見出し画像

『スーツ=軍服!?』(改訂版)第96回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載96回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

夏の靴の定番「ホワイトバックス」と「コンビシューズ」

夏のカジュアルの足元はスニーカーやサンダルでもいいだろうが、トラディショナルなシアサッカーのスーツで決めたいとき、足元に合わせるには、やはりクラシックな夏の靴が必要になるだろう。
そんな夏の紳士靴の筆頭はホワイトバックスだ。白いヌバックで、プレーントゥ、ブルーチャー形式のこの靴は、一八七〇年代にテニスシューズとして登場したが、その後は靴底をレッドブリックソール(レンガソール)と呼ばれるラバー製にして、タウン用に用いられるようになった。
アメリカのアイビーリーグ(ハーバードやイェールなど東部の名門私立大学)の学生たちに好まれ、夏の靴として定着したが、ここからの連想で、いかにもアイビー大学の卒業生が勤めていそうな一流企業を、アメリカの俗語でホワイトシュー・ファーム(白靴企業)と呼ぶことがある。ちなみにアイビーリーグというのは東京六大学野球などというのと同じく、元々はスポーツ対抗戦のリーグで、当初から参加している大学が四校だったため、ローマ数字Ⅳを左右に分解し、IとVでアイビーと称し始めた、という説がある。
一八六八年に英国の靴ブランド、ジョン・ロブがクリケット用の靴として売り出したとされるのが、白い革と、黒や茶の爪先、かかとのパーツを組み合わせたウイングチップであるコンビシューズ。しかしこれはむしろ、試合を観戦する人たちに愛されて、スペクテイター・シューズ(見物人の靴)という名で呼ばれるようになった。
英国ではコレスポンデント・シューズという異名があるが、直訳すると「共同被告人の靴」。離婚訴訟で被告と共に訴えられる不倫相手を表す言葉である。一目で特徴のあるこの靴の持ち主が、不倫現場で目撃されてしまうと、密通相手として特定されやすい、という意味であるらしい。一九二〇年代のジャズエイジに、アメリカのジャズメンたちにいたく愛された形式だ。
コンビシューズと配色が逆で、爪先とかかとが白く、馬の鞍(サドル)のような形の黒や茶色の部分が側面にあるのがサドルシューズ。一九〇六年にアメリカで誕生したといい、そもそもはカジュアルな靴として、女性や子供用の靴として扱われ、アメリカの女子高生などがよく履いていた。五〇年代、エルヴィス・プレスリーがこの靴を履いて「監獄ロック」を流行させて以来、広く一般に用いられるようになった。

海の男のためのデッキシューズ

足の周囲をぐるりとヒモで囲んで脱げにくくしているディテールが特徴のデッキシューズ(ボートシューズ)は一九三五年、アメリカのポール・スペリーが、氷の上で滑らない愛犬の足裏からヒントを得て、靴底に加工を施した滑らない靴を開発したのが発端。彼が起業したトップサイダー社のデッキシューズは米海軍に採用されて広く普及した。
また、フランスのレミー・リシャール・ポンヴェールがアメリカで手に入れたラバーソールの靴に刺激を受けて、ブラジルのパラ港から出荷されるゴムを使った靴を作ることで名を上げたパラブーツ社は、フランス海軍向けのデッキシューズが一般にも人気を呼んで、世界的な成功を収めた。
この種の靴は、海の男が甲板で履く作業靴なので、本来は靴下を履かずに素足履きする。しかし、湿度の高い日本では汗がこもって蒸れるのも気になるだろう。デッキシューズで靴下を履きたい場合は、靴の内側に収まるような目立たないフットカバーを用いるとよい。

男たちもハイヒールを愛用した時代

日本でも時々、厚底サンダルというのが大流行するが、あれとそっくりの靴が流行したことがある。十七~十八世紀、極端な厚底靴が、特に女性に流行した。これはチョピンといって、なかには三十センチを超える竹馬みたいなものもあった。
当時の道路は舗装されておらず、主要な交通手段は馬車。馬は生き物なので道路中にいろいろ落としていく。こういった道路事情が厚底靴流行の要因の一つだった。当時の女性は巨大なスカート姿なので足元は見えず、脚が長く見えることも都合がいいので、ベルサイユの貴婦人はみな厚底靴だった。
同じ時代、男性もハイヒールを好んで履いた。女性への対抗ということもあり、特にフランス国王ルイ十四世の個人的事情があった。
彼の父ルイ十三世は頭の毛が薄かったのでカツラを流行させたが、ルイ十四世は背が低かったので、頭の頂部を大きく盛り上げたカツラを使用した。さらに背を高く見せようとハイヒールを流行させたという。特にかかとの真っ赤なヒールの靴を好み、これでバレエを踊った。以後、かかとの赤い靴は宮廷で履くドレスシューズとされた。
ルイ十四世は、若い頃はリボンやフリルのついたフェミニンといってよい服装を好んだので、靴にも大きなリボンを取り付けた。しかし後には今のモンクストラップの原型となるストラップシューズを愛用し、このような靴が十九世紀初めまで紳士用靴の標準となった。
やがてハイヒールは、フランス革命からナポレオン戦争の動乱期に廃れていき、以後は女性専用の履物となっていった。現代の女性のハイヒールで、裏が赤いのがトレードマークのブランドがあるが、あれもルイ十四世へのオマージュなのではないか、と筆者は思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?