vlog 一歩を踏みだして
お元気ですか。澄幹露乃です。
そろそろいろいろと身バレしそうなのですが
別にそれは良いとして大学2年生前期の振り返りをしようと思います。
今日はいつもと違って、いつも話しているような口調で書けたらいいなと思います。
予めワンクッション置きますが、暗い内容もどうしても含んでしまうのでここで見たくないと感じた方はそっと閉じて頂けると嬉しいです。
4月
無事フル単で2年生に進級し初めて大学で後輩ができました。
率直に言うと全員素敵な人しかいないです。
やりたいことに真摯に向き合うことができて、真面目で。素直で。
なんでしょう、自分とのこの差って。
今通っている大学は自分も作家として活躍する夢を叶えるために入ったのですが、きっと後輩の方が頑張っているのでは?と感じています。
これからもっと仲を深めていきたいと思いますし、今の純粋な気持ちというものを忘れないでほしいなと思います。
いっぱい美味しい物を食べて健やかに生きてほしいです。
みんな大好き。
そして私事でいうと、お笑いサークルに入部しました。
演劇サークルでは役職も持つことになり兼部の形です。
楽しすぎる。
なんで1年生から入らなかったんだろう。
と最初は自分を責めに責めました。一歩を、勇気を踏み出せよと。
お笑いという新たな表現に踏み出して今は本当に良かったと思っています。
今まではずっと演劇(現在6年目)に触れてきて、物語を通して自己を表現していたのですが、お笑いは根本から構想を練って自らの力で、短い時間で人を笑顔にさせるところがすごいですよね。
演劇は、やはり長時間かけて行うものが多いので体力的にも記憶力の面でも辛いところがありますが、お笑いはサクサク進むんですよね。
あくまで私の意見ですが、一生飽きずに廃れないコンテンツだと思っています。
お笑いサークルを通じて他大学の皆様との交流をさせていただけるようになって、人の優しさというものを改めて実感しました。
表情が凛々しくて、熱気があって、優しい。
素晴らしい人達に恵まれていると思います。
優しくしてもらうばかりだと、仲良くできないので私からなにか言葉をかけられるように頑張りたいです。
(ご挨拶はできてもそのあとどう話しかけようか迷走して緊張しまくっているので、気軽に話しかけていただきたいです。私も話しますが、決して怖くないです。本当ですよ。)
自分自身ももっと明るくなって自分をもっと磨いていけたら。それがお笑いサークルでの大きな目標です。
5月
カネコアヤノさんのライブツアーの仙台公演に行きました。
周り、お洒落な人しかいなかったです。
前々から情報を収集して自分もそのライブに見合うように素敵な洋服とアクセサリーを纏ったつもりなのですが、負けてしまったようです。
でもライブ自体は、バンドなのにふわふわと夢の中にいるような不思議な感覚でした。
カネコアヤノさんの歌詞はまるで詩を繋いだ映画のようで、MCアンコール無しの約90分は本当に映画のように感じました。
帰りの高速バスの中で、ラッキーとさびしくないのMVが投稿された時の驚きとともに心臓が飛び跳ねたときの気持ちは忘れられません。
そして嬉しかったのは、カネコアヤノさんの衣装と、私の着ていた服に「フリル付きの襟」が共通して付いていたことですね。
フリルだったりリボンだったり、可愛いものが大好きな自分にとっても、これからも大好きなものはめいっぱい好きで、着ていきたいと思いました。
6月
人生の転機が訪れました。
良い意味ではなく、悪い意味なのかもしれません。
もともと診断されていた発達障害(自閉症スペクトラムとADHDという結構世間的に広まっているものを両方発症済み)に加えて
「うつ病」というちゃんとした診断を受けました。
高校生の時から、精神科、柔らかくいうとメンタルクリニックというものには通っていましたし、母子手帳には1歳にも満たない頃には発達の問題があったことが書かれていたことからそのための療育園に通っていた記憶もあります。
とにかくこの世の中は、自分にとって生きにくいものです。今も。
小中高、悪い記憶しか無かったこととは裏腹に大学生活はとにかく楽しいことばかりでした。
人には恵まれ、環境も良く、4年で卒業するにはもったいないような生活。
脳内では「もう精神科行かなくても良くない?」って思ったことも多かったのですが、それは違いました。
今年に入って、体調を崩す日が増えていきました。
微熱が数日続いたり、胃腸を壊したり、寝ても寝ても治ることの無い疲労感。動悸で起きる朝。フラッシュバックで涙が止まらなくなる夜。
決定的となったのは、いわゆる「パニック発作」でした。
気道にワインのコルクが入ったような、何かが詰まっている感じに毎晩襲われて、深い呼吸をすることを身体が許さないんです。
ああ、人って一度壊れてしまえば戻らないんだ。
と気づいてしまい、今年度から精神科に通い直す決断をして、あっという間に診断されてしまったんですよね。
