見出し画像

私自身が何者か、について

ちょっと哲学的なニュアンスも含んでいるようなタイトルですが、簡単に言えば「自己紹介」です。

しかし、ただ自己紹介と言っても自身のどのような側面を「紹介」するか、「知らない人」から「多少知っている人」になる一歩。
ここでかなり印象が変わってくるような気もしています。深刻にとらえるなら「自己PR」ですよね。
私の考え方だと「自己紹介」はかなり重い一歩なのですが、みなさんはどうでしょうか。

社会人ならば当たり前の技能かもしれません。
そういう「空気感」があるとして、そこからだと、前置きが長い私はずいぶんと会話下手? そういう評価になるやも。

今までがどういう「私」か


前回の記事までを含めた「私」についての情報を主観的に配置してみます。
「私」は「どうやら鯖鱒wikiが好き」で、「鯖鱒wikiを宣伝したい」、「多くの人に鯖鱒wikiを気に入ってもらいたい」、「AIの画像生成とか好き」……な人。

(記事の文体などから読み取れる感情などは難しい領域で、完全に客観的な分析力が求められる。ゆえに私にはよくわからないので省略します。
ただ、「客観的に見てこうだったよ」という情報は、怖さと興味半分ずつでぜひ聞いてみたいです。)

とりあえずまとめると、この場では「鯖鱒wikiに関する情報を記事にして宣伝している人」ではありそうです。
私自身としても、そうでありつつ、また自分のさまざまな思いを文章にする場としてnoteを活用していきたい。

あとは好きなことを


文章の構成が下手……!

突然思ったのですが、「歌詞」いいですよね。
私ははじまりからおわりまで物語を紡いでいる、そんな歌詞が好きです。
しかも率直ではなく、やや裏をかくような表現、歌詞の持つ「意味」を探る好奇心をくすぐるようなものが好きです。

やや飛躍すると、私は「意味」の探究が好きなのかもしれません。
物事の意味、生きる意味とか、現在の社会がこうである意味、世界がこうである意味――。
私は自分を賢人だと思ってこう書いているのではありません。
私はものごとについて考えすぎるクセがあるようで、その点でずいぶんと不自由な思いを「勝手に」してきました。
具体例は避けますが、まあ、そういう。
私は不自由だったり、不器用な人間ではあるのです。

「対面」が苦手な私は、自己の一面を表現する手段として、インターネットを、匿名の場を、文章を選んできました。

暗い話になりましたが、しかし「文章」が持つ可能性について、私はある種の信奉者ではあります。
自分の暗い一面と同時に、そのような希望を持ち合わせてはいます。
インターネットが、匿名の場が、AIの画像生成が、創作が、知識や技術の集成が、私のような不器用を一部でも豊かにしてくれる可能性について信じています。ひいては人間が持つ可能性について。

現在は暗いかもしれない。
でもまあ、未来を明るく感じる「可能性」を信じても良いじゃないか。
そういう気持ちで強く、あこがれて生きてみたい。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?