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vlog 今日の空も綺麗である

今回は、いろいろなことをだらだらと話すように語りたいなと思います。

高校生のころまで私は
「20歳になるまで死ぬ、何が何でも死ぬんだ」って思ってました。

ちいさいころから
自分自身を守ること、自分が笑顔でいることが苦手でしかなくて。
まだ許される言葉でいうと躾、でも大人になって、はっきり言ってしまえば精神的暴力だとわかってしまったことをきっかけにして
広い場所で何か言葉を言われると何もかも恐怖を感じるようになって。
そのたびに自分が大嫌いになって。

例えば、学校でクラスで何か問題が起こったとして、その原因だとか犯人が
Aくんとその他数人で、私自身は全くその問題にかかわっていなくても
叱っている声を聞くたびに怖くて怖くて
何もしてないのに自己否定された気分になって涙が止まらず
夜はそれを何度も思い出して眠ることさえも脳が許さなくて、でも学校は休ませてくれなかったから無理くり制服に袖を通さなきゃいけないのが嫌で嫌で仕方なかったです。
だから私は学校という場所が怖いものだと思っていたし、そもそも集団で何かするもの、運動会とか、修学旅行とか、何かの行事に強制的に参加させられるのもとってもとっても嫌だった。調理実習も本当は嫌いで、不登校や別室登校の子が羨ましかったことをおぼえています。
(だから私は給食の時は教室に入れない友達のもとへ行って一緒に食べたりしてました。気持ちが似てたから心地よかった。今、何してるのかは分からないけど元気でいてほしいなって思ってます)

小中高で全ていじめを受けてきて。
小学校は、同級生と、お姉ちゃんのクラスメイトから
中学校は部活の先輩と同級生から
高校はクラスメイト全員から。(結局通信制に転校して、卒業しましたよ)
人が怖かったんです。

今もね、人と関わるたびに
「嫌われませんように」って思いながら接しています。
自分が何か言葉を発すことで人を不快にさせないだろうかとか
自分がした行動は本当にまちがいじゃなかったのかなとか
みんなが嫌だって思う行動は少しでもしちゃだめだとか。
何年も前の行動を反省したり後悔したり
とにかくいっぱいいっぱい考えてしまいます。

昨日、私の通う大学が主催してくださったあるお笑いライブに出演したんです。
ピンコントと、中MCをしました。正直やらなきゃよかったなあって時間が経って思いました。
言葉って、糸を紡ぐことと似ているんですよね。
人生にはすべて台本があるわけじゃないとわかっていても
即興で何か話す、もうこれはコミュニケーションの問題かもしれないんですけど、やっぱり思ったことを話すのってずっと苦手だなあって思って。
協力してくれた四年生の先輩を困惑させてしまったなあって
動画を振り返ったらまた死にたくなっちゃいました、羞恥心ですね。

きっと周りから見たらそんなことでいっぱい気にするのかと思われるかもしれません。フォローもしてもらったし、反省して次はもっとこうしようとか改善していけばいいじゃんか、と大半の方は思うかもしれませんが
私はそれができません。
今まで受けてきたいじめのすべては、全て自分を否定するような言葉を投げかけられていたので、「何かあったら全部自分のせいだ」という固定概念が今も脳をこびりつけています。
毎日廊下ですれ違っただけで「死ね」って言われたんですからね。


今回は気にしすぎの段階で終わったから良いものの、ひどい時は本当にちょっとのことでも壊れそうになる弱すぎる人間ですよ私は。
自分がいなくなったら、みんな幸せに生きられるだろうなとか。
先に天国にいる、相手からどう思われてたかはわかんないけど、私にとっては大切だった友人の代わりに自分が死ねばよかったとか。
なんか結局、死んでしまったら何もかも無くなるから、ある意味それも正解なのかもしれないですね。

でも、いじめを受けてきてね、良いこともあったんです。

定義されてるような「良いこと」とされていることの
すべてに従順してるわけでもないけど
やっぱり、痛みを受けた分それを超えるような良いことを考えられるようになったこと。
「ありがとう」という言葉の喜びや
笑顔の温かみは心を包み込んでくれること
たとえ自分とあまり話したことが無い人だとしても
出会った人にはそれぞれの人生があるから
その人生が少しでも幸せであることを願うことができるようになったこと
できるだけ平等に接する心がけを大事にするようになれたこと。

人から与えられた痛みを知ったから
人がどうしたら喜んでくれるのかなって
逆転の発想をすることができました。
正解かどうかは別として。

だってね
同じ時を生きている人間を
傷つきやられたから同じようにやり返すっていうのは
傷をさらにえぐっているのと同じじゃないかって

自分が回復したからといって
仕返しするのは
もう少しで治るしるしの
かさぶたをはがすようなものだと思うんですよ

だから高校生までの写真は笑顔が引きつってるけど
今生きてる時間の自分の写真は明るくなった気がするんですよ
集合写真が怖くなくなったんですよ
昨日の自分が写った写真や動画は、口角がにっこり上がっていたような気がします。