正直この月が終わったら死のうかなあと軽々しく思っていました。
まだ社会的に未熟な人間が、20歳にもなっていない人間がまさか社会に出る前にうつ病という診断を受けるなんて、と。
天国にいる祖父や曾祖母や祖母の妹さん、そしてご近所さんに会えるなら死んでもいいのかなと、
もともと希死念慮というものは何回も何回も襲われてきて、きっと今がぴったりなのかもなと、ありえないことを考えていたのです。
診断後すぐに頭によぎったのは
「たくさん抱えた状態で演劇もお笑いもできるのか」ということ。
実は今も、半年ほど休学して自分を見つめ直すことや身体を治すことを中心とする生活に変える必要があるんじゃないかとか、こんな人間が舞台に立って良いのか、いろいろなことを考えてしまいます。実施に主治医の先生からも「長期間の休養が必要ですよ」と強く伝えられています。
診断されたとき、自分が高校の時もそうだったように「通信制の大学」に変えて「3年生に進級するとともに実家に帰る」ということも本気で考えていました。
今、通えてるのはたぶん「未練」が大きく関わっているのでしょう。
まだやり残していることもある、叶えられていない目標もある。
そのなかでまた逃げるのか、と自分に問いました。
答えは「向き合う」でした。
大好きな友人、大好きな先輩、優しくて頼もしい他大の皆様と大人のひと、大好きな家族、大好きなお笑い、大好きな演劇...
こんなに大好きなものがあるのに逃げられるわけないだろう、手放せないだろう。
負けないことを、決めました。
話は変わって、診断後すぐ、銀杏BOYZの仙台公演に行ったんですよね。
この時は服薬もしていなかったので、体調は
はっきり言って崩れていましたが、音楽の力ってすごいんですよね。
初めて生で見た銀杏BOYZはものすごくかっこよくて、老若男女色々な人がいて、しゃがれてるけど強い声が建物中を包んで守ってくれました。
明日はなんかいいことあればいいな
明日はなんかいいことあればいいな
ああ僕は僕はいつまでたっても
ドキドキしてたいんだ
良いことばかり待っている未来だと逆に
つまらないのかもしれません。
きっと良いことは探しても待っていてもいいし、どこか先の楽しみを待つ毎日で生きていくと決めました。
今の病状ですが、軽度の方ではあるのでこれからも演劇だったりお笑いだったりはのびのびとエンジョイできると思います、バイトだって学業だって、諦めたりなんかしません。
本当は大会だったり賞レースも出たいと思ってたんですけど、自分の身体はもう普通とは違ってしまったし、この疾患とはおそらく一生付き合わなければならないので、「楽しむ」ことを優先にさせてください。
きちんとやるべきことをやって、休んで、安定した職に就く。
自分に必要なのは、このようなことなのかもしれません。
ちなみになんですが、うつ病にかかったことは両親に言えていないです、いつかサラッと言えたらいいんですけど親は精神病に対して重ーーーーーーーいイメージを持ってるみたいでどうしても話せません。このままだと全部自己負担だよ、お金もこころも、どうしようかなって感じです。
就職できるかな。
就職できるかな。
卒業までお笑いと演劇できるかな。
他大の皆様と仲良くできるかな。
迷惑書けないかな。
これ以上悪化しないかな。
本当にいつか、突然ふっと自分を消してしまうんじゃないかな。
いっぱいいっぱい不安の方が大きいけど頑張っていきます、みなさんもどうか一緒に幸せになりながら生きていきましょうね。
7月
7月はとにかく大忙しでした。
なのでできるだけ簡潔に。
1週目。
他大でネタ見せ会。
なんだあのピンコントは。薄すぎる。
何とか改良していきたいけど、ボツ確定かなと思います。
そのあとはお家にお邪魔させて頂き、河川敷で花火をしました。
いつもネタをするところしか見ていなかったけれど、普段の素の様子が沢山見られて嬉しかったです。
やっぱり、人間はいつまでも子供のようでありたいと思うのだなと感じました。
駅から歩いている時に出会ったちいさな女の子が可愛くて私が「姪っ子に会いたい」と言ったら「俺もいとこに会いたくなるな」と返してくれて、俵万智さんの短歌みたいにほっこりしたこと。
高架下の見えない隙間に登って、見えないように待ち伏せして驚かせようとしたこと。
ハンディファンを当てたらびっくりさせてしまったこと。
スキップしながら、踊りながら、時折猛ダッシュしながら長い道のりを歩いたこと。
先輩方が作ってくれた焼きうどんとおつまみが美味しかったこと。
まだ飲めない数々のお酒を眺めて、20歳が羨ましかったこと。
私だけが起きていた朝方、お土産も何も持っていなかったのでせめてものお礼にみんなが使った食器を洗ったこと。
あの日は本当に本当に楽しかったです。
2週目、確か文化祭の脚本が決定して
オーディションで私は役者になれました、やった!
