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ツカモト シュンのサブカル一人語り

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ツカモト シュンが勝手気ままに一人で語るコラム、雑記。 基本一つの作品をテキストにして、サブカルチャーに関して語っていくスタイル。
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#小説

コスパ重視時代との対決 ~矛盾するライトノベル商業構図

先日の記事は割と反応はあったモノの、タイトルにある"矛盾するライトノベル商業構図"に関しては、ほとんど触れられていない状況であった。ここは反応だけの話だから、それが結果の全てでもないだろうが… 確かにこの反応にしても前回の記事は『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』から見た話でやっている以上、多少は仕方がないと部分と自分も理解していた。また、その中で見えてきたことであり、考えは完全に纏まっていない部分もあった。 それで今回は改め、"矛盾するライトノベル商業構図"を軸にして

矛盾するライトノベル商業構図2 ~漫画好きに編集されたコミカライズ

今回は視聴傾向を探るために過去の記事を元にしています。また先日、語った「矛盾するライトノベル商業構図」ともリンクしていく部分ではありますので、そこへの補足も入れています。 さて、少し前にTwitterでとあるコミカライズ作品の画像が流れてきた。 これを見た時、なろう系追放もここまで来たかと思った。追放理由がコントのノリから始まるのだから。 馬鹿にされがちななろう系ではあるが、書いている方は必死で真剣であり真面目な作品へとしようとしている。だが、これほど冒頭でこんな頭が悪

【漫画レビュー】追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する。 ~漫画好きに認められた漫画作品(コミカライズ)

以前、Twitterでとあるコミカライズ作品の画像が流れてきた。 これを見た時、なろう系追放もここまで来たかと思った。追放理由がコントのノリから始まるのだから。 馬鹿にされがちななろう系ではあるが、書いている方は必死であり、真剣である。そして、真面目な作品へとしようとしている。だが、これほど冒頭でこれほど頭が悪く、かつ、面白い流れのなろう系追放を描いた作品に、私は俄然興味が湧いてきた。 そして、この1ページだけでなく、1話を、そして、コミックを買って1巻も読んだ。 た

矛盾するライトノベル商業構図 ~ラノベ10冊分のワンパッケージ作品の台頭

2022年春アニメである『乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です』を見ていて、自分としては面白くないながらも考えさせられる点が多かった。 正直、この作品で何が面白く、何がダメかと考えていると、別の点で大きな問題を抱えているのが見えてくる。それだけに自分は本当の意味で楽しんで見ていた作品と言えるかは疑問ではあった。 その点はひとまず置いておくにせよ、この作品で見えてきた問題とは商業展開で求めるモノが売り手、買い手でズレて認識しているのではないか?である。 そもそも、転生モノの

アニメ版『失格紋の最強賢者』を見て思った事 ~時代を写すクオリティ

『失格紋の最強賢者』のアニメが色々といわれていたので、見てみました。 自分も初手からネガティブな感情が出てきましたが、それ以上の違和感が多く占めていました。元々、この作品は漫画アプリの広告から漫画を読み、続きが気になり、web連載の原作を読んでいました。つまり、すでに原作を知っての視聴であった。 漫画、原作での感想は、定番の「なろう系」の臭さが薄く、普通のライトノベル、漫画作品として読めるといったモノだった。 ただ、同じく漫画広告で有名で同原作者の他作品は「弱すぎって意味

小説の創作クラスタを見ていての話 ~主語の大きさをどう図るか?

■漫画と創作の話題、トレンド入り昨年から『タコピーの原罪』(著者:タイザン5)や『ケモ夫人』(著者:藤想)など読んでいると、とんでもない作品があるのかと思っていた。そして、それが商業作品としても展開していることにも驚愕していた。 ただ、その反面Twitterに流れてくる創作クラスタ、主に小説家の話題は、これらの漫画のムーブメントと反対を行く保守的な考えが展開されている。 それは書籍化されて、名を売れていくことが基本であり、正道といった具合だ。 確かに、奇をてらうのは漫画作

創作界隈での「チート」についてと、ゲームでの「チート」のこれからについて

ゲーム上でのチート行為は厳禁となっていく中で、創作としての「チート」は生き残ることは出来るのだろうか。 創作界隈で使われる「チート」はもはや余所とは違う意味で使われ続けている。用途としての源流であるゲーム界隈とも、本来の英語の意味でも違っている。 ただ、それ以上にゲームにおける「チート」の位置づけは世代の差でも大きく違っている。昔はまだ容認される部分はあった。だが、今は臭わせただけでも炎上、非難される。 仕舞にはゲームだけでなく、ゲーム配信プラットフォームからも追放されて

