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4スタンス理論は科学か宗教か-宗教編-

はじめまして。
4スタンス理論と関係ないことばかり書いてると定評のもっちです。
今回も前半はとくに読まなくていいと思います(笑)

前回の科学編に引き続き、今回は宗教編です。内容的に有料にしていますが、4スタンス理論そのものの説明は出てきません

※この記事では一般の方にわかりやすいように骨理学・REASH理論全般を指して4スタンス理論と呼んでいます。

科学編はこちら
完結編はこちら



はじめに

4スタンス理論のよくある噂に「あれ宗教でしょ」があります。
この場合の「宗教」は「根拠に乏しい怪しいものを信じる」というニュアンスで使われるようです。

実はマスター級(有償で4スタンス指導ができるプロ資格)のトレーナーは、骨理学という科学的知見にもとづいた実証を学んでいます。

しかし、一般層にとって宗教(どっちかというと密教?)といわれてしまう理由もよくわかります。この理由は後半で語ります。

「科学と宗教」と言えば先日とある話がバズりました。科学って宗教の一種なんじゃないのって話です。科学を信じるのと宗教を信じるのってあまり大差ないように見えるという主張(ちなみにこれは命題の立て方がおかしい)です。

科学と宗教っておなじもの?

たしかに、宗教が科学の代わりをしている物語もあります。

たとえばギリシャ神話で有名なアキレウス。アキレス腱の語源です。
ホメーロスの叙事詩『イーリアス』でのお話。

アキレウスが生まれると母テティスは、息子を不死の体にするために冥府を流れる川ステュクスの水に息子を浸した。そのとき、テティスの手はアキレウスのかかとを掴んでいたためにそこだけは水に浸からず、かかとのみは不死とならなかった。それゆえ、アキレウスはトロイア戦争でかかとをパリス(一説にはアポローン)に射られて死に到ることになる。

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ピンチになる前にあらかじめ体が強くなる冥府の川に身を浸しておく。そんなことで強くなるわけないじゃんと思うかもしれません。でもこれって「予防医学」に近い考え方です。

宗教上の冥府の川を、科学におけるワクチンに置き換えれば、対応関係があるようにも見えます。あらかじめワクチンで免疫力を活性化しておくというわけです。


科学と宗教は割と共存している

私たち日本人はあまり熱心に宗教を信じない人が多いので、科学と宗教は対立関係にあると思っているかもしれません。

例えばダン・ブラウン原作の映画「天使と悪魔」では、科学を迫害し抹殺しようとしてきた過去のキリスト教の歴史への復讐として、イルミナティが教会の力を崩壊させようとする構図が描かれています。

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大昔、教会は知らないもの(=科学)を恐れました。それまで宗教は絶対的な正義だったのに、いきなり民衆に支持され始めた科学に矛盾を暴かれては困ってしまいます。だから科学を弾圧した時代(魔女狩りなどはその一例)があった、というのがこの物語の背景情報です。

しかし、今でも科学と宗教は共存しています。

よそはよそ、うちはうち観念

例えばインドのガンジスで沐浴すると霊的なパワーが高まるというガンガー信仰。日本ではバイキンだらけで危険という話が有名ですが、現地では科学者が川に身体を沈める場合すらあるといいます。

高名な生物学者にも、「世界は神が作った」を信じる人がいます。意外とこの考え方ってダーウィンの進化論とは矛盾しない(と主張している)んですね。進化論はあくまで進化についてのお話であって、いちばん大元の起源は神様でもいいじゃんという考え方です。

似たようなものでブッシュ元大統領が信じていた「インテリジェントデザイン(ID)説」も有名です。厳密にはID説は宗教における神とは別なので、カトリック教会などは認めていません。とはいえ、科学がまだ証明していない部分を宗教がカバーするパターンは結構あります。

宗教が間違いだと思ってない?

宗教的な内容が科学的にも正しいと証明される場合もあります。

例えば日本の古典が好きな人は結構知っていると思うんですが、昔の日本は多くのことを占いによって決めていました。

特に地位の高い人ほどこの傾向は顕著で、災害が起こると大仏を立てたり、
どこか外出するときは風水で良い方角と悪い方角を確認したりしました。

「外せない用事があるのに今日は玄関の方角の運勢が悪い。そうだ壁ぶち壊しちゃおう」みたいな話って古典を読んでいると結構出てくるんですよ(方違え)。

そんな信仰のひとつである「物忌み」はある意味今でも続く風習です。平安時代の中ごろ以降の物忌みというのは家の中で引きこもって誰にも会わないことを指します。

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この理由は様々ですが、大きな理由の一つが「疫病や穢れに触れないため」でした。当時の日本には細菌学やウイルス学はもちろん存在しません。しかし、悪いものが人から人に広まるという経験則には薄々感づいていました。

この経験則がそれなりに正しいことは科学が証明し、おうちで自粛しましょうみたいな話になります。災害が発生したときの初期対応は科学も宗教も同じことがよくあります。

宗教は長い歴史を持つので、人々の行動を変えるノウハウを持っています。そのため宗教的な経験則が意外と正しいことも(もちろん間違ったこともたくさん)あります。

ワクチンや特効薬といった科学は根本的に災害を打ち破るために有効ですが、科学はむずかしく「知らない」人に恐れられる弱点がいまなお残っています。

人は知らないものを恐れる

ところでワクチンのイメージって人によってちがいます。命を救うものと捉える人もいれば、怖いものと捉える人もいます。

基本的に人はよく知らないものを怖がるようにできてます。

知らない生き物とかキノコにひょいひょい手を出して毒持ってたら死んじゃうからです。知らないものを怖がるという思考回路は進化の産物です。しらないものを怖がった方が生存率が高いからそういう風に進化してきました。

