なぜ自分は個人コンテンツが必要と考えているのか【改】
まず、ここを明確にして置かねばいけなかった。
この記事で語りたかった事だけ語って、意図を抜きにしてネットに掲載していた。また、自らの書籍化すること今にとって有利、お金になるといった偏った記事であり、中立性は欠けていた。
それでも、まずは話題になる問題提示が先に必要であったとも思っていた。
だから、今回は私が個人コンテンツ、強いてはWeb小説家であっても自ら出版する個人コンテンツがなぜ必要か考えているのかを語りたい。
ただ、今回はエッセイにも満たない、酒の場での本音トークの様なモノである。興味がない人には無理に付き合ってもらう必要はない。
またコメント等は受け付けているが、返信まで積極的にするつもりはない。
一応、前置きというか、保険としてこの文を書いておくことにする。
■発信場としての個人コンテンツ
今の時代、クリエーター自身の発信の場を持っている。中にはバーチャルYouTuber、VTuberとなって活動を行うモノもいる。
先日もビートまりおがVTuberとなっていた。ママはイラストレーターであり、交流もある伊東ライフによるもの。そして、そのイラストのモデルはビートまりおの嫁である、あまねさんとのこと。
うーん、このコンセプトはややこしい。
ただ、ビートまりおに関してはどうであれ音楽家であり、歌声はもちろん、ライブでも活動しており、声と顔は周知されている。また、音楽活動以外でも話題性があり、その側面でテレビにも出たことがある。むしろ、その点では母親の方が有名だったりするか。
そもそも、イラストのモデルであり、嫁でもある、あまねさんの姿も同様に音楽家であることから周知されている。もっとも、お二人の結婚式自体も…
だから、VTuberになるメリットはある種ないはずである。むしろ、普通に音楽家らしく、YouTuberとして活動していても問題はない。
そう考えても、ある種、顔を隠して活動できるVTuberへのメリットは薄い。冗談交じりで、ひげを剃らなくて済むみたいな事は語っているにせよ。
ただ、初配信を聞いていると、面白いそうだから、楽しませたいからといった雰囲気が伝わってきた。
また、ここも直接的ではないが話からも、VTuberとしての先輩である伊東ライフを初めとして、仕事関係、交流もある他VTuberを直に見ていて、今後における必要性を感じていたのかも知れない。
それは音楽家以外の発信の場である、コンテンツを。
実際、VTuberになって真っ先にしたのは、あの壺のゲームだった。音楽家としての色はそこにはなかった。
しかし、インターネット老人会が現役のコンテンツであり続けるのも怖いものである。そして、それが今の主流コンテンツと絡めるというのも。
さて、話は変わるが昔からクリエーターは発言する場は限られていた。
ファミコンから出た『えりかとさとるの夢冒険』というゲームで十数年後に隠しメッセージが発見された。衝撃的な内容であり、出た当時に発覚していたら回収騒動だっただろう。
当時は特に裏技を探すこともゲームプレイの一環として流行っていた。しかし、これは発見されることなく、時代が進み、個人でもROM解析ができるようになって、その存在が明らかになった。
それでも、 隠しメッセージの出し方に関しては更に時間がかかって判明したのだが。その後も隠し要素というか、クリエーターからのメッセージが次々と発見される切っ掛けとなった。
そして、この他のタイトルでも同様なクリエーターからの隠しメッセージが発掘されることになる。
ともあれ、この内容に関しては「クリエーターの反逆」である。
そして、隠しメッセージはこのソフトを作ったクリエーターであることを示す証でもあった。それに内容から当時の状況を色濃く示す証言としての価値は高く、今となってはこの内容ながらも受け入れられている。
そもそも、ファミコンソフトという容量が限られた中では一字一句すら無駄に出来ない。ドラゴンクエストの開発秘話でもここらは語っている。なのに、これほどの手順、長文、画像まで仕込んだのは容量まで計算した結果であり、信念を持った実施した確信犯である。
ちなみに隠しメッセージの知名度の方が有名になった『えりかとさとるの夢冒険』だが、ゲーム自体は平均点以上の良作である。メジャー所ではないアドベンチャーゲームである事も加味すれば、良作と言いきってもいいかも知れない。
また、『ゼビウス』でも隠しメッセージによって、海賊版に対して違法性、コピー品である事を証明する証拠として使われていた。また、そこには会社名だけで制作者自身の名前を記載されている。
こういったゲームにおける「イースターエッグ」は開発者のみが知る、作品の権利を自らのモノだと主張する際の武器である。確実に自分が作りだしたモノと提示しておくことは先のように裁判でも有利となる。
ただ、企業においては権利の正当性を示す事は当然であるが、アマチュアの作品にそこまでする必要性はあるのか?
