説明してくる。

この映画は『戦争に行った・行ってない』ということに関するセリフが嫌気が差すほど頻出する。

きっと監督的にはとても伝えたいことなのだろうが……頻度がね。


機雷で時間稼ぎをするシーンも、凄まじい説明シーンでびっくりした。

そしてなんというか、「それ現地に到着してからする話か?」と思ってしまうような会話が行われるのだ。

良く言えば「何をしようとしているのか」「どんな状況なのか」を終始全力で説明してくれるので見る側としては最高に楽ではあるのだが、さすがになんだこれという感じになったのが個人的な感想である。


このように本作は説明をしない思わせぶりなシーンは基本的にないというわかりやすいものとなっている。

大衆向け」「子供でも見れる」という意味では大正解だと思うし、そうしなければならないのだろう。

しかし残念ながら自分には合わない。


【説明してない】

あれだけ説明的なセリフばかりだったのに、説明が足りない部分も普通にある。

例えばゴジラが銀座を壊滅させたあと、ゴジラを民間でどうにかしようという流れになるのだが、そもそもゴジラが散々暴れ回ったあとにどんな行動を取ったのかは全然触れられないし、描写もない。

シン・ゴジラでは最初の襲撃後に海に帰っていく描写があったので、今作も同じように海に帰ったんだろうということは予想がつくのだが、なぜ今作はその海へ戻るゴジラの描写を見せないのだろうか?

今作では基本的に主人公がゴジラの襲撃を受けたあとはシーンが切り替わる

まるでゴジラがその後どうしたのかを必死に見せないようにしている感じがすごいのだ。(見せてたらごめん)

自分の記憶では、

最初の島の襲撃では主人公は気絶し、気づけばゴジラは消えている。
次の機雷&高雄でも主人公は気絶し、気づけばゴジラは消えている。
銀座のシーンでは主人公が叫んだあと、ゴジラはどこかへ消えたらしい。


……なんだか今思えば、VFXシーンの節約なんじゃないかと思えてきた。

ゴジラが動く度に工数が増えるわけだし。

今作で背びれだけのゴジラが多いのって、そういうことなのだろうか。

違うか。

いや、あり得るか……?


【恋愛あれこれ】

この作品は恋愛要素があるようで無い。

主人公は子連れのヒロインと出会い、生活を共にしていくのだが、数年経っても結婚もしないし、肉体関係の描写もない。

ある意味でインド映画より恋愛描写に厳しい映画だなと思った。

個人的には映画のラブシーンは必要ないと思っている人間だし、大衆向けで子供も見れるゴジラを目指しているならこれで正解だと思う。

でも出会ったときには「〇〇〇〇にでもなれって!?」みたいなエグいセリフをわざわざ言っちゃうので、子供に配慮してるんだかしてないんだかよくわからないところもある。


もちろん主人公は色々あって病んでるので恋愛どころじゃないのかもしれないが、数年したら普通に仲良く生活してる描写もあったし……うーん。

要するに自分としては人間ドラマを描くために用意された都合の良い家族という感覚が強かったのだ。

だからこの家族ではゴジ泣きすることが出来なかったのだろう。


……まあ個人の感想なのであしからず。


【都合の良い展開】

今回のゴジラは陸よりも海のシーンが印象に残っている。

今作のゴジラはとにかく泳ぐのだ。

何百キロも泳ぎまくるし、立ち泳ぎもするしで、もはや水生生物である。
(いやゴジラは海で生まれたしそもそも水生生物か…?)

しかし主人公たちの木造船が高雄到着までの時間稼ぎに使われるシーンでは、そんな水泳が得意なゴジラが手加減してる感がすごい

めちゃくちゃ運動性能が低そうな木造船のゆったりした速度にゴジラが全然追いつけないのだ。

しかも機雷を一度食らってゴジラが怒ったあとですら、スピードアップもせずに2個目の機雷を素直にパクっとして、依然として木造船には追いつかない程度の速度で泳ぐ。(なんで?)