バイオハザードという映画のなかで、ウイルスの力でパワーアップしていた主人公が敵に血清を打たれて一時的に力を失うシーンがあります。そのシーンでは、血清がウイルスに噛みついて無効化するイメージ映像が流れます。

もちろんこれはフィクションです。
しかし、ワクチンにも同じイメージを持ってる人がいるかもしれません。さすがに噛みつくとまでは思わないでしょうが、ワクチンの中身がウイルスを直接退治するんじゃないかという誤ったイメージです。

これ、よくある勘違いです。
仕組みを「知らない」とワクチンはなんか怖くてヤダとなります。反対に、ワクチンを打たない選択をする人の理由を「知らない」とワクチン差別が起こったりします。

ちなみに血清とワクチンも結構違うものです。

ワクチン差別が起こる理由

抗体という言葉は誰でも聞いたことがあると思います。一度病気にかかった人は抗体を持っているから2回目は大丈夫(免疫がいち早く働く)というアレです。

この2度目は大丈夫理論は大昔から経験的に知られていました。そこで、一度感染した他人の血から有効成分を取り出して体に入れれば、自分も大丈夫になるんじゃないのって考えた人たちがいました。

聞いたことあるかもしれません。北里柴三郎です。新千円札の顔であり、第1回ノーベル賞の最終候補にまでノミネートされた人です。

この「1回感染しちゃえば2度目は大丈夫」がワクチンの元の考え方です。北里柴三郎の時代は他人の身体の中で作った抗体(≒血清)を使っていました。別の人の体が作った防御装置をもらってきて自分の体の中で使っちゃおう的なイメージです。

しかし血清療法には弱点がありました。
そもそも誰か感染者がいないといけないし、人の体から取り出すから大量生産がむずかしい。また血清は治療には有効ですが、予防に使っても効き目が長続きするとは限りません。

そこで「最初から自分の身体の中で抗体をつくろう」となったのがワクチンです。最初は「弱らせたウイルスを体に入れてすぐ治す」が主流でした。

先にかるーく感染しといて本番に備える考え方です。今でも生ワクチンと言われるワクチンはこのタイプです。でも、弱らせているとは言え、生きたウイルスなのでちょっと怖いかも。

そこで「生きたウイルスじゃなくて、死んだウイルスの欠片だけ使えば安全に同じことできるじゃん!」と昔の科学者は気づきました。

こういう話を知っていると「ワクチンはあくまで自分の体の免疫をあらかじめ強くしている」のであって、ヤバい成分がウイルスに噛みつくわけじゃないと分かります。

しかし、これを誰でも知っているかというとそうではありません。ワクチン差別をする人は相手がワクチンの作用機序を知らないから恐れているという可能性を無視しているかもしれません。

ワクチン接種を避けた方がいい人の例もメーカーや厚労省からきちんと公表されていましたから、接種を無理強いするのもまたおかしな話です。

利益衡量ができるか

ちなみにワクチンの副作用は、主成分じゃなくてそこに混ざった余計なもので起こることが多いです。製造技術がまだ弱かった頃にワクチンの副作用をよく耳にしたのは不純物が多かったからなんですね。

ワクチンで発熱するのは副作用ではなく、カラダが免疫反応を起こしているから(副反応と呼ばれる)です。カゼをひいた時にもウイルスとたたかうために体温を上げています。

からだがもつ免疫と、それを先に準備させるワクチンの関係性を知れば、恐怖心より理性で判断しやすくなります。接種した方が期待値が高いか、接種しない方が期待値が高いかの利益衡量です。

これは手術なども同じです。手術は身体への負担がかかるので年齢や体力によって、やらずに緩和ケアをした方が良いという判断になったりします。

近年はワクチンの危険性を謳う言説もSNSでは多いですが、反ワクチン関連の論文がハゲタカジャーナルにばかり掲載されている現状を見ると、反ワクチンを信じるのはあまり期待値が高くないように感じています(もちろん最終的な選択は個人の判断にゆだねられます)。

専門用語は1つの判断基準

さらに余談ですが、ワクチンに関するニセ情報を見分ける方法のひとつに「自然免疫」という専門用語の使い方があります。

自然にウイルスに感染して得られる免疫は獲得免疫であり、自然免疫はまた別の現象をあらわすことばです。ワクチンは感染前のからだに獲得免疫を準備させる仕組みです。

これは高校生物でも習う範囲です。この言葉をただしく使えていない発信は恐ろしいレベルのド素人なので信頼してはいけません。


4スタンス理論の宗教っぽさはどこにあるのか

私はあくまで科学(とくに自然科学)に身を置く立場の人間です。宗教に触れることは法事くらいです。

そんな私から見て、4スタンス理論が一部から怪しいといわれるのは次のような理由があると思っています。

1.ネットに公式からの情報が極端に少ない

正直これがほとんどの理由だと思っています。「4スタンス理論」とネット検索すると大量にヒットします。今やってみたら約 1,490,000 件でした。

でも、そのほとんどは非公式な発信です。そのあたりはこちらの記事でも書きました。これ、けっこう悪影響です。

4スタンス理論の指導はプロ資格(公式トレーナー規約参照)が必要です。人のからだを扱うのできちんとカリキュラムを受ける必要があります。ちなみに登録商標でもあるので、資格のない人が適当に指導したり自分勝手なお金儲けに4スタンス理論の名前を出すと商標法違反になります。

でもそんな細かいことはあまり問題ではありません。本当に問題なのは、プロ資格があるくらい指導にスキルが求められる(だからこそレッスン受講者にとってはシンプルで分かりやすい)ということです。

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