見出し画像

創作界隈での「チート」についてと、ゲームでの「チート」のこれからについて

ゲーム上でのチート行為は厳禁となっていく中で、創作としての「チート」は生き残ることは出来るのだろうか。

創作界隈で使われる「チート」はもはや余所とは違う意味で使われ続けている。用途としての源流であるゲーム界隈とも、本来の英語の意味でも違っている。

ただ、それ以上にゲームにおける「チート」の位置づけは世代の差でも大きく違っている。昔はまだ容認される部分はあった。だが、今は臭わせただけでも炎上、非難される。
仕舞にはゲームだけでなく、ゲーム配信プラットフォームからも追放されてしまうこともある。

創作界隈としての「チート」の歴史や背景は大事かもしれないが、今の流れは見落としてはいけない。

実際、Twitter上で「チート」と検索すると分かるが、チート代行業を始めとして見ていて気持ちのよいモノは出てこない。もちろん、創作界隈での「チート」も検索では引っかかる。
創作界隈で意気揚々と使っている単語はそういうことになっている。

10年後、「チート」の意味合いが完全に変わったとしたら、今のなろう系はタイトルだけで全滅するかもしれない。それほどに今のとチートは昔と変わってきている。

以前、私が書いた記事を元に追加情報を加えて、創作界隈「チート」、現状の「チート」について語っていきたい。

元となったオリジナル記事

■eスポーツによってチート行為は撲滅する

近年のオンラインゲームは『PUBG』、『Fortnite』、『Apex Legends』のようなFPS、TPSで行われるバトルロイヤルゲームが主流になっている。

これらはプレイヤーの素の力が求められるため、今後、eスポーツとして取り入れられ、開発側も競技者も力を入れていくことだろう。

競技となっていく以上、チート行為は厳禁である。
現実でいえば、ドーピングに相当する。

FPS、TPSに置いてチート行為は文字通り無敵ではある。
敵が見えれば、自動で撃ってくれる「エイムボット(オートエイム)」を筆頭にして、ゲームバランスなど無視した行為の数々。

そうなれば、競技としてもゲームとしても成立しない。そもそも、真面目にプレイする人にとってバカらしくなって、そのゲームから離れる切っ掛けにもなりかねない。ゆえにゲームは廃れることになりかねない。

だから、FPS、TPSではチート行為は特に嫌われている。そして、ゲーム会社の対応も永久追放も辞さないほど厳しいモノである。

また、チーミングといった人間同時での談合、裏切り行為に対しても風当たりが強い。

話は少しそれるがVtuberもこういった行為を臭わせただけでも、視聴者からプチ炎上するほどである。
それほどにチート行為だけでなく、談合行為すら許されない。

それは今のゲームはスポーツ同様のスポーツマンシップが求められる、eスポーツへと変化しているからだ。それゆえ、今のゲームは厳格化されている。
実際、eスポーツにおける八百長等でニュースとなり下手をすれば逮捕者も出るケースもある。これには賞金というお金がかかっているから、特にシビアになってくる。

今後、『「チート級」の強さ』といった形容詞的な使われ方は辛うじて許されるかもしれない。それでも「チート=悪」という図式が常識化すれば、たとえでも使われる機会は減るだろう。

競技である以上、プレイヤーの素の力が求められる。

そして、多くのプレイスタイルが認められる中では多種多様な選択が求められる。一見、悪手に見えるスタイルも、ある場面では最適解となることもある。
その中では固定化され、効率にのみ特化したプレイスタイルは決して正解ではなくなる。そして、想定外の試行錯誤こそが新たなスタイルの切っ掛けになることもある。

その努力する姿はチートとは真逆である。

■チートの今後はどうなっていくのか?