その後は2個目の機雷がゴジラの口の中で爆発して大ダメージを与え、重巡洋艦・高雄が登場して主砲のすごい砲撃をするシーンになる。

ゴジラは口の中が大ダメージで外側は超硬いというものらしいのだが、そんなあまり効かない場所への攻撃をした高雄に対しては、先程と打って変わって鬼のような反撃を始めるゴジラ

なんだか殺陣のようなご都合主義をちょっと感じてしまった。


そしてそもそも彼らが戦う前のシーンもよく考えたらおかしいのだ。

小さな木造船で何やら辺鄙な場所に配置させられた主人公たちは、そこで何をやらされるのかを知らされていないのである。

知っているのは同じ船に乗っている学者のみ。
そして学者は現地に着いてようやく、今回の作戦の内容を語り始める。

その作戦は明らかに自分たちに囮として死ねと言っている作戦なのだが、それを伏せてここまで仲間を連れてきた学者はなかなかのサイコパスじゃないだろうか?

そして学者がそれを教えなかったことを他のメンバーが特に責めることもなく、大人しく作戦に従ってその場所に留まり続ける一行。

わりと「仕事>>>命」な面々である。


そもそも後半で対ゴジラ作戦の先頭に立つような学者をこんなところで囮に使っていいのだろうか?

しかもこの学者は、国が隠している一般人では知りえない情報を知っているような人物である。

それを囮作戦のただの機関員として使い捨てるなんてそんな馬鹿な……。


また、ゴジラを民間だけで倒すという設定もかなり無理があるだろう。

戦争終結後から数年ではまだ「Occupied Japan(占領下の日本)」である。
日章旗を掲げることすら許されていない状態だ。

それが「ソ連を刺激しないようにアメリカは何もしません」なんて道理が通るわけがないと思うのだが……。

しかも序盤にアメリカの船が襲われて、その後はアメリカ兵だって大量に居たであろう銀座を含めた東京の中心地を破壊されているのに。

ここでアメリカが動かなくて誰が動くの……?


なんだかもう「彼ら(主人公たち)の戦争を終わらせる」という美しいラストのために綺麗に道を作ってる感がすごいのだ。

そしてそのゴールが決まっているからこそ、戦争の敵だったアメリカが協力するストーリーには絶対に出来ないし、するつもりもなかったのだろう。

日本人グループ以外の描写はこの映画ではノイズでしかないのだ。


【反戦思想パート】

ところどころで反戦思想をにじませるシーンがある。

敗戦直後の日本人の気持ちとしてはそりゃそうなるわとも思うし、実際に命を使い捨てまくりだったので言ってることはもっともなのだが、ちょっとだけ説教臭い

船乗りの「出たよお得意の箝口令!!」「情報統制は日本軍の常套手段だからな!!」みたいなセリフも盛りだくさんである。

民間の船乗りは軍人より死亡率が高かったので、彼が日本軍批判をしたい気持ちはわかるけども。


でもそんな彼らもラストはしっかりみんなで敬礼である。

タグボートの一員も、戦争に行ってない若者も、みんな揃って軍人の象徴みたいな行動をするのはなんなのだろうか。

というか日本の中心地を破壊し尽くした巨悪になぜ敬礼を……?


【アンチャーテッド】

いや別にこれは悪いところではないような気もしないでもないが、電車の宙吊りシーンがアンチャ既プレイ勢にとっては最高に既視感があった。

まあ別にこんなアングルや状況は他の映画でもやっていることではある。

しかしゴジラではこのシーンをやっているのがなにせヒロインなので、「必要なのかこのシーン…?」みたいな感じがちょっとだけした。

尺もやけに長いし。

(出番を増やしたかったのかもしれない)


【人間ドラマ】

このゴジラ−1.0は人間ドラマ要素が多くてすごい!」というレビュアーの意見があったのだが、本当にドラマパートが多い。

正直、ゴジラ:神木=1:9みたいな感じの映画である。

だが、「なんでそんな行動になるの?」と思ってしまうようなシーンが割と頻繁にあるので、感情移入しずらく戸惑ってしまうことが多かった。

シン・ゴジラで見たひたすらに目の前のタスクをこなしていく人たちの方がまだ人間味を感じてしまうくらいに、今作は演技してるなあ脚本通りに動かされてるなあという感じが強い。

そして過剰に怒ったり過剰に頭を机に叩きつけたり、ドラマとかでありそうなわかりやすい演技のオンパレードでなんとも……。

正直ちょっと倍速したくなった


いや、シン・ゴジラだってめちゃくちゃ説明ゼリフは言うし、ゴジラ出演シーンなんて全体の僅かだと思うのだが、何が違うんだろう……?


