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昭和歌謡を訪ねて

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わたしの創作の血肉になっている昭和歌謡。お気に入りの楽曲について、独断と偏見で語ります。
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危険なふたりは、その時生まれた

危険なふたりは、その時生まれた

ジュリーこと沢田研二のシングル「危険なふたり」

私の最も思い出のある楽曲である。
何せ、
初めてレコードを買ったのがこの曲なのである。

だからこのジャケットを見ると、
反射的にあのかっこいいイントロが、頭の中で再生される。

もう擦り切れる位何度も聞き、
子どもながらにアレンジの勉強にもなったと思う。

そして、
振り真似も真剣にやってたなー。
当時、テレビで「パクパクコンテスト」が流行ってい

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私の彼は星飛雄馬?

私の彼は星飛雄馬?

「私の彼は左きき」麻丘めぐみ
作詞:千家和也 作曲:筒美京平

これも昭和歌謡の名曲中の名曲。

この曲の作詞は、千家和也さん。
私は昔、お会いして一度曲作りをご一緒させていただきました。
(千家さんの作詞で私が曲をつけた)
残念ながら、その曲は世に出ることはなかったですが。

この曲「私の彼は左きき」のレコーディングの時の思い出を、
千家和也さんからお聞きしたことあります。

「最後のメロディ、

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季語も変えた?「なごり雪」

季語も変えた?「なごり雪」

イルカ「なごり雪」作詞作曲:伊勢正三

昔は、
不便なことが多かったけど、
豊かだったような気がするし、
今は、
便利なものがあふれかえっているのに、
みんな気ぜわしい。

そんなことを強烈に感じてしまう曲。

フォークと歌謡曲が融合した名曲です。

当時のヒットチャートは、
POPSも演歌もフォークもごちゃ混ぜで、
バラエティーに富んでいたなぁ。

「なごり雪」って、もともと季語なのかなあと思っ

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女の怨念か?まちぶせて「待つわ」

女の怨念か?まちぶせて「待つわ」

「待つわ」あみん 1982年
この曲に関することを徒然なるままに書こうと思う。

この曲を作ったのは、岡村孝子さん。
YAMAHAの「第23回ポピュラーソングコンテスト」のグランプリ曲です。

1982年の年間オリコンチャート、シングル部門1位。
その年のNHK紅白歌合戦にも出場しましたよね。

ポプコンでグランプリを獲るぐらいの曲ですから、
本当に計算されています。

私が特に上手いなあ、、と感

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ハマクラさん流石、タイトルのつけ方上手い!

ハマクラさん流石、タイトルのつけ方上手い!

にしきのあきら「空に太陽がある限り」

1971年のリリース。
作詞・作曲は、浜口庫之助さん。
わたしの心の師匠である。

この通称「ハマクラ」さんは、
POPSから歌謡曲、童謡までなんでも書いたヒットメーカーだった。

代表的なものは、
「夜霧よ今夜もありがとう」作詞作曲 唄:石原裕次郎
「バラが咲いた」作詞作曲 唄:マイク真木
「星のフラメンコ」作詞作曲 唄:西郷輝彦
「愛して愛して愛しちゃっ

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