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隠れた真実:ZERO to ONEより

ピーター・ティールのスタンフォード大学での講義録をベースにした著書『ZERO to ONE』を改めて読んでいる。ちょっとしたブレイクスルーが欲しかったから。

この本の有名な一説と言えば、「賛成する人がほとんどいない、大切な真実は何か?」という問い。研究者として科学的な問いを立て、それを解いて証明するプロセスに馴染んでいると、実はこの問いに対する答えを窮する。先行研究を基礎とした知の積み重ねを行うことが求められているからだ。しかし、私にとって、この本から得られる示唆は強烈である。

「なぜ僕たちの社会は、知られざる真実なんて残っていないと思い込むようになったのだろう?(中略)でも、現代において未知のものに出会うことはかつてないほど難しい」(p.134)

「隠れた真実」への探究心を奪ってしまうものは何か?

そして、ここからだ。「物理的なフロンティアがほぼなくなったという自然の制約に加えて、四つの社会トレンドが隠れた真実への探究心を根っこから摘み取ろうとしている」(p.134-135)と述べた上で、その4つを1つずつ説明していく。

①漸進主義
「僕たちは幼い頃から、一度に一歩ずつ、毎日少しずつ、学年を追って物事を進めるのが正しいやり方だと教えられる。人より進みすぎたり、テストに出ないことを勉強しても、誰にも褒めてもらえない。期待されていることだけをきちんと行なえば、Aをもらえる」

②リスク回避
「隠れた真実を恐れるのは、間違いたくないからだ。隠れた真実とは、言うなれば『主流が認めていないこと』だ。だから間違わないことが君の人生の目標なら、隠れた真実を探すべきじゃない。自分ひとりだけが正しいと思える状況、つまりほかの誰もが信じていないことに人生を捧げるのは、それだけでも辛い。自分が孤立していて、しかも間違っているかもしれないとなったら、耐えられないだろう」

③現状への満足
「いわゆる社会のエリートたちは、新しい考え方を模索する自由と能力を誰より持ちあわせているのに、隠れた真実の存在を誰よりも信じていないようだ。過去の遺産でのうのうと暮らしていけるなら、隠れた真実を探す理由がどこにあるだろう?」

④フラット化
「グローバリゼーションが進むにつれ、人々は世界を同質的で極めて競争の激しい市場と見なすようになっている。世界は『フラット化』していると言うのだ。そうなると、隠れた真実を探そうという志を持つ人はまず、こう自問する。新しい何かが発見できるなら、世界のどこかで自分より賢くクリエイティブな人たちがそれをすでに見つけているのでは?そういった疑念の声によって、隠れた真実を探し始める前に諦めてしまう。」

隠れた真実が独占を創る。企業を創る。

続けて、ティールは言う。隠れた真実には2種類あると。つまり、自然についての隠れた真実人間についての隠れた真実である。

一般的に、至るところで未だ分かっていない事実がある物理的な世界と異なり、人間についての隠れた真実は「自分自身について知らないこともあれば、他人に知られたくなくて隠していることもある。だとすれば、どんな会社を立ち上げるべきかを考える時、問うべき質問は二つ」(p.142)あるという。それは…。

自然が語らない真実は何か?

人が語らない真実は何か?

そこで、ティールは次にのように述べている。

「自然の謎も人間の謎も、解き明かすと同じ真実に行き着くことがある。もう一度独占の謎を考えてみよう。競争は資本主義の対極にある。(中略)同時に、人間的な側面から問うこともできる。経営者が口にできないことはなんだろう?独占企業は注目を避けるために独占状態をなるべく隠し、競争企業はわざと自社の独自性を強調していることに気づくはずだ。表面的には企業間にあまり違いがないように見えても、実際には大きな違いがある。」(p.143)

その上で、「どこに秘密を探せばいいかは明らかだ——誰も見ていない場所だ」(p.144)と彼は言う。そして、「優秀な起業家は、外の人が知らない真実の周りに偉大な企業が築かれることを知っている」(p.145)とも。

先人が通る道は行き止まりかもしれないから、起業家たるもの隠れた道を行くべきだと。

この点、今、ある街で起こそうとしている動きは「隠れた真実」に着目したことであろうか?多くの人が納得する、期待をする事業というのは利害関係者が多く=船頭が多くなってうまくいかなくなるかもしれない。いかにグリップを握っておくか。うむ。課題。

独自性のある研究を社会科学で行うには

ここで昨日(7/14)に見かけたあるSNSでのある先生の投稿を思い出した。

研究活動は断じて『玉入れ競争』ではない

正直、「???」である。何を言っているのかがさっぱりわからんかった。と言うのは、この先生に私の著書『経営管理システムをデザインする』の書評をお願いしており、その執筆状況について書かれていたから目についた。私の著書がこれまでの研究を全部ごった煮しているものだから、それを表現してのことかと思った。

が、後で聞けば「飛田さんの研究の意義を端的に表現したつもりだよ」という回答を頂いた。ますます「???」である。まさに禅問答のようである。

近年、優秀な若手は国際的な研究競争の中で英語で学会報告をし、論文を書くことに取り組んでいる。英語が苦手で仕方がない私には到底難しい芸当だ。だから、私はある種「オールドファッション」な研究スタイルを選択せざるを得ない。しかも、その中でいかに研究の意義を伝えていくか。これを悩む。

そうした中で、それまでフロンティアであった中小企業を対象とした管理会計研究を続けてきたのだが、果たしてこれは「隠れた真実」に着目をしたものなのだろうか。「隠れた真実」を明らかにできたものなのだろうか。

それは尊敬している2人の先生の書評が出たときに判断することにしよう。もし「隠れた真実」に迫れたのであれば自分も研究者として随一の研究ができたと言うことになるのだろうし、そうでなければ凡庸な研究者だということなのだろう。別に悲観をしているわけではない。現在地が確認できたのだから、また死に物狂いで研究に励もうと思った次第。

今僕たちにできるのは、新しいものを生み出す一度限りの方法を見つけ、ただこれまでと違う未来ではなく、より良い未来を創ること——つまりゼロから1を生み出すことだ。そのための第一歩は、自分の頭で考えることだ。古代人が初めて世界を見た時のような新鮮さと違和感を持って、改めて世界を見ることで、僕たちは世界を創り直し、未来にそれを残すことができる。(ピーター・ティール『ZERO to ONE』(p.253))

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