『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第65回
『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載65回 辻元よしふみ、辻元玲子
◆不思議な「黒ずくめの就活スーツ」
日本人のようにごく日常のビジネスシーンで、こんなにみんながみんな制服みたいに黒一色を愛用しているのは、世界的には珍しいことらしい。これはなぜだろうか。一九九〇年代の後半ぐらいから、就職活動用のいわゆる「リクルートスーツ」、これも日本独特の、企業の採用活動を一斉に行うという文化だが、その時に着るスーツの色が、それまでは濃紺一色、たまにグレーだったものが、なぜか男も女も黒一色になった。とにかく説明会みたいな会場を見ると、まるで法事かメン・イン・ブラックの会合のようになってしまった。
おそらくは、いわゆる平成不況の雰囲気がひとつ、それから、リクルート=紺色というのがあまりに長く続いて、「少しは個性的だけど無難な色」として紳士服量販店などが黒を売り出してみたところ、あっという間に逆転、数年のうちに黒が主流になって、またしてもみんなが烏のように黒一色、となったのだろうと想像する。
さらに背景として、映画「スター・ウォーズ」のヒットでダースベイダーの黒い衣装が流行色を生んだのが一九八〇年ごろ。同じ時期、日本のデザイナーである川久保玲や山本耀司が、当時はまだまだ色彩としてタブーという印象の強かった黒色をメインに据えてパリでデビューし、海外で「黒の衝撃」と呼ばれた。こうして八〇年代半ばのバブル期、日本ではモノトーン・ルックがファッションとして大流行したのだが、これが少し遅れ、九〇年代末になって就活用スーツに定着した、といえる。
実際のところ、社会人を見てもおおむね一九七〇年代後半生まれ以後ぐらいの人が専ら黒を愛用、それより上の世代は、もっといろいろな色を着ているように見える。はっきりいって、日本は若い人ほど、もちろん個人差は大きいわけだが、意外に個性のあからさまな発揮を好まない傾向があるようにも思う。黒は印象的で強い色だが、みんなが着ればどうしても埋没的な色である。だから本来、個人が目立つことが許されない場面、つまり喪服や礼装に用いられるのである。本当は自分をアピールするべき就職活動で、みんなが黒一色、というのは、不思議なものといえる。これはいかにも減点を恐れる日本人的な話かもしれない。つまり、「もし落ちた場合、あの時に他の人と同じ黒いスーツを着ていたら、合格していたかもしれない、と一生、悔やむかもしれない」といった気持ちがあるのだろう。
◆「黒い喪服」は明治以後の習慣
ということで、黒一色というのは基本的に葬式用であって、ダークスーツではなくブラックスーツと呼ぶべきであろうし、あるいは式典用の黒いスーツというなら、近頃その概念が定着してきたけれど、フォーマル用の「ディレクターズ・スーツ」(重役服)と見なすべきであろう。そもそもディレクターズは、一九五〇年代ぐらいまでアメリカの取締役の儀礼服だった。つまり社内儀式、株主総会とか役員会とかの服装だった。
日本でそれを参考に、上下真っ黒のスーツを「礼服」として着るようになったのは、戦後の簡素化運動の中でのことである。戦前の風習として冠婚葬祭は基本的に羽織袴か、上流の人ならフロックコートやモーニングなど本式の礼装を着用した。そしてもちろん、戦時中はすべて廃止し、国民服になってしまった。黒いフォーマルスーツに、金や白のネクタイというのは、むしろ最近の習慣なのである。
なお付け足せば、江戸時代までの日本では、喪服の色は白色だった。黒が喪服というのは、明治になって海外の習慣を受け入れてからのことだ。
とはいえ、黒の上下そろいは本来、葬式であって、結婚式などで黒いジャケットを着るならズボンをモーニング用の縞ズボンにし、グレーのベストに銀色のネクタイなど締めるべし、と近頃は言うようになった。それはまさにディレクターズ・スーツである。
ともかく、結婚式の礼装として上下真っ黒のスーツを着るのは、ほぼ日本だけの風習と思って間違いない。
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