ショートショート「あの香り」
喫茶店に行って、パフェを食べていると
マダムが2人窓際で目を閉じ眠っているようだった。
この辺りは、栄えていてはありながら人通りが少なく心地よい、簡単に言えばお気に入りで、難しく言えば宝物であった。
作家としての人生を歩み始めてからというもの、普段と変わらず私は家で集中することに対して無頓着すぎる故、こうして外で読者からの便りを眺めたり、創作のテーマなどを考えたりなど、このお店の固めのプリンを嗜みながら行うのが世間的な休日という日の私の過ごし方であった。
ある時から、同じ封筒と同じ便せんで、定期的に同じ人から手紙が届くようになっていた。人間椅子の現代版かと思ったがそれは違って、喜びの言葉がつらつらと、長く長く書かれていた。
どうしてここまで書いてくれるのだろうか、と疑問に思ったことも当然あったのだが、創作意欲を掻き立てられる一つのものという意識は変わらず、周りにどういわれようとも書き続けた。
しかしながら時間だけが過ぎていき、数年後に結局私は趣味程度でしか筆を進めなくなり、一般企業に就職し結局普通のなかの普通の生活で食べていくことにはなってしまった。
「文章で食べていきたい」と描いてた夢はおとぎ話で終わりを告げたのである。
今日私がこの場所に来たのは、二週間ほど前に閉店の知らせがやってきたからである。就職後、ここに来るのは避けていたものの、かつての宝物に会わないまま手放すのは後悔すると思ったのである。
「プリンパフェを、アイスティーセットでお願いします」
マスターはいつものように微笑んだ。
久しぶりにこのセリフを言ったが、不思議とどきどきとはせずに
最後であろう店の香りを味わった。
木目のにおい、天井のしみ、それは人との繋がりをあらわすもので、またさらに濃くなったように思えた。
私は、このお店からお客さんが居なくなったタイミングを狙って、こう尋ねた。
「これから、どう過ごされるんですか」
マスターは大きく息を吸って、芯のある声ではっきりとこう言った。
「どう過ごすといっても、今までの時間は全て好きだったから、到底変わらないと思いますよ。こうして常連さんと話す時間も、その時の呼吸もみんな愛おしいものでしたから。」
久しぶりに文章であらわれた会話が、この喫茶店での最後の会話だった。
やがてすぐにそこは貸物件となり、マスターの姿は、最後の日の夕日のようにあっという間に居なくなってしまった。
お日様の匂いだけが、密かに残っていた。
あれから、時間だけが大きく進み
私は変わらず同じ場所で過ごしていると
またあの時と一緒の便箋でとある知らせが来た。
文章は変わらずにいたものの
久しぶりに嗅いだ便箋の匂いは変わり
それは、思っていた以上に時が進んだことだと気づくと
ぼろぼろと涙が落ちた。