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組織とともにあるヒトを幸せにする管理会計?

昨日,ちょっと頭に来たというか,メンタルに来たことがあって食事が喉を通っていない。なんとか自分をコントロールしようとしている。大丈夫,きっと大丈夫だと言い聞かせながら。

それはさておき,今日は投資ファンド氏のアレンジによって,起業以来創業者として事業を構築され,現在では東証1部上場まで導いた経営者(経営者氏としておこう)とのディスカッションだった。同社はソフトウェア開発会社で,Webを見ていると尖ったIR(Investor Relation)をしていて,とてもおもしろくてわかりやすい工夫がなされていた。私のような一介の研究者が話をするにはおこがましいと思っていたが,こちらが勉強させられる,気づきを得る1時間だった。

議論:ヒトも組織も幸せになる管理会計システムって?

今回の主たるディスカッションテーマはヒトも組織も幸せになる管理会計システムの構築とはということだろうか。

経営側は戦略的に企業をどう導くかという大きな視点で捉えつつ,上場企業であるからこそ投資家とのコミュニケーションをいかに行うかも見たい。一方で,現場はコントロール(統制)重視で短期的な視野に陥りやすく,経営側との視座がズレる。ましてや,経営者としては働く個人の尊厳を守りつつ,ジブンゴトとして事業を捉えられるヒトや組織であって欲しい。

しかし,そんな管理会計システムの構築など可能なのであろうか。

今回お話した経営者はその試行錯誤をしつつ,ご自身のビジネスや投資家とのコミュニケーションを通じてどんなことをお考えになったのかについてお話してくださった。

簡単に説明すると,日本企業の管理会計は徹底してPLベースの議論に陥りがち。固定費をいかに配賦するか,しないのだとすればシェアードサービスの効率性をいかに高めるかの議論に終始してしまう。

しかし,欧米の投資家と話をしていると,彼らは徹頭徹尾,投資効率性の話をしてくる。事業それぞれを資産とみなし,その資産から生み出されるリターンがどの程度になるのか。それが小さければ売却,大きくなりうる事業を育てる。資産のアロケーションとしてそれぞれの事業を捉えている。

こうした考え方のポジティブな面は組織やヒトに対してガバナンスが効くということ。投資に対する効果を測定し,評価することを基準に置くからこそ,与えられた資源をどれだけ有効活用できたかという意味での自律的なマネジメントになる。そうした自律的な組織をマネジメントするために,自律的なヒトがいる。強制的にヒトや組織をマネジメントするのではなく,明確な基準で管理,評価をする。それが理想的な姿なのではないかと。日本企業はそうなっていないと。

その中には,私が15年近く前にこの職を得るために書いた論文(連結経営と管理会計に関する論文)に近い議論が出てきた。

某電機メーカーは経営者が掲げる経営改革の名の下,それぞれの親会社・子会社に張り付いていた事業を整理し,会社と事業を関連付けられるようにした。そこには当時盛んに議論されていた資本コストを用いた付加価値計算(残余利益/EVAに基づく)による管理を導入することも含まれていた。そもそもそのメーカーは事業部制において擬似的な貸借対照表と損益計算書を作成し,資本利益率を計算することで業績管理が行われていた。しかし,それでも甘い。結局,PLに基づく事業部のマネジメントが行われていたに過ぎない,アセット・アロケーションという視点からあの経営改革は中途半端(というニュアンスの発言)だという指摘をされていた。

結局,これまでの日本企業は伝統的な管理会計システムを教科書的に導入し,運用することが前提であり,経営者と呼ばれるヒトが階層型組織を統治し,その統治のもとで管理者や従業員と呼ばれるヒトを管理することから脱却できていない。ジョブ型と呼ばれる働き方はこのままではできないし,できないことを前提に組織を作っていかねばならないのだと。

果たして,ヒトが組織に所属しながら,自らの能力を最大化し,発揮して成果を導くことができる組織とはどのようにすれば構築できるか。そうした管理会計システムをどうすれば構築できるのか。ヒトを幸せにする管理会計システムの構築をするためには,経営者としてその部門,ヒトに適した責任の与え方をしたい。そのためには『企業の資産を活用して与えられた責任を果たすことがここで働くことなんだと(無意識的に)意識付けをする必要があるのだ』(意訳)という経営者の強い意志を感じた。