この答えは大ありである。これはこの後に語ります。
さて、話はVTuberに戻りますが、イラストレーターでもある、しぐれういもママとしてVTuberのデザインを担当した経緯もあり、なんやかんやでVTuberとしても活動を行っている。
私自身もそうであるがVTuberとしての「しぐれうい」を知った事で、クリエーターとしての「しぐれうい」を知る切っ掛けとなった。
伊東ライフ自身も勝手に想像したVTuberのイラストを投稿したことで、多くの娘達、VTuberのデザインが生まれる切っ掛け、仕事に結びついたと語っている。
発信の場によって自身の作品を知ってもらえる場、また仕事が舞い込む機会ともなっているのだ。
発信の場もまた、個人コンテンツである。そして、それは自身のコンテンツを多くの人に見せることで、宣伝の場としての側面もある。
今の時代、そういった個人向けのプラットホームは多く存在して、気軽に利用できる。SNS自体がそうだ。
そういった点でも私は個人コンテンツを持つことは大事と考えている。
そもそも、そういう観点からもWeb小説家は小説投稿サイトで投稿することは個人コンテンツを持つということである。その時点で書籍化に依存しない作品提供をしている。そして、感想コメント等での読者との繋がりも同様だ。
それに対して、結果として書籍化、従来の出版を望むのは矛盾を抱えた構造であると、私は考えていることを加えて付け足しておく。
■既存メディアは旧メディアになろうとしている
従来のメディアは変化、危機的状況になっている。これらに依存していること自体が危険といえる。
ただ、既存のメディアの代表格である、新聞がいきなり無くなることはないだろう。しかし、現状、部数は落ちている。
その理由は様々にしろ、代替えのメディア、インターネット。それを見る媒体としてスマートフォンの普及が要因と言われている。
このインターネット、スマートフォンは新聞の優位性をほぼ奪っている。
一般的に、新聞といえば朝に配達されることで手に入る。
この時点でいつでも、どこでも情報を確認できるインターネット、スマートフォンと比べると、情報の鮮度は無くなっている。新聞は単なる昨日までに起きた情報のまとめでしかなくなっている。ただ、この点は新聞の優位性とは言えるかも知れない。
そして、技術の進化で通信網は更なる進化を控えている。
また、新聞以外の出版メディアも同様な危機である。
ジャンプでさえ、現状をかなりの危機と見ている。しまいには自分達の雑誌、漫画誌が今まで通りに行かないことを懸念している。部数が落ち、読者は離れ、連載する漫画家も新規に抱えることも継続すら出来ないと見ている。
ただ、危機だから何もしないというわけではなく、時代に合ったメディアに変化しようとしている。
そして、媒体もシフトしている。
実際、漫画に関してはエロマンガ関連の方が電子書籍化が早く進んでいる。エロマンガの売り上げも電子書籍の比率が大きいとのこと。また、サブスク、サブスクリプションサービス自体も多くサービスが提供されている。
アダルト業界はある種、華やかであっても万年、斜陽産業。ただし、無くなる産業でもない。
似た内容は私の記事でも以前、「エロゲー」を題材にして語っている。
特にエロマンガは制限的な意味でも市場は広がりを限られている。だから、初めから厳しい戦いをしている。だからこそ、時代の変化には敏感である。いや、時代の変化に対して一番先に被害を被る業界でもあるからだ。
前回も語った、『昔はカッコよかった』でもヒットを飛ばした、なかに氏に関してはここに繋がる部分がある。
『昔はカッコよかった』のヒットもSNSからであり、販売経路もDLサイト、つまりは電子媒体である。実際の紙としての同人誌も発売されているが。
ここに関してはもう一点付け加えると、『限界費用ゼロ』と言ったワードも出てくる。
それらに関しては、この記事内で語っているので、こちらを見ていただきたい。
個人のコンテンツというよりも、自身自体が出版社、いや、メディア発信基地を作ることで、縮小しつつあるメディアに依存せず、自分のファンを獲得と維持に繋がる点でも大事であると考えている。
■権利と作家性、そして継続性
『機動戦士ガンダム』といえば、富野由悠季である。逆も然りで富野由悠季といえば、『機動戦士ガンダム』。だからこそ、事実としても多くのガンダムシリーズで監督を務めている。
ただ、このガンダムシリーズでの監督というポジションを維持できたの富野由悠季という作家性が高く評価されたものだけではないだろう。むしろ、権利上、富野由悠季でしかできないように周りを騙し、事前に仕掛けをしていた結果といわれている。
