『昭和の消えた仕事図鑑』を読んで、昔の仕事に思いを馳せる
「AIによって人間の仕事はなくなる!!!」
そんなことが叫ばれて久しい昨今。
自分もいじっていたイラストAIも、とうとうポーズ指定からの生成が始まったらしい。
技術が進むのが思った以上に早くて驚愕だ。
……しかしながら、仕事がなくなるというのは過去にもあったこと。
読んでいこう。
『昭和の消えた仕事図鑑』を。
まず、簡単に昭和なんて言ってしまっているが、昭和は期間が長い。
そして30年間物価の大きな変化がない今の日本とは違い、昭和の物価は初めと終わりでは相当違う。
「地下鉄乗車賃」で見てみると、
・昭和6年・・・5~20銭
・昭和16年・・・5~20銭
・昭和25年・・・10円
・昭和31年・・・20円
・昭和41年・・・30円
・昭和52年・・・80円
ちなみに100銭=1円なので、
昭和6年と52年を比較すると運賃は400~1600倍である。
昭和64年までで考えたらもっと凄いことになりそうだ。
でも50年あったらこれくらいが普通なのかな……?
給料でも比較してみよう。
「小学校教員の初任給」はどうなるかというと……
・昭和6年・・・45~55円
・昭和16年・・・50~60円
・昭和24年・・・3991円
・昭和32年・・・8000円
・昭和40年・・・1万8700円
・昭和50年・・・7万3216円
昭和6年と昭和50年を比較すると、1300~1600倍となる。
給料1000倍とか最高だなと思ったが、考えてみれば物価も同じくらいあがってるんだった。
しかし昭和52年の時点でもこれくらいの給料だったことに驚きだ。
仕事で関わった高齢の公務員の方が、「若いときは給料10万いかなかったよ」と言ってたのは本当だったのか……。
では本の中から昭和に存在した仕事をいくつか抜粋して紹介しよう。
【押し屋(立ちん坊)】
坂の下で待ち構え、大八車がきたら押すのを手伝う仕事である。
「それ仕事になるの?」と思ってしまうが、貨物自動車が存在しない時代においては上り坂を大八車で行くのは大変だった。
ただ、多くは家ももたない人がやっていたようだ。
しかしこんな仕事でも組織化がされていて、大八車の通る台数や依頼状況によって「この場所は10人だな」「ここは5人でいい」みたいに人数が決まっており、欠員が出ても紹介状が必要だった。
ただ押すだけの仕事とおもいきや、人間関係が関わってくるとは……。
【押し屋(列車)】
また押す仕事である。
しかしこれは電車からはみ出した人間を押す仕事だ。
高度成長に伴って混雑度が跳ね上がった結果、こんな謎の仕事ができた。
もちろん初期は駅員でやっていたのだが、次第に手が足りなくなり学生アルバイトを雇って押し屋業務をやらせることになったとのこと。
ちなみにドアから体が出ちゃってる人を「もう諦めろや!」と引きずり出すのは「はがし屋」という。(別の仕事ではなく押し屋と兼用)
凄まじい時代だ……。
【灯台職員】
船の安全を守るのに重要な灯台。
しかし灯台があるのは岬の先端や辺鄙な孤島であることは珍しくない。
灯台職員は、そこで灯台を維持管理するあらゆる業務を行う。
1つの灯台に一人または数人で勤務する孤独な仕事である。
今のようにネットがあるなら引きこもり耐性のある自分にとって魅力的だななんて一瞬思ったが、当時は飲料水や医者に事欠く場所も多かった。
どう考えても過酷な仕事である。
今はすっかり自動化したが、こんな仕事もあったんだなあ。
【井戸掘り師】
戦前は水道がまだ普及していなかった日本。
地方においては井戸から水を汲んでいた。
井戸掘り師は先祖代々地域の水脈を熟知している者が行い、スコップで井戸を掘ったそうだ。
中には生涯で1000本以上の井戸を掘った者も居るという。
ちなみに仕事は家族総出で行うとのこと。
