人間っていつ 壊れるか分かりませんよ 私は、発達障害(ASD,ADHD)の二次的症状で うつ病になり 約半年が経過しました。 今は毎日服薬治療を行っているものの やっぱり、身体が壊れてしまうと なにもかもできなくなってしまうんです 毎日、毎日 元に戻りたいって 元気だった頃(いつかはわかんないけど)に 戻りたいって ずっとずっと願っています 今も ベッドに横たわって カーテンを閉めた真っ暗な部屋で 生きられるか分からない明日のことを考えながら これを書いています お外は
この前、自分宛にあるものが届いた。 パフスリーブが可愛い、バックにはリボンも着いている、淡い空色のドレスだった。 こんな年にもなって、だとか まだそんな夢みたいなことを考えているのね と言われるのかもしれないけれど わたしの中の童心はまだ色褪せることなく 燦々と輝いている。 翌0:00になるまで、私はいろいろ考える。 いつか一生側に居続けてくれるひとのことも それを繋ぐ糸や、紡ぐ言葉のことも 冬に咲く花も美しいことも。 自分の中の本音は歳を重ねるごとに、ミルフィーユのよう
夢をみたい 鮮やかな夢がみたい 起きたら忘れてしまうような夢は ほんとうに夢をみていたのかどうか わからなくなってしまうから 夢をみている 煌めく希望を抱いて夢を描いている いつかこんなふうになれたらと描いた理想図は まだぼくがちいさかったころの 目の輝きのようであった 夢は終わった だから今こうして うたをうたい、うたを書く 夢になりたい 触れるためには 自分自身が 夢でしか 見えないものにならなければ
大人になった今でも 誰かがそばにいないと眠れなかったりふと寂しくなったりするのは 当たり前のことらしい。 もしも今、周りの人を見渡してみた時に すこし怖い雰囲気をまとっている人でも みんな必ず 夜は布団の中にいるのだ。 お風呂に入るときも、みんな裸んぼうになるのとおんなじように 夢の中にいる時だけが、きっと世界中の人たちとつながれる瞬間なのだろうと思う。 転んで擦りむいた傷がかさぶたになったことだったり、くだらないことを共有できるのが夢の中だった。 起きたらすぐに忘れてしまう
今月末で、お世話になっている芸人さんが 地域おこし協力隊の任期を終えて、地元へ戻ることになった。 私も所属する、東北学生お笑いのサークル同士のつながりというものは この人を源として発展していったと言っても過言ではない。 心の底から感謝しています。 私は今年からお笑いサークルに入り、半年しか経っていなくて、時間も、お笑いの舞台の経験も少なくて。 それでも私はこの人がいたから、すぐに輪に入ることができて お笑いという情熱に目を輝かせるたくさんの優しい人たちと出会い、仲良くさせて
昨日の朝のことだ。 私は、絶対に見てはいけないと言ってもいいくらいの怖い夢を見て目が覚めた。 母が死ぬ夢を見たのだ。 年老いた姿ではなく今の時間を生きている姿だった。 実家の和室で、棺桶の中で綺麗な顔で眠っていた。 状況についていくことができない。 家族やら親戚やらいろいろな人が話をしていたけれど 周りの音が残像のようにざわめき、自分の声以外何も聞こえない。 次第にパニックになった。 「ママ、ママ」 私はそう泣き続けるしかなかった。 短い夢だったが、目覚めた時に大き
小学生の頃から、私なりの生き方というのは確立されていたと思う。 仮病で早退してひとりで帰っていたとき、海岸沿いのすぐそばで真っ白な毛並みの猫がこちらを見つめていた。 「ともだち、いない?」 猫は尻尾を振る。自分に意思表示をしている。 「じゃあ、ともだちになろう。」 人間、このくらい気楽に友人を作ることができたらいいのに。 そして私は猫に傘をさして、勝手に私はその猫に「レイン」と名付けた。 毎週末はその子の傍で本を読み、時々居眠りしていた。 由来は無い。 ただ、雨が降ってい
あの子は今も元気だろうか。 朝ドラのヒロインぶるように、窓にいつも、もたれかかっていたあの子は 今も元気かな。 はっきりといってしまえば、顔はあんまり見たことがなかったような気がしたあの子は 今も元気かな。 保健室のベッドで眠っていた時、くちづけをしたような感覚があった。 それはそれはやさしかった。 あの正体は誰なのか。 夢から覚めた時に、ぬいぐるみを抱いていたはずの両手に 不自然な温かさが残っていたことも 胡蝶蘭の花びらが一枚だけ、私の頬に舞い降りてきたことも