作家自身のマネジメントとは ~「作家2.0」に至らないの理由

先日、とあるラノベ作家が「感想がない」、「書きたくない」といって活動を休止を宣言した。この事は多少なりとも波紋を呼んだ。 ただ、これらの理由は私が思うに建前、いいわけだろう。 例えば、定食屋で「ごちそうさま」と客が言わないから店をたたむなど言った所で、何を馬鹿な話をしていると思う前に単に客が入ってないだけの話と簡単に推測できるだろう。 当然、この件に関しては真相は分からない。 だが、この程度の作家の言い分を素直に信じられるほど、現状は甘くはない。このコロナ渦の状況も相

創作論の議論はなぜ正しさを振りかざすのか? デフォルメ・サンドイッチの話

先日から異世界で外国語、サンドイッチは有りかと作家達が議論していたが、今度はデフォルメ表現で絵師達が議論しているようだ。 私個人の考えではこれらはバカバカしい議論だと思っている。 それは創作とは己を突き詰めた先にこそ答えがあり、その答えはその人のみの真実であると考えているからだ。だからこそ、他者に受け入れられることも、他者が真似することのできない聖域とも思っている。 実際、ピカソの絵を見れば分かる様に、初めから奇抜な絵を書いていたわけではなく、多くの作風を経て自身の到達点

なぜ自分は個人コンテンツが必要と考えているのか【改】

まず、ここを明確にして置かねばいけなかった。 この記事で語りたかった事だけ語って、意図を抜きにしてネットに掲載していた。また、自らの書籍化すること今にとって有利、お金になるといった偏った記事であり、中立性は欠けていた。 それでも、まずは話題になる問題提示が先に必要であったとも思っていた。 だから、今回は私が個人コンテンツ、強いてはWeb小説家であっても自ら出版する個人コンテンツがなぜ必要か考えているのかを語りたい。 ただ、今回はエッセイにも満たない、酒の場での本音トーク

Web小説家はなぜ書籍化に依存するのだろうか? ~自らコンテンツを作る時代は来ているのに

2000年代、『月姫』、『ひぐらしのなく頃』といった作品が同人ゲームから出てきた。これは衝撃だった。更に商業作ともなっていく様は更に驚愕だ。 その上、同人でありながら二次創作まで盛んであり、1ジャンルを築いていった。 本当に恐ろしいことである。 同人という、個人から始まった作品が市場で大きなムーブメントを生んだのだから。 最近だと、同人エロCG集ではあるが『搾精病棟』もヒットしたことで騒ぎとなり、その利権を獲得しようと企業が名乗りを上げたことは話題に新しい。 そんな中、W

「底辺領主の勘違い英雄譚」SNS的な内輪ネタを紙にまで持ってきた作品

今回は、作者自ら監視した中で配信された動画で紹介、レビューされていた作品が気になったので、こちらの作品を自分も語っていきた。 ただ、語る内容に関してはタイトルからも分かる様に本編以外の部分がメインとなります。 【作者自ら監視した中で配信された動画】 ■さて、この「底辺領主の勘違い英雄譚」の作品の内容も少しだけ触れておけば、典型的ななろう系。しかし、文章でもテンションが高く、物語の展開自体もそのテンションで乗り越えている。 なろう系とはいったモノの、テンションだけですべて

今日のメディアミックスとは【Twitterでの発言から】

【Twitterで語っていた内容に対して少し体裁を整えたモノになります】 1.今のメディアミックスとは?少し気になったので、マンガ原作としてのラノベ、なろう系という視点で少し考えてみた。それによって、90年代のメディアミックスとしてのラノベとの違いも含めて、何か見えてくる気がしたからだ。 ただ考えは纏まっていないので、現時点でのざっくりとした考えにはなる。 例えの話となるが 第1次産業 (原料)ラノベ 第2次産業 (加工)マンガ 第3次産業 (流通、サービス)アニメ と

『86-エイティシックス-』の小説として優れた点はアニメに不向きな点である

■『86-エイティシックス-』がTVアニメ化が決定してから、先日書いた記事のPV数が倍増していた。 この作品を読み終えて後で、感じた違和感に対して検索しても解消してくれる記事がなかった。だからこそ、自身でその違和感の正体を掴み書いた訳であった。 ともあれ、自分と同様な違和感を持った人が見に来た人がいるからこそ、PV数の増加に繋がったと思っている。 ただ、その全体PV数は大したレベルではないのですが。 それでもTVアニメ化が決定してからのPV数増加は明らかである以上、その重要