議論はここで終わってしまったが,ハッとさせられる話をすることができた。

そう言えば前回はこういうことを書いた

めぐり合わせとは不思議なもので,前回のミーティングのあと,こんなことを書いていた。

非常に適当な表現だけど,システムをシステムとしてだけ捉えるのではなくて,そこにいるヒトの意識や認知がどのように行われているのかをもっと知りたい。システムにヒトが紐付いているのではなくて,ヒトにシステムが紐付いている。

組織とは目的を共有したヒトによるかたまりを指しているのだから,そこで織りなされるヒトとヒトのコミュニケーションを的確に表現できるManagement Control Systemの構築ということを考える必要があるのだろう。いや,そもそも志ある経営者であれば,このようなことを考えておられるに違いない。これまでもお話を伺った経営者の皆様は,システムをシシステムとしてどうするかではなく,システムを介してヒトといかにコミュニケーションを取るのか,そのヒトを幸せにするためにどのようなシステム=統治の仕組みを導入するのかということを考えておられた。

今日の話の中でも,BSには載らないヒトという無形資産の価値を測定するために,そのヒトが活用できる資産と生み出せる将来キャッシュフローの現在価値の測定みたいなことを考えなきゃいけないのかなみたいなことを考えた。所詮,企業活動を会計情報に載せるとき,ヒトは人件費という形でその期間に消費された資源としてしか認識されていない。「人財」とかいう誤魔化した言葉ではなくて,そのヒトがもたらした成果を測定するのにストック的に測定することの意義を言われている。あ,人的資源会計って話か。これ。

管理会計の教科書的な枠組みは数多ある管理の方法の1つに過ぎない。それが完全な解答ではない。現実は日々更新される。そこに過去に実践され,形式化された知識が蓄えられているけれども,日々それは更新されて然るべきだ。そういう意味での『経営管理システムのデザイン』ということを思考するということも視野に入れておきたい。

自分の中にあるもどかしさ

さて,対話の最後はヒトをどう育てるかという話になった。経営者氏いわく,経営者としては「良質な労働環境の創造」を図りたい。そのためには,それぞれの事業を担う管理者=リーダーを育成したい。そのリーダーには自らの事業資産を有効に活用して,組織としてのパフォーマンスを最大化する方向に向いてもらいたいと仰られていた。

それに対して私は「理想のガバナンスはお天道様が見てるから正しいことをするという考え方のようなものですね」という(本当に)適当なことを言ってしまったが,本来ガバナンスというものは他者によって見つめられるものではなく,自律的なものであるはずだ。

そこで自由を得るために自分が持つスキルセットやリテラシーを高めていくのだが,これを個人で進めていくのか,組織として行っていくのか,企業が提供するのか,個人の意志で行うのか。これを企業としてシステムにいかに設計するのか。そこで働くヒトと企業との関係性が,まだ使用者と被使用者の関係であると捉えられている限り,なかなか個人に委ねることは難しいという見立てなのだろう。

となると,出口としての大学でヒトをいかに育てるかという問題に突き当たる。いや,本来的には大学で育てるのでは遅くて,もっと早い段階で育てるべきものだ。その問題意識があるから高校に行ってアントレプレナーシップ教育をやろうとしているわけだけれども,足元の大学生への教育が十分にできていないもどかしさを感じている。

この数日,スタートアップの管理会計に関する一連の研究成果を読んでいましたが,本当に機能的なことに関する説明がほとんどで「自分がやりたい研究はこういう性格のものではない」ということには気づけた。そして,これから取り組みたいのは,ヒトとともにあるManagement Contorl Systemや管理会計システムとはいかにあるべきか,ヒトが持つ能力を開発できるシステムはいかに構築できるか(開発と書くと危なっかしいけど,でも適当な言葉が見当たらない)を考えるということだろう。その鍵になるのは,ヒトの持つ内発的な動機づけということなのだろうか。わからん。

いや,大学なんだから教育,教育というのもおかしな話なんだけれども,研究やこうしたミーティングで企業経営者とのコミュニケーションを取れば取るほど,もどかしさを感じる。自分の力量不足を強く感じる。気持ちは焦るし,志は高く持とうと思っているけれども,自分の持ちうる力量や能力を鑑みた時に,正直今が限界じゃないのかと。辛い。真っ暗闇に入った気がする。怒りと諦めと前進したいという意欲と自分の立場とで頭の中はもうグチャグチャ。遠心力で飛ばされそうになる感覚。

いろいろな文脈の中で今日の貴重な時間を過ごすことになったのだけれども,こうした機会を頂けることには本当に感謝しています。なんかまとまりのない文章になってしまいましたね。ごめんなさい。

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