でもね、完全には治ってないんです。
いろいろなものと闘い続けてます。
常に空の上のことは片隅にあるというのもあって
病院にも通って、お薬も飲んでいます。
しんどいけれど、恥ずかしくはないです。
家族には話せてないけど。
ゆっくりゆっくり治すものだから
だからまだ生きられています、まだ、ですけれど

前置きという名の自分語りが長すぎてすっごくびっくりしたけど
なんで今日このテーマにしたのか話します。

11月が誕生日だから、私はこの夏で10代最後の夏です。
もうお酒が飲める同級生もいたりして、少し羨ましいなとも思います。
本当は、ここまで生きるつもりもなかったけど
ほんとうに、ほんとうに、
今生きていられるのって関わってるすべての人のおかげだなあって思ったんですよ。昨日のこともあって。
今回は、その人たちに感謝を伝えたくて書いてます。

まずは簡単に要約させてもらうと

いつも本当にありがとうございます
あなたたちが生きてて笑顔でいてくれるから自分はとっても幸せです
みんなの笑顔があれば私も元気です
みんなこれからもずっと幸せでいてね
大好きです。

ということです、本当はみんなの前で言いたいけど恥ずかしいからここで。不思議だなあ、小さいころは「大好きだよ」って素直に言えていたのに。

今の生活、すごく幸せです。
楽しいという感情よりも、恵まれているという幸せを大事にできています。
きっとそれは
暗い過去を大きく引き離すような思い出や人に出会えたからだと思います。
昨日みたいに、すごく幸せで自分の素を出せる日が増えた気がします。
あとは、やっぱりみんなが優しいから自分も優しくなれたり
みんなが笑顔だから自分も笑顔でいられたり
みんなが大好きだから、みんなの幸せそうな顔を見られたら
私は幸せだなあと思えるようになりました。

昨日は、たくさんこれからのことを話しました。
知らなかった話もいっぱい教えてもらいました。
あたたかく、優しく接してくれました。
ずっと笑顔でいられました。
「絶対」という言葉を、遂行しようと心の底から思いました。

休学・退学のことはまだ頭から完全には消えていないけど
でもここまで話して意気投合しあえたのならやりたいこと全部やってから
やれること全部やってから
その後の人生は好きにするかと思いました。
久しぶりに笑えたんですもの。
だったら、そういう日を増やしていけばいいじゃないか。

ああ、本当は
みんなの前で大好きって叫びたい。
きっと人生の中ではたった数年の出来事かもしれない。
もっと大人になって社会に出て、いつか私はみんなのことを
みんなは私のことを忘れてしまうかもしれないけど
私は今の生活が、みんながいるから
人生で一番幸せなんだって、言いたいです。
だから私はこれからも
みんながずっと幸せに健やかに生きられることを願っています。

おーい
死のうとしてた過去の自分、聞こえますか

辛いかもしれないけど、頑張って耐えてくれてありがとう
勇気を振り絞って、本音を言って、担任の先生との面談に踏み込んでくれてありがとう
学校で、自分の部屋で、ひとりの帰り道で
沢山泣いたね
たくさん目の下にクマ作ったね
大変なことはもちろんいっぱいあるけど
今、確実に幸せでいられているよ
もう、人を怖がらなくていいんだよ
頼るときは頼って、あとは自分を律して生きていけるような気力が
大学生になってやっと湧いてきたんだよ
今からでも遅くないよ、大丈夫だよ
「もう少しだけ生きてみるか」
って言い続けてたら
あと2ヶ月で20歳になるよ
10代終わるよ、嬉しいよ

あとねー、まだ全然周りには言ってないけど
実は気になる人もできたんだよ
特徴言ったらバレちゃいそうだから、一言だけ言うと
え、めっちゃタイプって声に出して言っちゃうんだよ
県外の友達にね「前に会った時よりすごく可愛くなってる」って言ってくれたから、会う頻度は少ないしあまり話したことないけど
叶うかは分からないけど、夢かもしれないけど
これから頑張ってアタックしてみようかなと思うよ
外面も内面も自分磨き頑張り続けられてるよ
食べる量も減っちゃったし
全く食べられない日もあるけど
自炊はほぼ毎日頑張れてるよ
いつかその人に食べてもらって、美味しいって言ってもらえるようにって思ってるからね

こんなにいろいろなことがまたできるようになったのだから、もう怖くないよ
毎日悪いニュースばっかりで心は変わらず疲れちゃうけど
少なくとも私の周りは砂漠の中の綺麗なオアシスのようだよ
だから大丈夫だよ
名前の由来のように生きられてるよ
生きてて大丈夫だよ

って過去の自分に言いたいです。

わーーー、語りすぎたーーー!!
でも本当にねー、大好きなんだよなあみんなのことが
まだ先だけど、いつか子供が生まれた時
「お母さんが人生で一番楽しかった頃っていつ?」
って聞かれたら
絶対絶対今のことを答えます。

こんな人間の私ですが、これからも仲良くしてください。
私があまりにも皆さんに頼りすぎているので、信用されてるか不安なので
何かできることがあれば、たくさんやらせてください。
皆さんの努力が全部報われることを祈っています。

今日も生きられて素晴らしいです
息抜いて生きていきましょうね
明日の朝日も、綺麗でありますように

みんなずっと大好きです。
いつも、本当に、ありがとう。















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