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人魚歳時記 長月後半(9月16日~30日)

16日
一本道の先に集落がある。集落に入る手前にポツンと廃屋があり、道を挟んで向かいの田んぼに、無数の首が棒に刺されて立っている。首は美容師がカットの練習に使うマネキンだ。見れば廃屋は赤いとんがり屋根の廃美容院。そこを『首狩り田』と、密かに呼んでいる。

17日
「イイよね、犬は。うちもいたんだけど、死んじゃってね。辛かったね。家族みんな辛くてね。だからそれきり飼わないの、うちは。で、これね」梨園のお爺さんは、「これね、犬に食べさせてね」と、通りすがりの犬連れの私に、収穫したばかりの大きな梨を二つ持たせてくれた。

梨園のお稲荷さん、コン。

18日
早朝、蛇が日向に出ている。茶色の蛇。かなり長い。残暑は厳しいが、朝晩はぐっと冷え込む。陽が出るなり、こうして体を温めるのか。頭を少し浮かしてじっと虚空を見ている。近づくと消えるように滑り去った。

19日
犬の朝の散歩中、通りかかる家々では朝ご飯の支度をしていることが多い。出汁で玉ねぎを煮る甘い匂いは、おみをつけだろう。鮭を焼く匂いもよくする。温めた牛乳にインスタントコーヒーを落として混ぜている匂いがして、トースターのチンという音が鳴ったりしている。

20
菜の花みたいな黄色い蝶が飛んでいる。可愛くってしかたないや。

21日
昨日、彼岸の入りだったようだ。調べたら、今年は来週の火曜日までがお彼岸のようだ。正直なところ、ついこの間がお盆で、祖霊たちをお見送りしたばかりだけどな……なんて言ったら、罰があたるかな?
 

22日
朝、庭の花を手折って墓場に行く。曇ってジメつく、お彼岸らしくない朝。気配に振り向くと女が立っている。知らない人だけど、先方は私を知っていて、健康や美容の話して、忘れたと言うのでライターを貸した。菊の紅色が鮮烈な暗い墓場に、線香の香りが漂いだした。

23日
暗くなってから犬と歩く。音がして顔を上げると、道沿いの、ある住宅の二階の窓がキュルキュルと、今、閉まったところ。そのすりガラスには、蛍光灯ではない室内の橙色の灯りと、白いランニングシャツの姿がぼんやり映っている。

24日
乾いた秋風強く吹く中を、二頭のアゲハが絡み合いながら、どこまでも高く高く昇っていった。

25日
濃紺の夜空に橙色の上弦の月(半月気味)。その周りに夜空でも際立つ白さのかすれ気味の雲がある――今、絵を描く時間がないので、とりあえず文章で書いておく。

26日
睡蓮鉢の水が極端に減っている。またもやハクビシンの襲撃だ。田んぼの向こうの雑木林を伐採し、家を何件も建てている。狸やコジュケイが来るようになったのも、メダカが食べられるのも、林が消滅してから。濁った水の中に数匹残った小メダカを見て呆然とする秋の朝。

26日#2
小山の形に刈りあげた緑の中に一点、躑躅の紅色が狂い咲いている。時差ぼけの愛らしさと見るか、不吉の前兆とおびえるか。

27日
薄曇りの朝、窓辺にいて、ふと気配に外を見る。なんだ、木の葉が散り落ちる音だ。桜は葉の落ちるのが早い。

28日
「今年は柿が豊作だよ」と言われて見ると、そこいらの木に実がなっている。もちろん、まだどれも真っ青だが、ちゃんと柿の姿形をしている。それで、これが柿の木だったことにようやく気付く。

29日
夏の夜明けの雲は薔薇色だった。今は乳色がかる金木犀の色をしている。秋の色をしている。

30日
薄手の長袖一枚でOK。ザクロが実っている。雑木林の中で、忘れた頃に蝉が鳴く。百日紅が終わりかけ。でもまだ勢いよく咲いているものもある。中旬過ぎて金木犀の香りがちらほら。雨の翌日、田んぼ道で死んだモグラを踏む――何年か前のノートに9月の事がこう書いてあった。今年は夏の気配に隠れて、9月の影は薄かった。


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