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何も持たないから幸せ by ブッダ

手塚治虫さんのブッダを読んだ📚

ブッダの一生、取り巻く時代が描かれた大作であった。その多くがフィクションということで、物語としてもとても興味深く読んだ。

仏教の教祖である彼も、いち人間としてたくさんの苦しみを乗り越え、時に悩み、絶望しながら、執着を捨て世界の中のほんの一部である自分を認識する。究極のメタ認知(違う)。
煩悩にまみれた今の自分に喝を入れてくれるような物語だった。

ある一人の友人を思い出した。
どんなにひどいことを言われてもされても、決して根に持たない人がいた。手放すプロ。彼はもしかしてブッダだったのか。
彼は私がイラついていたり、途方に暮れていたり、悲しい出来事があったタイミングで笑わせてこようとしたりする為、大体八つ当たりされていた。というか、弱みを見せるのが下手くそだった当時の私が八つ当たりさせてもらえていた貴重な相手だった。

そんな風になってしまうくらい、辛いことがあったんだね

彼の一言は、一瞬にして私の粗暴を鎮め、冷静にさせてくれた。
”大丈夫、怖くない”と言われたテトよろしく安心して改心するのだ。そしてなぜこうなっているのか訥々と説明する私の話を辛抱強く聞いてくれるのだ。
辛く悲しいことは誰にでもある。それを聞いて探してあげられるのが僕の強み、と言っていた彼。傷つけられた!とかいうプライドや自尊心は自分には必要ないし、最初からあまり持っていなかった、とのこと。
やはりブッダなのでは。
苦しみを持たない人間はいない。それに寄り添う。そして自分のそれを乗り越える。この漫画のブッダによると、修行によりその境地に達することはできるらしい。

脱線するが、この姿勢って子育てにも大事だなと思う場面が増えた。現在4歳の子育て中だが、だんだん意志もはっきりしてきて、ぐずっているのには大抵その子なりの理由があるように思う。ギャーギャーぐずっている子に”静かになさい”と言ったところで状況は悪化するばかり。”疲れたの?””今日何か嫌なことあった?””〇〇が嫌だった?"とそのぐずりの裏側をきちんと聞いてあげる(またはわかってあげようと努力する姿勢を見せる)ことでスんっと落ち着くことがあります。母親としてあるべき姿、プライド、ご近所の目、義母のプレッシャー、全て一旦置いておいて、子供の苦しみの背景に寄り添うこと。今後これをブッダ方式と呼びたいと思います。

話は戻って、、、ブッダと彼に共通する”何も持たない”という姿勢。
国随一の商人が全ての財を失った時、初めて満たされて幸福に生きられた、という話。
ブッダのために庭を買う、と決め全ての財を投げ打ったのち全てから解放されその日その日を幸せに生きた。
先述の彼も”天国に何を持っていけるわけじゃないんだから”、と言ってモノより思い出にお金を投下していたし、人とのご縁を本当に大事にする人だった。人の思い出の中に生きられたらそれでいい、とも言っていた。

最近、ミニマリストブームしかり、シェアエコノミーの台頭も然り、ビジネス本でも有形資産よりも無形資産を持っている方が豊かに生きられる、と言ったような本が増えたように思う。大ベストセラーライフシフトにも「見えない資産」についての章があります。

田舎ライフは無いもの尽くしと思ってたが、QOLが上がって心穏やかに過ごせることが増えたのはそういう理由かと思った。
移住前に考えていた不便。子育てをはじめとして、頼れるサービスがない、金銭で解決できることが少ない。田舎に来てそれらの不便は、人間関係で補完された
都会に住んでいた頃の”人に迷惑かけてはいけない”という窮屈さからいい意味で自由になれたように感じる。また移住前によく交流していた友人とは、物理的な距離ができたとしてもつながり続けることができることがわかった。大事なものだけ持って田舎にこれた感覚。これ何なんだろう。

いざというときに頼ったり、頼られたり、近くに人の気配がするようなそういう生き方が私にとっての幸せなのかしらん。いや、資産とか言うとる時点でやはり持つことに支配されているのでは?とブッダに諭されながら、自問自答を繰り返しているような気がした読書タイムでした。

ライフシフト2出ましたね。

読まねば。

つづく🍎


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