【つながる旅行記#168】新年は京都国立博物館と豊国神社から。
前回、境港で終えた2016年の旅行記。
そしていよいよ2017年が始まった。
で、ここは京都駅である。
しかも1月3日の。
普通なら三が日は実家でゆっくりしているはずなのだが、そういうわけにいかない人もいるのだ。
でもこういう日に旅行するのもまた発見があるかもしれない。
京都の人々は果たして正月をどう過ごすのだろうか。
そんなわけでレンタサイクルを借りた。
考えてみれば正月に観光するのなんて初めてかも。
(いつも寝て終わる)
ちなみに京都市内を観光するのは初めてではない。
過去に修学旅行で来たことがあるからだ。
……しかし、本気で何の地理も把握していない。
完全に学校のおまかせで観光してただけだった。
そういえば自由行動ですら、地図はグループのメンバー任せにしていた。
こうやって走っていても、思い出に残る地形は今のところ皆無だ。
三十三間堂にも行ったはずなのに……。
なんかもっと真面目に調べて修学旅行に望むべきだったなと今更ながらに思う。
そんなことを考えつつ、自転車で目的地に到着。
ここは京都国立博物館。
修学旅行では訪れなかった場所だ。
そしてなんだかすごい行列。
なんだろう?
餅を配っているようだ。
さすがは正月。これはレアな風景かもしれない。
京都の正月は博物館で餅を配ってくれるっと……メモメモ。
ちなみにいかにも博物館っぽいこの建物だが、中には入れないらしい。
入れるのはこちらのシンプルな新館。
なんでもここは豊臣秀吉が創建した方広寺の跡地にあたるらしい。
方広寺といえば、あの徳川家康が因縁をつけた梵鐘の件が有名だが、明治になるまであの鐘はこのあたりで雨ざらしになっていたという。
そんな歴史ある場所に今は博物館が建っているとは。
なんだかすごくシンプルでスッキリとした館内。
三十三間堂の南大門まで綺麗に直線が繋がっている。
そうなるように設計したらしいが、これは正解だなと思う。
真っ直ぐな道って良いな……。
では博物館をあとにして、ちょっと別の場所へいこう。
しばらく自転車を走らせて着いたのは豊国神社。
豊臣秀吉を祀っている神社だ。
豊臣秀吉は死後に神となったが、その後政権を握った徳川家によって豊臣関連のあれこれは全力で潰されることとなる。
豊国神社も幕府に没収され、社殿は朽ちるに任せて放置された。
だが時代が流れて徳川の世も終わり、豊国神社はようやく再建されることになる。
それを指示したのは、まさかの明治天皇。
「秀吉は天下統一を果たしたが、幕府を作らなかったので天皇を尊重する人物である」ということらしい。
そんな経緯があったとは。
天橋立の文殊堂の回でもそうだったが、おみくじの種類が凄い。
さて、豊国神社にお参りもできたし、なかなかいいスタートが切れたんじゃないだろうか。
世間には「自分の持っていないものを持つ人物に惹かれるもの」という話があるが、自分には秀吉の「人たらしな能力」が全くない。
だからなのか、戦国武将の中では自分は秀吉がわりと好きなのだ。
戦国無双でも攻撃範囲広くて使いやすかったし。
そんなこんなで人で賑わう3が日の京都。
そうだ、せっかくなので修学旅行で行ったところに再訪してみようか。
もしかしたらなにか思い出すこともあるかもしれないし……。
そんな感じで、次回へ続く…!
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