昨日、ある大学の学内ライブを見に行った。 自分のふるさとである県のため、帰りに弾丸で帰省しようかなと思い、母に連絡。 「時間遅くなっちゃったけど、今から帰ってもいい?」 数十分後。 「いいよー、いつでも帰っておいで」の返信。 決して寂しくなったとかでは無い。 なぜならこの前の学祭で会ったばかりであるし、なんなら家族と喫茶店にも行った。 終わった時間は20:30頃。 一緒に行ってくれた同サークルの先輩の隣で 一緒に歩いていると、姉から追って連絡が来る。電話をかける。
完成系は夢のままで それでいいのかもしれないですね 言葉をかわさない限り 変化もなけりゃ 辻褄だって合わないでしょうから どうして こんなに綺麗な見た目を しているのでしょうかね それが羨ましくて そのぶんみじめな心は さらに自身の空洞を深くさせるのです 満ち足りないまま生きる毎日 それがもし正解であるならば いっそ先に飛び立ってしまえば 空気のふりをして そばにいられるのでしょうか 血筋すら何もないから だから出逢えたのは 間違いではないのです そうおもいながら 眠
喫茶店に行って、パフェを食べていると マダムが2人窓際で目を閉じ眠っているようだった。 この辺りは、栄えていてはありながら人通りが少なく心地よい、簡単に言えばお気に入りで、難しく言えば宝物であった。 作家としての人生を歩み始めてからというもの、普段と変わらず私は家で集中することに対して無頓着すぎる故、こうして外で読者からの便りを眺めたり、創作のテーマなどを考えたりなど、このお店の固めのプリンを嗜みながら行うのが世間的な休日という日の私の過ごし方であった。 ある時から、同じ封
お盆期間中に帰省した時のことである。 私は帰省して二日目に、突然原因不明の高熱を出してしまい 今年のお盆の墓参りに行くことができなかった。 幸い一日で熱は下がったものの体調が戻らず 結局、帰省した一週間のほとんどを家の中で過ごしていた。 私が大学生になって家を出たことを起点として 家族はそれぞれやりたいことを行うようになった。 父は趣味でひとりで遠くに出かけるときが増え 母は健康維持のためにヨガやサウナに通い 姉は推しのためにさらに仕事を頑張っている。 それで私は より祖母
今回は、いろいろなことをだらだらと話すように語りたいなと思います。 高校生のころまで私は 「20歳になるまで死ぬ、何が何でも死ぬんだ」って思ってました。 ちいさいころから 自分自身を守ること、自分が笑顔でいることが苦手でしかなくて。 まだ許される言葉でいうと躾、でも大人になって、はっきり言ってしまえば精神的暴力だとわかってしまったことをきっかけにして 広い場所で何か言葉を言われると何もかも恐怖を感じるようになって。 そのたびに自分が大嫌いになって。 例えば、学校でクラス
アイスクリーム 甘い 甘いなら 幸せである 愛すこと 甘い そして濃くもあり 幸せである ふたつに共通すること それは とけて 無くなること 不老不死の未来が叶うまでは 生きものはみんな 皮膚も臓器も体液と一緒にとけていく 骨になって死ぬ アイスクリームという食べ物は 熱いところに置いてしまうとすぐ溶ける だから私の周りは「早く食べなさい」と言った 思い出というもの それは一瞬 一生のことを交わしあったとしても きっとそれは一瞬 また日が昇ってからの生活はどうな
「ばあちゃんは、まだここさ行ったことねぇんだよ」 私は小さい頃、世界はとても小さなものだと思っていた。 番組に映るところだけが、国の全てであり、きっと自分も大人になれば世界一周とかいう壮大なことも簡単にできると思っていた。 自分が小さい頃には既に70歳を超していた祖母は、それはそれはいろいろなことを教えてくれた。 大好きだったおやつのレシピ、母が全然作らないような手の込んだ料理の振る舞いだとか、話す時の仕草も何もかも。 昔の給食は、今と比べると美味しくなかったとか時々尖った
お元気ですか。澄幹露乃です。 そろそろいろいろと身バレしそうなのですが 別にそれは良いとして大学2年生前期の振り返りをしようと思います。 今日はいつもと違って、いつも話しているような口調で書けたらいいなと思います。 予めワンクッション置きますが、暗い内容もどうしても含んでしまうのでここで見たくないと感じた方はそっと閉じて頂けると嬉しいです。 4月 無事フル単で2年生に進級し初めて大学で後輩ができました。 率直に言うと全員素敵な人しかいないです。 やりたいことに真摯に向き合