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もっと新しい資本主義を目指して、株式市場を廃止しよう

この世には、悪党が存在する。何やら悪だくみによって、世の中を動かすのだ。核ミサイルをちらつかせて、隣国の市街地を焼き払う暴君が暗躍する、遠い国の話では無い。この平和極まりない日本においてである。

「関係者(=特捜部)」によると、なんともこの大手証券会社は、意図的に株価を操作して利益を上げていたのだ。何でもその日本人の部長の給与は、年俸で億に達していたという。サラリーマンなのにそんなに貰っていると言うことは、それはあくどいことをしているに決まっている。

株式市場について、日本は岸田総理の下、安倍・管総理の時代から若干方針を見直したものの、何らかの国家的支援によって、経済を浮き上がらせようという目標は変わることが無い。何でもその前提によれば、株式市場は年額6%ものリターンを、投下資本に対して要求するのだという。

量子ビットの生産性
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai4/shiryou3.pdf

この、定期預金の金利がゼロに等しい今世において、その要求は暴利に等しい。しかしながら、彼らは「リスク」を負っており、そのリターンを求めているだけなのだという。本当にそうだろうか?

彼らが大好きな言葉、それは自己責任だ

なんでも、本人の責任において人生を選んだのだから、結果について文句を言うな、ということらしい。大変ごもっともである。

典型的な投資家
相場が下がれば国に買い支えるように要求する

彼らは、低所得者に対して冷淡だ。そのような賃金に甘んじているのは、自己研鑽が不足していたからだ。彼らは、失業者に対して冷淡だ。産業の先を見越して、然るべき準備を整えていなかったからだ。

しかしながら、投資家たちは、相場が暴落したときにだけは国に責任をなすりつける。なんでも反ビジネスな政策のせいであり、自分たちを救済することは、国家のためであるという。笑止千万な論理を並べ立てる。

そもそも、資本主義は、リスクを取ったものがリターンを得るからこそ発展したのだという。自己破産寸前にまで追い詰められてロケットを打ち上げたイーロン・マスクや、親のガレージで会社を興したスティーブ・ジョブス、時代を振り返れば自動車の量産プロセスを立ち上げることによって財をなした、ヘンリー・フォード、そういった偉人たちは、皆うなずくであろうその結論である。

アメリカにおいては、そうかもしれない。伝統ある資本主義と階級によって構成されるヨーロッパでも、それは正しいかもしれない。しかしながら、ここは日本である。日本において、彼らが適正なリスクを負い、それによって経済を成長させている証拠は存在しない。

低迷する日本の一人当たりGDPについて
日本は、韓国に抜かれる目前である

その実、日本のGDPは低迷の一途をたどっており、資本家たちが自由を享受していなかったであろう昭和期とは、見るべくもないほどに悲惨なパフォーマンスが続いている。ここまで「実績を上げることができていない」人間は、健全なる資本主義社会において「解雇クビ」が相当するだろう。

彼らは唱える、自分たちが適正に資本を配分するからこそ、社会は成長するのだ、と。しかし、それが少なくとも日本においては詭弁であることは、前述した通りである。彼らはここ20年、総じて何一つ生み出さなかった。

待遇の要求だけがつり上がっていったのは、日本の労働者ではなく、資本家の側だ。イーロン・マスクのように、社会の富を増やしているわけではない連中に、なぜ権限を与えるのか?

幸いにも、我が国には代替が存在する。大手金融機関の、株式部門の雇用者数を5万人としよう、そして彼らは、平均して1000万円程度の年収で働いていると仮定しよう(年額5000億円だ)

対して、経済を統御する経済産業省の平均賃金を800万円としよう、合計値で言うならば、わずか600億円(総職員数を7500と仮定)にすぎない。資本市場が偉そうし始めてから、日本経済が鳴かず飛ばずで、それ以前の経済産業省が仕切っていた頃は輝いていた事例を挙げるまでも無く、日本の株式市場周辺に流す金は、焚き火にくべた紙幣に過ぎない。あなたの手元は暖まるかもしれないが、懐は寒いままだ。

その金で一体何ができたか

結局のところ、経済産業省の通達通りに仕事を回した方が、パフォーマンスは良かったのだ。少なくとも、日本株の投資家エターナルルーザーたちが指し示す未来よりは、よりよい社会が待っていたことだろう。

株式市場は、日本に要らない。投資家の未来?

「自己責任」でしょう


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