今の時代、ゲームにおいてチート行為は許されてはいない。

なら、チートが前提となっていた、一部のなろう系のフォーマットは今後、全否定されることになるだろう。

そもそも、なろう系の主流であるMMORPGをベースとした作品作りも既に時代遅れ感がある。既に『マインクラフト』、『PUBG』といった具合にゲームジャンル自体が移り変わっている。今も流行のMMORPGと聞かれても、なかなかタイトルも出てこないだろう。

そして、MMORPGという大多数が集まる場も、シェア的にソーシャルゲームへと拡散して移っている。ある種、社交の場としてもスタイルは変わっている。

また、大学生はPCを持っていないといわれている時代だ。MMORPGという下敷きが読者にないケースが増えてくるだろう。そうなると、なろう系の一部は伝わりにくい状態になっていくだろう。

そして、時代が進んで過去の作品を読んだ時には、インターネット老人会となりかねない。

また、多くのVtuberもゲーム実況をする中で、そこにゲームのうまさを求めている視聴者はそういないだろう。むしろ、Vtuberのコンテンツを楽しむなり、友人のゲームを見るかのようなコミュニティ感覚で見ている人がほとんどだろう。

また、壺のゲームで有名な『Getting Over It』などの苦行ゲームを通して、成長過程を見る。ここはゲーム実況よりも、芸能人がゲームをする某番組に近いスタイルであるが。

たとえ、Vtuberがチートを得て無双するゲーム動画があった所で何処に共感するだろうか。実際、チーミング行為を臭わせただけで炎上するぐらいだ。また、ゲーム配信も正式に承諾が得られていないと問題になる時代だ。チート行為でプレイしていれば、大問題ではある。

そもそも、TASにしてもチートは正式なタイムには認められない。バグ、裏技も使用してもあくまで実現可能という点でクリアタイムを競い合っている。

だから、なろう系のチートまた、チートスキルは現時点でもゲームスタイル、コンテンツとしても逆行する。

特に今共感されているコンテンツ、Vtuberとは毎日見ることで、その成長過程を楽しむ面もある。そこと比べても真逆な展開である。

ただ、Vtuberをダシにして、なろう系を批判したいわけではない。そもそも、Vtuberは近年のコンテンツ。なろう系は一般的な認知こそ最近だが、その歴史は10年以上と長い。

この相違点は単に時代遅れな点を指摘したいだけである。今の感覚ではなろう系のチートはミスマッチである。

ゆえになろう系のチートの扱いは転換期に来ているのは間違いない。

■効率によってプレイスタイルが固定化された時代と「チート」

そもそも、なろう系のチートは私が思うに「コロンブスの卵」であった。

昔、今でも一部のゲームでは最適化されたゲームプレイはオンラインゲームにおいて絶対であった。それから外れたプレイは悪ともされる風潮さえあった。

最適化されたゲームプレイはいつの時代から始まったのかはよく分からない。少なくともゲームにおいても団体行動が求められるようになった頃という認識で多分間違いない気がする。

だから、オンラインゲームが始まった頃、もしくは多人数プレイが前提としたゲーム、『モンスターハンターポータブル』などからだろうか。そして、その思想はソーシャルゲームにも移る。

私は『グランブルーファンタジー』未プレイだからよく分かっていないが、「古戦場から逃げるな」といった言葉があるぐらいである。

ゲームである以上、親、ルールを握った存在が有利である。オンラインゲームはルール改正ができる以上、抜け道があっても塞がれ、また、突出した結果もプレイヤー間でも妬まれ、排他されることもあった。

だからこそ、より最適化が求められ、その結果、横一列となったゲームは選択肢の幅を狭める結果となる。これらは「効率厨」といった概念となった。

それでも「効率厨」を超えた存在としてチート行為という禁断の果実に手をつけ、万能感を得ることは一つのプレイスタイルとしても存在していた。

そもそも、改造コードという概念はオンラインゲーム以前、スーパーファミコンの時代からでも一部の層で認知され、雑誌媒体でも載っていた。

『モンスターハンターポータブル』なども、そのタイトルの人気もあいまって改造コードは活用されていた。

ただ、『モンスターハンターポータブル』はゲーム性質的に改造コード、チートによって爽快感を得るには今ひとつであった。そのため、「効率厨」に結びついた周回プレイに特化したモノが人気ではなかったかと思う。