インタビュー記事でも「ガンダム」の権利を富野由悠季が持っており、最終的にはサンライズに譲渡いたという話もある。
ここの権利は何処まで指すかは分からない。ただ、記事からも分かるように自身と「ガンダム」の権利を結びつけていたのは確かであろう。
そもそも、ノベライズを御自身が担当されている。それだけでなくとも、井荻麟名義で作詞家を務め、ガンダムを初めとするアニソンを担当されている。
これを見ても、「ガンダム」=富野由悠季という図式を作り出している。一応、異論がないように補足しておくと富野由悠季も他のスタッフあっての「ガンダム」である事は語っている。
後、インタビューでも語られている通り、自身のコンテンツを持つことは食い扶持でも困ることはない、また、権利だけでなく作品性を守るにも役に立つとある。
ハリウッドでも制作途中であっても監督交代などをニュースを聞くだろう。ここに関しての背景は私の口よりも、この手の話題に明るい人の記事をいろいろと見て判断して欲しい。
そういった観点からも、富野由悠季が作った図式というのは、今でも通用する戦略である。
ただ、『スター・ウォーズ』はディズニーがルーカスフィルムを買収してスター・ウォーズシリーズの著作権を取得している。それ以外にもマーベル・スタジオもそうだが。
結果、『スター・ウォーズ』は本来ジョージ・ルーカスが構想していたモノとは、異なるモノができあがり世に出した。
著作権を取得した以上、何の問題もないことである。道義的な話を抜きにすれば。
これは映像関係の話だけではない。会社とて同じで自社のコンテンツ、商品を持つことは他社にない強みとなる。
下請けからの脱却は中小企業にとって、HOTな生き残り戦略でもある。自社ならではのブランド力を多方面から求められている時代である。
企業でも求められることが、クリエーターがしないのは変なのである。しかも、「ガンダム」から分かるように、数十年前からその考えはあるのだから。
また、アニメに置いても原作付きではなく、オリジナルを作った方が制作会社的にもグッズ販売などの権利上でも儲けがある。当然、ヒットする前提はあるが。
この事から自身の権利も持たず、本当にクリエーターと言えるのだろうか。富野由悠季も唯一無二の作家性を持って、作品を作り出している。だが、そんな作家性を売りにできるアニメ監督はどれほどいるだろうか。
そして、作家性を評価して作品を作らせてくれるケースも限られている。
ハリウッドの例からも、個性を出すことよりも無難な作品を作る監督が好まれるケースが多くなっている。
そうなると単なる名もない労働者と変わりはない。現に、交代しても成り立つほどに監督の代わりなど、幾らでもいるのだから。
ゆえに自らのコンテンツを作り、権利を含めて展開できることは継続性の観念でも大きな武器となる。結果、生活でも業界でも生きていくのに有利となる。
ただ、市場で生き抜くだけの実力がいる話だが。
■今は、二重の意味で編集者はいらない
書籍化のメリットでは出版社が蓄積したノウハウ等からのアドバイス、また組織力をバックにした展開があるだろう。
しかし、ここも既存メディアの衰退もあいまって、それらの力が弱まっている。
先日も書籍化に到りたければ、SNSのフォロワーを数十万集めろといった編集者とされる人物の書き込みがあって話題となった。
ただ、割と同業者からも同意が得られていなかった印象もあった。
さて、事実数十万のフォロワーがいたらどうなるだろうか。
Twitterであれば、アナリティクス等で発言に対していか様に反応があったか、マーケティングなんかを容易に行える。
例えば、作家であれば自費で本を出すけれど需要あるとTwitterで発信すれば、その反応から売れる数を割り出すこともできる。また、流行等で人気ジャンル、フォロワーの好みも割り出すことができる。
正直、同人作家であればマーケティングにSNSをかなり活用していると思っている。ここは完全に私の推測ではあるが。
ただし、YouTuberはアナリティクスを活用して、動画制作を行っていると聞く。YouTubeのアナリティクスはユーザーの年代、視聴地域、視聴率に相当するモノが確認できる。
だから、視聴数だけでなく、その動画の盛り上がったポイント、対象のユーザーを割り出すことが出来る。
多くのフォロワーを有することは、下手をしたらジャンプのアンケートに匹敵するデータを集めることが可能なのである。この点でも多くのフォロワーがいることは出版社よりも優れていることになる。
そもそも、多くのフォロワーを抱えることは、そのSNS内においては、それだけで影響力のあるメディアとして同等に見られている。そう、インフルエンサーである。