【生きろ。】

この映画は「生きなきゃ駄目です!!」というようなセリフがものすごい回数繰り返される。

もう本当に登場人物がひたすらに生きろ生きろと言ってくるのだ。

この映画が伝えたいテーマがそれなのが誰でもわかるくらいに。


だが生きていることについての大事さをヒロインに説かれた主人公は、ヒロインの死によって結局は「ゴジラに特攻してやる!!」という思想に行き着く。

また、民間で集まって対ゴジラ作戦の準備をしている戦争生存者は、「俺たちは戦争で生き残っちまったからな……今度こそは……!」なんてことを言っており、今度こそは死ぬ気満々であるようにしか見えない。

かと思えば、「この作戦では一人の犠牲者も出さない!!」と作戦会議で生きることの大切さを宣言して、しかし次のシーンでは「未来はお前らに任せるぜ……!」と、帰ってこない感バリバリのセリフを吐いたりもする。

そして、特攻用の震電の爆弾を確認したシーンでは、「やっぱり生きたいみたいです…!」と主人公が生きたい気持ちに気付くのだが、その次のセリフは「刺し違えてでも倒してやる!」である。

……なんだか結局死んでもいいという結論に行きがちな人たちだなと思う。

まあここで「死にたくないからやめます!」なんてなったら映画にならないんだけども。


(そして結局この人たちみんな助かるんだけども)


【なぜ生きてる?】

いやもちろん生きているのは大事なことだ。この映画でもあらゆる人がそう言っている。

特攻を回避して生き残り、対ゴジラ特攻でも見事生き残った主人公は素晴らしかったと思う。(脱出装置を作った人もGJだ)

誰一人として最後の作戦で死ななったのも素晴らしい。

やはり生きていなければ。


でもさ……

ヒロインが生きていたのはやっぱりおかしくないか……?


なんとヒロインはゴジラの熱線による凄まじい爆風と瓦礫を受けて死亡したと思いきや、わりと綺麗な顔で病院に入院していたのだ。


いやいや流石にちょっと無理があるよ……。

しかもこれがラストシーンっていう。


もちろんこれを見て「ハッピーエンドで良かったね!」と思う人もいるのだろうが、大概の人は最後の最後に「なんであれ食らって生きてんだ…?」という困惑を抱くことになるんじゃないだろうか。

いや、まともな感性だとここでゴジ泣きするべきなのか……?


なお、このヒロイン生存に関しては、ゴジラ細胞がうんたらかんたらというレビューもあり、なにやら小説版でもそれらしき匂わせはあるようだ。

となると、ヒロインのようにあの惨状で助かった人は多かったのだろうか?

あのレベルのダメージから綺麗に回復できるとなると、凄まじい細胞である。

そう考えたら、『ゴジラ細胞を埋め込まれて再生能力を得た人間たちの物語』とかちょっと面白そうかも。


【うるさい】

耳がおかしくなりそうな音量だった。

もちろんこの迫力が映画の良さだという意見が多いのは知っている。

しかしデカすぎである。


やはり自分は家で見るほうが性に合っているのかもしれない。

映画公開と同日にネット配信が当たり前になることを願っています……。



そんなわけで、ゴジラ−1.0は自分にはちょっと合わなかった。

ツッコミどころ満載というレビューもあったが、実際そうだなと思う。


ただ、「ツッコミどころ満載」にもどうやら種類があるようで、自分はRRRのハチャメチャさはOKでも、ゴジラ−1.0は駄目だったようだ。

映画というのは難しい。


とはいえYoutubeのコメント欄を見ると、多くの人はゴジ泣きしまくりなようなので、興味がある方は映画館へ行くのもいいだろう。

この監督の作品が好きな人にはきっと響くんだと思う。


あの岡田斗司夫も、「97点です」「日本映画の到達点」「感動ドラマ」「アカデミー賞狙える」と言っているようだし、多くの人は楽しめるはず!!


なんだか思った以上に筆が乗って色々書いてしまったが……


こ、個人の感想です!!


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