ここらのチート体験がなろう系のチートと結びつく原体験ではないかと自分は考えている。ある種、ゲームのうまさの代替えとしての超越行為、それが「チート」である。

そして、「チート」は「効率厨」に対しての「ざまぁ」であり、それが「コロンブスの卵」、「誰にでもできることをなぜ実行しないのか」となる。

■今後のチートの描き方は

多分、今後の創作界隈での「チート」は悪側の特権になってくるだろう。それは現実がより一層強い意味で「チート=悪」となっていくからだ。もし、主人公の能力となれば世間的に非難されるのは目に見えている。

ただ、あくまで批判されるのは「チート」という言葉だけで、神にも悪魔にもなれる力自体は批判の対象ではない。だから、大きな変化はないかもしれない。

それでもMMORPGをベースとした作品作りは時代遅れであるから、根本的な変化は求められている。

そして、今後において人気ゲームジャンルFPS、TPSといった要素が取り込めるかは分からないが、もし取り込めたら余計に主人公に使う「チート」は描けないだろう。
ただ、敵がチートを駆使すれば、鬼に金棒以上であり、無敵の存在に勝ち目はなくなることになりかねない。

だが、果たして、そうだろうか。

『ドラえもん』の大長編では神にも匹敵する存在と単なる少年少女である、のび太達の活躍で何とかなる。ファンタジー小説にありがちな封印といった手も使わずに、秘密道具の組み合わせと発想という切っ掛けで解決をしている。
(ただ、「タイムパラドックス」という究極的な概念で解決させる場合も多いので、封印の方が結果的にはまだ素直な面もあるが)

そもそも、神にも匹敵する存在でなくともよい。「帰ってきたドラえもん」に置いて、ジャイアンとドラえもん抜きでの喧嘩をして勝ちを得ている。

誰もがのび太君であるとすれば、戦う相手とは神ばかりではない。自分の身近にいるガキ大将の方がむしろ、強大な存在である。しかし、道具に頼ることなく、自身の力だけで解決できる存在でもある。

ゲームプレイにおいてもそうだ。好きであるから上手くなれる。好きだから、誰よりも上手くなりたい。だから、負けることも怖くない。

だが、ゲームですら楽しめなくなりチートに逃げることもあるだろう。ただ、その先には何もない。今後はより一層その意味は大きくなる。これは間違いない。
ゲームはスポーツと同義になっていくからだ。今でもルールを無視したスポーツは成立したないだろう。

しかし、ほんの少しの優位性を発見することで新たな楽しみを得ることはできる。
発想力をなくした時点でゲームを楽しむことなど不可能となるだけである。

この点を分からず、「チート」だけに頼るなろう系が何と多いことだろうか。本当に勿体ない。ほんの少しのエッセンスで何倍も面白くなるのだ。それは今までの物語作りでも実績があることである。

■これからも「チート」をし続ける末路は…

チートツールの販売に対しても、今は企業、ユーザーからも激しくバッシングされている。それに対して「皆様に苦痛を与えてしまった」とチート販売業者が声明を出す次第。

より一層、「チート」の締め出しはゲーム業界では急務となっていく中で、創作界隈が悪しき「チート」を使い続ける事は下手をすれば、「チート」擁護と捉えかねなくなる。

そうなると、異世界チートを提供する神すらも、今までの行為を謝罪しなければいけない時代になってしまう。

読んで頂き、もし気に入って、サポートを頂ければ大変励みになります。 サポートして頂けると、晩ご飯に一品増えます。そして、私の血と肉となって記事に反映される。結果、新たなサポートを得る。そんな還元を目指しております。