事実、有名インスタグラマー、ユーチューバーという実績、肩書きだけでテレビに出てこられるのだから。ついでにその名前だけでも本が出している。
更にいえば、SNSでのフォロワー数は信用として可視化された信用スコアである。単に数だけの話ではない。
確かにフォロワー数は水増しも可能であるが、それでもフォロワーの中身を見れば、水増しかどうかはSNSに慣れさえすれば簡単に判断できる。
また、サービス提供側もこういったアカウントは規制して、フォロワー数の信用性を健全化させている。
雑誌などの部数は我々にとって正式な数を知ること機会は少ない。ただ、SNSではフォロワー数を嘘偽りなく前面に出ている。
もう一点、多くのフォロワーを抱えることはファン自身が自発的に宣伝してくれる場合がある。これはアイドルでもそうだ。最近ではVTuberを見ていれば、よりわかりやすいかも知れない。
つまりは組織力をバックにした展開も個人で行うことができ、組織に属する必要性は薄くなる。
また逆に数十万発言によって編集者が仕事をしない、また、今の常識を理解していないとSNS上で明言したようなものである。この発言に対して、多くの人が反論として述べた点である。だから、同業者からも冷たい目で見られていた。
この発言によって編集者の権威を貶める結果となったのだ。
この点からも編集者は明らかにSNSの使い方が下手、そして自身の仕事を理解してないと言うしかない。
次に編集者が持つ技術的ノウハウに関しても、昨今のAIやツールが発達した中では、よほどの実力がない限りは代用できてしまう。
前回の記事の反応で、デザイン、校正等の話は専門性が必要だろうといった声が出てきていた。しかし、文章校正ツールは無料でもある。また、音声読み上げソフトを活用して、音声で聞くことで誤字脱字を見つける校正方法もよく聞く話である。
最近では動画制作現場からでも話題となっている音声文字変換ツールもある。これを使えば、色々な場面で有効活用できるだろう。これによって、文字起こしといった職業は風前の灯火である。
デザインに関しても同様、「Canva」というWebおよびアプリで利用できるデザインツールがある。こちらを活用すれば、無難なデザインであれば簡単に作成する事ができる。
そして、YouTubeにはサムネ制作を初めとする基礎的なデザイン講座から、より専門性のある講座まで基本、無料で提供している。提供する側もYouTubeから広告費からの収入を得る事も可能である。
つまり、ある程度ツールを活用すれば、個人であっても一定水準を制作することができる。また、それらの知識も公開されている。
確かに前回の記事でWeb小説家という題材から、ライトノベル関連の話題とと誤認させた節はあったが、ライトノベルとして展開するに到っても、『ランサーズ』等のクラウドソーシングで高校生のお小遣い程度であっても、絵を発注することはできる。また、実績あるプロに発注するにしても数十万であるため、決して高額とも言えない。
この絵師、デザイナー等のコネクションも出版社に依存する必要性はないのだ。
そもそも今の時代、AIを活用して歌を作ることは夢物語ではなく、誰でも出来ることである。
それにシナリオに関しても、海外ではプロ御用達のシナリオジェネレーターなんてあるらしい。また、星新一のショートショートを学習させたAIが書いた小説が一次選考を通過したこともニュースとなっている。
手塚治虫を学ばせたAIも話題となっている。
作家性すらAIで代用できる自体はもうそばに来ているのである。
まだそんなSFでなくとも、今の時代、SNSでの組織力、ツール等を使うことで一定水準のクオリティとマーケティングが個人であっても、下手な会社に負けないぐらいの力を持てるのである。
逆に言えば、出版社が持つアドバンテージ自体は時代遅れになっているとも言える。
確かに専門性、技術力が高いなどでは差別化して生き残りはできるだろう。別に有名な歌詞ではないが、ナンバー1からオンリー1というのは戦略的にもいわれている。
しかし、皆が皆、そういったスキルを持っているわけではない。そして、売り上げが減る出版業界の中では、今後人員の削除も出てくるだろう。
今この状況下で書店は倒産に到っている。小さい出版社であっても人ごとではないだろう。
逆にこの状況下だからYouTubeの存在意義が大きくなっているという話も聞く。特にVTuber達は口をそろえて、そう発言をしている印象がある。
先にも語った通り既存メディアの危機的状況なのである。
