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「四月になれば彼女は」を観て、読んで(1) 


小説のあらすじを見ていたら、どこか自分と重なるところがあるように思えて、ヒントがあるかもしれない、と映画館で観るに至った。

案の定、苦しくなってしまった。何度も潤んだ。潤んでは瞬きをしたり斜め上を見上げたりした。だって今日のアイメイクはいつもより可愛くしていたから。周りを気にしなくていいなら嗚咽を漏らしていたと思う。

これから印象に残っている言葉や、考えさせられた言葉について書いていきたい。

「愛を終わらせない方法、それはなんでしょう?」
ー手に入れないこと。

私自身、大好きで仕方なかった人と別れてから、愛を続かせるためにはお互いの努力が必要だと気づいたんだけど、確かに手に入れないことも一つの手だなと納得した。
現に、両想いだったことのある男友だちとは付き合うこともなく身体を重ねることもなかったから今も友だち以上な関係でいられていると思うし、この絶妙な距離感が私たちを保っているのははっきりとわかる。
手に入れなければ、自分のものにならなければ大事にできるというのは、なんて傲慢なことなのだろう。みんながみんなそうだとは言わないが、大抵の人間がそうなのではないか。

私はと言うと、よっぽど惚れ込んでいない限り相手を大事にできないのである。最初は楽しくてうきうきして、元彼のことを上書きして次に進めるかもしれないと思っても、気がつけば相手の気持ちに応えられないことに気づく。あの頃知ってしまったあの愛にはやっぱり勝てないんだと気づく。
本当に相手には失礼極まりないんだけど、目の前に今の私を好んでくれる人がいるにも関わらず、どうしようもないくらい愛してしまったあの人のことを考えてしまう。

弥生の気持ちがわかった。幸せになること、幸せを求めることが怖い。
あれからもうすぐで5年が経とうとする。この2年で3人と付き合った。けど今は誰も特別じゃない。前に進んだつもりで全然進めていなくて、ただただ打ちのめされるだけだった。やっぱり君が今でも私の最愛の人だよって。ひどい別れ方だったのはちょっと赦せないけどね。

「おねえちゃんは、嫌いだから会いたくないって人じゃない。好きだから、会えないという人なんですよ」


昨年2023年の9月、久々にあなたから連絡が来て、帰省するから会おうかと誘ってくれたとき、会わない!と断った私と重なった。
春が藤代に10年ぶりに手紙を書いたこと、私にはどう作用するだろうか。私はあの人にまた手紙を書くか、書くまいか。会ってしまったら一瞬であの頃に引き戻されてしまうのがわかっていたから、と素直に綴るか。会いたくないからじゃないよって、どうでもいいからじゃないよって。会えないんだよ、きっと君にはちゃんと伝わっていないけど。
本当はね、未だに私はこんなところにいるんだよ、ときどきあなたを思い出しては苦しくなっているんだよ。馬鹿みたいでしょう。4年以上経つのにあんなにひどいことされたのに、それでもあなたのこと嫌いになれないんだよ、おかしいよね。
なんでかな、いつもここに行き着いてしまう。

2024年、私は前に進みたいから、あの人に手紙は書かない。


観て苦しくなったけど、誰かと話したくなった。
苦しくなってとりあえず書き留めていたことを、このnoteにかける日が来てよかった。






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