親は、自分の舞台に立つ姿が好きなようで、「いちばん声が通るよね」と言ってくれます。
自分はやっぱり演劇としての役者のイメージがしっくりときているようで、でもいつかお笑いも見に来てほしい気持ちもあって、色々な気持ちが混ざっています。
今回の公演も、めいっぱい楽しんでやり切りたいと思います。
たくさんのお客さんが来てくれるといいな。
コレサワさんのライブにも行きました。
コレサワさんといったら、ピンクのイメージなので、全身ピンクに包まれてお客さんの中でいちばんかわいいだろうと思うような格好で行きました。
「可愛いよー!!」と何度叫んだのでしょう。
本当にコレサワさん可愛かったです。
ライブハウスの中はきゅんきゅんと甘酸っぱく染まっていました。
3週目。
初めて、仙台のお笑いライブに出演させて頂きました。反省点は、時間配分。さすがに7分は長すぎる。あとは声量。最近は緊張するところ声が縮んでしまうので、そこを改善したいです。
そのお笑いライブの前に、大人の芸人さん、正義正義さんの撮影のお手伝いをさせて頂きました。
当初、学生お笑いに関わる皆さんにお手伝いを要請していたお知らせは1ヶ月ほど前から来ており、たくさん人数がいるのかなと思ったのですが。
私合わせてなんと
3人。
3人!?と思わず声が出てしまいました。
アシスタントにはまえさかチャンネルさんという、東京に上京された芸人さんがいらっしゃって、おふたりとも初対面でしたが優しく接してくださったこと、ここでも心から感謝いたします。
撮影した映像は、正義正義さんの単独ライブ(9/15、せんだいメディアテークで行われます)に使用されるため、ネタバレを避けるために撮影の感想を言いますと
想定外ながらも非常に楽しかった
です。
おふたりともとても素敵な方なので
アカウントを勝手ながらメンションさせていただきますのでぜひ見てください。
正義正義さん
https://x.com/ultrahappy1993?s=21&t=5-mZPaABK8pEONWBAp6E6A
まえさかチャンネルさん
https://x.com/maesakachannel?s=21&t=5-mZPaABK8pEONWBAp6E6A
4週目。
最終課題で忙しすぎました。
でも、雑誌を作る課題は非常に楽しかったです。
おしまい!!
本当に4週目は書ける内容が無かったですね。
これからについて
あっという間に大学生活ももう少しで折り返し地点。今の生活は病気とめいっぱい向き合うことができる時間であり、めいっぱい楽しむ時間であるように感じています。
状態が酷い時も、良い時もあって、毎日変化する身体と心を今は受け止めることはできています。
キーとなるのは、おそらく大学3年生に進級したタイミングだと思います。
そのタイミングで、病状次第でどうなるのか決まるでしょう。
もしかしたら早めに引退してしまうかもしれないし、休学するかもしれないし、通信制の大学へ編入するかもしれない。
ただ、忘れてはいけないことは「楽しむ」こと。
今は、先よりも今のことに視野を広げて過ごしています。
いろいろなことに恵まれている今を、大切にして過ごすことが、服薬を超えたいちばんの治療法だと思っているからです。
そのためにも、後期も頑張って生きようかなって思います。
長くなりましたが、以上
澄幹露乃の大学2年生前期の記録でした!