この状況下では編集者のノウハウ、スキル等でも代用がきく点でも、既存メディアの代用が出てきている点でも、この二重の意味で平凡な存在ではいらなくなるのかも知れない。
何にしても、専門性のあるスキル、資格を持つことは潰しがきくと、今までも散々言われていることであるが。
■『無料』の意義、価値
前回の記事の反応でもあったのだが、作品を世に出せるなら無償でもいい、という考えが素人であってもなんと多い事か。
いや本当、おめでたいクリエーターである。
後で詳しく語るし、先に似たケースは話しているが、この考えはクリエーターの地位を向上に繋がらず、貶めていることにも気が付かず平気で言えているモノだと感心する。
確かに気持ちは分かる。気持ちは分かるから、余り悪くもいいたくはない。
若干、記事に対しての反論として言われた部分もあり、こう書いても信憑性はないかも知れないけど…
ただ、実生活で仕事をしている身ではこんなことは口も裂けても言えない。自分の労働に対して、給料はいりませんなど、と。
会社の面接だって、そんな事をいう人はいないでしょう。ここで働くことが夢であったと語っても、夢だから無償でもいいからなどとは誰も口にはしない。
そもそも、終身雇用だって今だ健在なんて誰も信じていないだろう。
それにインターネットをしていれば、一度は目にするであろう、『らーめん才遊記』、『湾岸ミッドナイト』等の一コマを引用して、お金が発生することで責任が背負うことを割と多くの人が語っている。画像は出さないけどね。
しかし、このことをネット上で代弁として使われすぎて、インターネットミーム化した作品であるが。
だから、作品は知らなくても、このコマだけは知っている人も多いはず。(それだけに『ラーメン発見伝』、『らーめん才遊記』をリアルタイムで評価していた人はどれだけいるのだろうか…ドラマ化にしても、作品性を評価されたのか、コマのインパクトが評価されたのか)
ともあれ、『無償でもいい』なんて軽々しく口に出すべきではない。
確かに今の時代、『無料』で作品が溢れている。
しかし、作品を世に出すことは、収益を出すことである。
例えフリーペーパーとて、収益を出せるから『無料』で『販売』しているだけである。それに『無料提供』と銘打っていても、実際は商品を知ってもらうための宣伝活動である。
決して、『無料』であり続けることで損害を出すことは何処もしていないのである。ただ、ボランティアであれば話は別だが、それでも無計画には無償を提供できる話ではない。
当然、小説投稿サイトもボランティアではない。サービス提供側は広告費等で活動資金としている。いくら、ユーザーが無料で作品を掲載していても、小説投稿サイト自体は見に来るユーザーに対して、広告等を見せることで収益の機会となっている。
フリーペーパーと同じ構造である。
当然、サービス提供側もサーバーやデータ管理等の維持費は発生している。ユーザーがそれを無料で利用できるのはサービス提供側の努力のたまものである。そして、そのためにはサービスが盛り上がる必要がある。
それが出来なければ、結果的にサービス終了となる。
小説投稿サイトでは質の高い作品が集まることが、多くの人が集まる場なり、広告宣伝の場としての価値を高めることになる。そして、サービス提供側にとっての利益であり、結果サービスはより良いモノになりユーザーに還元される。
ゆえに『無料』であっても『無料』とは言いがたい構造である。
綺麗事が通じる世界など、創作であってもあり得ない。それがお金が発生するのなら尚更だ。
最近になって、『カクヨム』はその収益を還元するサービスは出ては来ている。『ノベルアップ+』でもユーザー間によって作品を支援するシステムもある。
確かにユーザーにも還元はされるようにはなっているが、それでもサービス側が得する仕組みである。これはボランティアではない以上、批判する点ではない。
また、最近は余り聞かなくなったが、インターネットで話題になったクリエーターにタダでいいからテレビに出てくれないかと打診されたという話題がよくある。
これは先にも語った通り、タダ働きを励行することはクリエーターの価値を貶めることになる。それは回り回って、他者にもタダ働きを強要することに繋がるからだ。
この考えがクリエーターの地位を向上に繋がらず、貶めているのだ。
これはクリエーターだけでなく、テレビでは有識者の知恵を借りる際も横行しているとか。有識者はその知識でお金を稼いでいるのだ。そして、その知識はお金、労力を経て得たモノ、無料で提供しては割が合わない。だから、よほどのことがない限りは断るのが常識である。