しかし高度経済成長で下水道工事が行われたことで地下水の流れも変わり、湧き水も枯れたり、井戸水が飲用に適さないことが多くなった。
現代において井戸掘り師はもう絶滅危惧種である。
【新聞社伝書鳩係】
電信が発達していなかった頃、新聞社はスクープ記事を伝書鳩にくくりつけて本社へ送っていた。
その伝書鳩を育てるのが新聞社の伝書鳩係である。
伝書鳩係は社屋の屋上に鳩舎をつくり、上手いこと教育したらしい。
東海道線、東北線、中央線などのグループを分けて訓練し、実際に使う際には6羽を1単位として使用した。(途中で襲われたりするから)
全ての鳩が戻ってきた時が伝書場所係にとって何よりも嬉しい瞬間だったらしい。
速度はというと、仙台ー東京間を4時間40分で飛んだとのこと。
時速60kmくらいだろうか。すごいな鳩。
【ショバ屋】
終戦間もない昭和20年代後半は、闇市の買い入れや復員兵、引揚者によって、国鉄や私鉄は連日大混雑だった。
当時は列車以外の交通機関も少なかったため、国鉄の座席に座るために1日前から列をつくることもあった。
それを見て「こりゃ稼げる」と思ったのがショバ屋である。
ショバ屋は電車に乗る列に早朝から並び、長蛇の列になったところで自分たちが確保しておいた先頭の場所を高額で売ったのだ。
段々と組織化されてリーダーの指示のもとで動くようになったが、駅の職員も多くは見て見ぬふりをした。
昭和22年の大阪の例では一晩で200円前後の稼ぎになったという。
もちろん寝台車や特急券を買い占めておいて、買えなかった人に売ったり、歌謡ショーやスポーツのチケットを買い占めて高額で売ったりもしている。
やはり昔はヤバい。
いや、こういうの最近聞いたような気も……?
【天皇陛下の写真売り】
戦中は天皇は現人神という扱いだった。
そのため、天皇の写真は「御真影」と呼ばれて学校や床の間に飾られた。
政府は学校など官公庁に天皇の御真影を配布したのだが、実は民間においては神聖な御真影の売買を(表向きには)禁止していた。
しかし天皇を中心に団結するという当時の目的もあったのだろう、そこらの写真屋が作った御真影を勝手に売ることを政府は黙認する。
また、新聞社が部数拡大のために付録として肖像画や写真をつけることもあった。(禁止とは…?)
日中戦争が始まると、写真を買えば「愛国心に富んだ真面目な家」として扱われるようになったので、みんなありがたがって売れに売れたらしい。
当時の女学生たちは昭和天皇を映画スターのようにうっとりとした目でみていたとかなんとか。
そんなわけで一部だけではあるが紹介した。
これ以外にも昭和の仕事が盛りだくさんなので、興味がある方は読んでみて欲しい。
ここには書かなかった闇を感じる職業もいっぱい載っている。
読んでみて思ったのは、やっぱり現代が良いなあというなんの面白みもない感想である。(さすがに現代人が昭和初期に戻るのは厳しい)
今はもう消えてしまった仕事というのは、当然だが技術の発展などで置き換えられたことによるものが多い。
馬車や大八車は自動車になり、沖仲仕はコンテナ船とクレーンになり、伝書鳩はもう必要なくなった。
AIは過去の仕事以上にあらゆる分野での人員削減を引き起こす可能性は高いが、それによって新たな産業だって生まれる可能性はある。
……可能性はある。
……多分。
まあ第一線でAIをいじってるわけでもない自分が足りない知識で考えてもしょうがないので、とりあえず『AI 2041』でも読んでAIが浸透した未来をちょっと見てこようと思う。
これもまたポッドキャストで紹介されていた本だが、高いだけあってボリューム満点かつ、短編がいくつも収録されている方式なのでとても自分に向いている。(まだ最初のストーリーしか読んでないが)
今後世界がどうなるかはわからないが、とりあえずついていく姿勢は持っておきたいなと思う。
ベーシックインカム、まだですかね……?
サポートには感謝のコメントをお返しします!