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【活動レポ】宮城県仙台市若林区三本塚地区の視察に行ってきました!②

みなさんこんにちは!田澤ゼミです!

田澤ゼミは今年、宮城県仙台市若林区三本塚地区の生活誌(今年度は枝豆・ずんだ餅・味噌づくりに欠かせない大豆に着目)を制作する一環として住民同士のコミュニケーションを誘発するプログラムを企画したいと考えています。
4月29日はそのプロジェクトの第一回目として山形から1時間強かけて実際に現地に行ってきました🚙(加我ちゃんは用事でお休み)

この記事は三本塚地区の住民の皆さんから聞いたお話の内容について詳しく記載する記事です。

この記事を通して三本塚の住民の方々の知恵や想いが一人でも多くの人に届くことを願いながら執筆します。

まだ読んでいない方はぜひ【活動レポ】宮城県仙台市若林区三本塚地区の視察に行ってきました!①の記事もお読みください!

三本塚地区の暮らしについて

集会所の周りの景色


三本塚は昔から農業で生計を立てて来た住民が多く、生き抜くための生活の知恵がたくさん現存している地域です。

例えば皆さん「すかんぽ」ってご存じですか?
すかんぽの正式名称は「イタドリ」道端に生えているいわゆる雑草です。昔はお菓子なんてなかったそうで、学校から帰ってきたらカバンをほおり投げて味噌をもってそこら辺に生えているすかんぽをおやつ代わりに食べに行っていたそうです。(味は結構酸っぱいらしいです)

また、三本塚には「何もなかったけどそこら中に何でもあって」タケノコや山菜を近くに取りに行ったり、自分の家にある臼で挽いたきな粉をまぶしたおにぎりを食べたり、家で漬けた漬物をおやつ代わりに食べたりとまさに自給自足の生活を行って来ました。

自慢の漬物✨


なんでも無ければ作ってしまうらしく、味噌や醤油、納豆、漬物はもちろんの事どぶろくなども昔は作っていたそうですよ。

三本塚地区の震災直後の生活について


津波で甚大な被害をうけた三本塚では、豊かな文化が発展した土地や植物も流されてしまい多くの文化も一緒に流されていきました。味噌樽や前述したきな粉を挽くための臼も流されてしまったそうです。

津波で流されてきた泥が家の中まで上がり込み、まともに生活することもできない状況だったので住民の皆さんはしばらくの間、避難所生活を余儀なくされました。

避難所生活で大変だったことの代表がトイレ!トイレの数が少なくネット裏で用を足してしまう人もいたそうで、匂いが相当強烈で辛かったそうです。他にもお金がない、食料がない、炊き出しが永遠に同じ食べ物ばかりの時期があったなど避難所生活は沢山の大変だったことがあったそうです。

一方で三本塚は住民間のコミュニティがしっかり構築されていたおかげで「この家の蔵にはこれがあるはずだからとってこよう!」など協力して困難を解決するため動くことができました。

協力して物資を集める当時の様子のイメージ


住民の後輩・こども・親戚などのつてをたどって足りない食材を分けてもらって当時は生活していたそうです。地域の方の息子さんが結婚式場に勤めていたらしく、避難所でパーティーをしたという楽しい記憶もあったとのことでした。届きすぎた避難物資は不足している避難所に分けてあげるなど、助け合いの精神で避難生活を乗り越えることができたとおっしゃっていました。

さらに震災当時、日本国内からはもちろんの事、韓国やブラジルなど様々な国から支援をいただいてその事に今でもとても感謝しているともおっしゃっていました。その恩を返すために、ほかの地域が被災した際は全力で支援物資を送る、寄付金を募れば若林区が仙台市で一番多くのお金が集まる区になるなど、感謝の気持ちを忘れず行動に表しているそうです。

震災を経た三本塚地区の農業の実態について

農業の様子
美味しいお米でできたタケノコご飯✨


震災を経て、時代も変わり三本塚の土地や農業は大きく変化しました。

作物は土づくりが大切とよくいいますが、震災直後の土の状態は最悪で、元に戻すまでに何年もの月日がかかったそうです。特に津波で流されてきた砂利が田んぼや畑に大量に残っていて当時は頻繁に砂利拾いをしていたそうでした。(なんとその砂利の数、一つの畑から軽トラック四台分!)

また、米をたくさん作っても売れ残る時代になってしまったので、生産調整により三本塚地区の48%もの畑が転作として大豆や麦を生産しているそうです。

「国民があと茶碗一杯ずつでもいいから米を食べてくれれば米産業は再興する」とおっしゃられていて、私も思うところがあったのでこれからはできるだけ多くお米を食べていこうと決心しました。

これまでを振り返って


地域の皆さんはこれまでを振り返って、総じて「今が幸せだからいいんじゃない?」とおっしゃっていました。

私は三本塚の方々はなんて強くて明るい人たちなんだと思いました。また、私が同じく被災した場合こんな風に明るく前に進むことができるだろうかと考えさせられもしました。

また、三本塚の方々は私たちに「若いんだから悩んでもいい。辛いときは現状に小さくてもいいから何でもうれしいことや良いことを見つけて生活していくといいよ」と声をかけてくださいました。

数々の苦難をコミュニティのつながりを用いることで協力して明るく乗り越えてきた三本塚の地域の方々だからこそ言える言葉だなと感じ、心に残った言葉でした。

これからのこと


これからのことについて三本塚は高齢化が進んできたことにより、今はこうやって集まって未来について話をしたり農作物を作ったりできているけれど、いつまでこんな活動ができるかわからないとおっしゃっていました。

三本塚の方々の想いと文化が途切れないようアウトプットして伝え、次世代につないでいく良い企画を何か考えられないかと、こちらも沢山考えさせられる言葉でした。

お話を聞いて思ったこと・感じた事


お話を聞いてまず感じたのは①の記事にも記載しましたが、三本塚の皆さんは本当によく笑うということです。笑う門には福きたるという言葉を体現しているような皆さんで、沢山の苦難を笑顔の力で乗り越えてきたのだろうと思うと本当にすごいなと驚かされました。

三本塚には私の知らない食べ物、知らない知恵や言葉、生き方がたくさんあってその一つ一つが新鮮でした。とくに「何もないけど何でもある」という暮らし方は周りにものが溢れ便利すぎる世の中になった現代で生きてきた私には、ものすごく新鮮で面白く感じました。

何もないところからどうやって物を生み出してきたのか、どうやって過ごしてきたのか、もっとたくさんのお話を聞かせていただきたいです。また、その知恵を他の人にも伝えていきたいと思います。

そのために、どうやったらもっとたくさんのお話を思い出していただき、リラックスしておしゃべりしていただけるか、アウトプットの最適な形はなにか、など様々なことをゼミメンバーと田澤さんと意見を交わしながら考えていけたらいいなと思いました。


ここまで読んでくださりありがとうございました!今後の投稿もお楽しみに!

田澤ゼミはInstagramもやっているのでそちらも要チェック!👇
https://instagram.com/tazawa.tuad.lab?igshid=ZDdkNTZiNTM=

執筆:安達

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