逆に有識者がこの事実をネタにするからタダでもいいよと、いって、それは困るとテレビ側の人間が言い出すケースもあるが。
また、テレビ側だけでなく、インターネットで活動するクリエーターにもこの考えは信仰されている。だから、相手にタダ働きを押しつけて制作を頼もうとする。
この事は余り書きたくないし、調べれば簡単にいくらでも例が出てくるのでわざわざ書かない。
とにかく、『作品を世に出せるなら無償でもいい』という考えは回り回って、自分の地位すら貶める言動である。
そして、これは私の考えである『作家は個人コンテンツを持つべき』とは真逆である。
それでもこの考えを否定する人がいるなら、別に構わない。それもまた自由である。
■締めに向けてのまとめ
私は今の状況下を抜きにしても、個人コンテンツを持つことの意義を色々なニュース、話題から感じていた。そして、それを実行して成功した例もある。当然、その裏では失敗した例も見てきている。
ともあれ、今の時代コンテンツは自ら作る時代になっている。なのに、『Web小説家はなぜ書籍化に依存するのか?』という気持ちが常々あった。別にWeb小説家に限った話ではない。
ただ、漫画家に関してはこういった内容をnote内の記事でもプロ、アマ問わず見つける事ができる。
だから、その結果が前回の記事である。特にWeb小説家限定したのはこういった考えが少ないと印象を受けたからだ。先の編集者がした数十万発言など、その象徴といえるだろう。
確かに従来のシステムでクリエーターを目指す事はダメではない。
だが、それでもより一層、様々な情報を駆使して、作品を作り出す事が求められる。もしくは個性を殺して、市場の求めるコンテンツを淡々と作るという方向もあるかもしれない。ただ、これは代わりが幾らでも聞く労働者と同じ存在とはなるが。
そして、作家性だけで食べていける業界でないのは、昔から変わらないのである。これは役者や声優だって同じ事である。演技のみで生きていくことはできない。
農作物だって、名前の見えない生産者より名前の見える生産者の方が割高であっても買ってしまう。それがブランドでもあり、責任でもあるのだ。
だからこそ、作品と作者の名前が一致する個人コンテンツが必要だと考えている。農作物、農業だってある意味、実施しているのだから。
長々と書いたが、結論としては肩書きは作家であっても、自身で収益に生み出さないのであれば生産性がないと変わらない。
これを会社員に置き換えて考えれば、当たり前のこと。こう例えた方が分かりやすいだろう。
自身を証明するという側面で、個人コンテンツを持つ意義は大きいと思う。そして、それはビジネスにも直結する。
だから、私は商業作品という場では、個人コンテンツを持つことは正解に限りなく近いと考えている。
ただ、前回語った話はスケールが出来すぎたから、親近感が得られなかったとも考えていた。正直、自ら出版することは数千万規模との収益が得られるよ。また、それに対して実例を挙げてもマルチ商法のようなうたい文句である。
本当は好きなことして、収益を得ることで晩ご飯一品増えれる程度なら親近感が得られ、それならやってみようと思わせるには十分である。
なかなか、『まずやってみる』を人に誘導するのは難しい。
■最後に、謝辞を
前回の記事がNPO法人HON.jpのTwitterで取り上げていたのはびっくりした。正直、この団体のことを今までも、今もよく分かっていたのだが…
この記事を書く前から、賛否でいえば否の方が多いのは分かっていた。しかし、これを取り上げていただいたのは、業界としてもここは思う所があったのかなと感じた。
全くの部外者である私が発信したという点が大きいのだろうが…
ともあれ、これだけで前回の記事を書いた意義というか、認めて貰った気がしている。実際は反対的な意味で取り上げたのかも知れない。
それでもきちんとして団体から賛否どちらでも認められたと考えるのは間違っていないだろう。
私個人、ある種、個人コンテンツとして認められたのである。
ですので、感謝を申し上げたい。
■以下、駄文にかえて【改】
2020/8/8以前には有料部分があったのだが、初週でまったく売れないことを鑑み無料部分と一部、有料部分の情報を開示させた完全無料の記事に変更しました。
有料部分で書かれた内容は今後のネタとする予定のため、基本全て開示していく予定である。
この経緯というか反省点などはまた別の機会に書きたいと思っています。
読んで頂き、もし気に入って、サポートを頂ければ大変励みになります。 サポートして頂けると、晩ご飯に一品増えます。そして、私の血と肉となって記事に反映される。結果、新たなサポートを得る。そんな還元を目指しております。