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人間関係に期待しない理由

暮らしの中で、ニュースや友人との会話などから自分以外で起こった話を耳にすることは多い。
今までは聞いた話から“私なりの意見“というものを一つ持っている事が多かった。

しかし、最近は他人に対する私の意見は本当の意味で理解できた上での意見なのかと疑問を持つようになった。
理解できていないのにも関わらず、一つの意見を持つことはズレているように感じたためだ。

◇  ◇  ◇  

その考えになるまでの経緯

なぜ、そう思ったのか。
それは、暮らしの中で“自分”に対する周りの何気ない評価に疑問を持ち始めたからだった。

「〇〇(私に対して)、朝強いよね。」
とある日、友人に言われた。

私は確かに人生で遅刻というものをしたことは少ない。
しかし、朝に強い体質ではない。
起きるために、何個も目覚ましをかけて対策していたからだ。

友人から見た外側からの私
私から見た内側からの私には相違がある。

実際は、遅刻をしないのは何度も目覚ましをかけて起きれるようにしているからであって、朝に強い体質なのではなく、私なりの小さな努力なのだ。

しかし、相手は私の小さな努力など知ることはないので、ただ遅刻をしないという事象により私が朝に強い体質だと思ってしまうのだ。

知れる情報量によって、人の印象は良くも悪くも変化してしまう。
そう思った。

そのため、褒めてもらえたのだから喜ぶべきところではあるが、私の体質を褒めてもらえているだけで、私の小さな努力には気づいてもらえていないことに少しモヤっとした気持ちが残ってしまった。


こう言った日常の積み重ねから、私の持つ意見は、どの視点で見たのか、どういう立場だったのかを把握できていない状況での意見を持ってしまうことがあったのではないかと思ったのである。

当たり前のことなのだが、それさえも考えてこなかった私は不意に誰かに対して状況もわからず私の身勝手な意見を押し付けたことがあったのではないかと思った。

◇  ◇  ◇  

考え方が変化してから

そういう状況は他にもあるのではないか。


例えば、私が友人に対して持っているイメージは一面からの視点でしかないが、
その友人は一面だけではなく二面や三面、人によって様々な面を持っている。

自分の見ていた視点からの一面とは違う面を見る時もある。
その時に、私は
「あの人は私の思っていた人とは違った」と落胆する。
しかし、それは相手が悪いのではなく、自分が一方的な視点でしか相手を見ていなかったのが原因だったのでないのだろうか。
そう考えることができるようになった。

◇  ◇  ◇  

「他人に期待しない」の本当の意味

私は私以外の人にとって“ニワカ”な存在でしかない。
勝手に自分の考えたイメージでしか相手を見れていないのにも関わらず、自分のイメージから相手が外れてしまうと期待外れという状態になってしまうのだ。

だからこそ、他人には期待してはいけない。

期待しないことはマイナスな言葉ではなく、相手に対して自分の一方的な意見を押し付けずに接することなのだと思う。

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