見出し画像

vlog 温もりは生き方を表す

お盆期間中に帰省した時のことである。
私は帰省して二日目に、突然原因不明の高熱を出してしまい
今年のお盆の墓参りに行くことができなかった。
幸い一日で熱は下がったものの体調が戻らず
結局、帰省した一週間のほとんどを家の中で過ごしていた。

私が大学生になって家を出たことを起点として
家族はそれぞれやりたいことを行うようになった。
父は趣味でひとりで遠くに出かけるときが増え
母は健康維持のためにヨガやサウナに通い
姉は推しのためにさらに仕事を頑張っている。
それで私は
より祖母のことが気になっていた。

私の人生の中で総合的に一番一緒にいる時間が多いのは
祖父母との時間であった。
祖父母は私たち姉妹のことを本当に愛してくれて、そして強い。

幼稚園に入園する前、私は発達の問題が見られ
毎日祖母は私を車に乗せて、一緒に隣町の療育園へ通っていた。
本当にちいさかったころなのであまり詳しくは憶えていないが
クリスマスの近い冬に、園の職員やそのほか園にいる子たちと
小さな部屋でテーブルを囲んで祖母のとなりでショートケーキを食べたことは今でも記憶に残っている。

小学校に入学する直前、東日本大震災があった。
海沿いに住んでいた私たちは、もし津波が来たらいつ命を落とすか分からない状態だった。
夜、祖父は車に姉と私を乗せて
すぐに近くの避難所へ逃げられるように一晩中ラジオを流して
寒い夜の中、「絶対に生きる」という強いまなざしを向けながら

「じいちゃんが守ってやるからな」

と言ってくれたことが今でも濃く記憶にある。
私が小学校に上がったばかりのころは、祖父が車で小学校まで送ってくれ、祖父の「行ってらっしゃい」の声で始まっていた。
きっと祖父は、遅れて始まった小学校生活を少しでも楽しんでほしいと思ってくれたのであろう。



私はそのことを忘れず、ありがとうという気持ちを込めて
今は帰省するたびに、遺影の前で「ただいま」とお線香をあげている。
祖父は私が中学校に上がったばっかりのころ、がんの闘病の末
亡くなり、今年で7年も経ってしまった。
時代が大きく変わり、かわいいかわいいいとこ姪・甥が生まれ、大学生になるとは。
数字としては短い月日だけれど、人生が大きく変わった期間でもあった。

ただ
今でも悔やんでいるのは、そばで看取れなかったことだ。
病院のベッド孤独に旅立たせてしまったことが今でも苦しくて
せめて、死ぬ事が想像出来ないけど
自分の子どもを抱かせてあげるまで、生きていてほしいけど
元気なおばあちゃんのことを看取るまでは
家族とできるだけ近い場所で過ごすことを決めているのだ。

おばあちゃんの涙を、おじいちゃんが亡くなった時に初めて見た。
もうこれ以上、おばあちゃんの涙を見たくはない。

だから、今通っている大学を卒業したら
地元に戻り、実家から通える職に就職しようと考えている。

親は「そういう職なら、まだ踏んだことのない土地でもいいんじゃない?」と言う。
でも私ができることはきっと、最期まで寄り添うこと。
だからおそらく、生涯東北からは出ることは無い。
他の地方に行くとしたらきっと、旅行だとか遊びに行くときだけで
住むということはきっと考えられないだろう。
いちばんの理由は、この土地が好きだからかもしれないけれど。



実家ではずっと、祖母と甲子園を見ていた。
おばあちゃんと私は、確か一緒にテレビを見た記憶も多い。
朝ドラだって、のど自慢だって、新婚さんいらっしゃいだって。
新婚さんいらっしゃいを見ると、必ず
「みいちゃんも嫁っこさいくのか」
と言う。
まだ私学生だよ。
彼氏だっていないんだよ。
結婚できるかはもう少し長い目で見させてね。

地元は海と川に挟まれた地域で湿度も高く、一日中とても暑く、体調的にも外に出ることは難しかった。
おばあちゃんは私が実家に帰るたび、私の体のことを気にしてくれる。

「みいちゃん、煮物作ったから食べんしゃい」

私は下の本名の頭文字をとって、「みいちゃん」と呼ばれている。
祖母は、私になんでも食べさせてくれる。
今のちょっぴりふくよかな私の体形は、家族がくれた幸せそのものだ。

特に私は祖母の作る煮物が大好きだ。
どうしてこんなに暑いのにずっと火のもとで一生懸命作ってくれるの、とさらりと聞くと
「美味そうに食うからだべさ」
と、必ず言う。
祖母は、固い野菜を煮物にすることが多いので、少なくとも40分以上は鍋から離れない。
今年の夏はまたさらに暑かった。
だからそれなのに食べなかったらつくってくれたおばあちゃんが可哀想だと、私は体調の乱れをおばあちゃんの料理の力で取り戻していた。

今は元気だけど、もちろん心配なことも多々あって
私はできるだけ祖母のそばにいた。
冷たい水を保冷コップで祖母のもとに持って来たり、家の掃除をしたり、お線香を上げたり、実家にいたころからやっていたことをめいっぱいした。
それを見ると必ず「みいちゃんは優しいなあ」と、言ってくれるのが
私の幸せである。

おばあちゃん
私、名前の由来の通りに生きられてるかな
きっとおばあちゃんも含めて
今まで生きてきた時のなかで
みんな私に優しくしてくれるからだね
特におばあちゃんは
自分が学校に行くことができなくなったあの時も
何もそのことに触れず
ずっとやさしく見守ってくれたね

お昼寝しながら一緒に見たとなりのトトロが
最近、金曜ロードショーでやってたよ
あのときは
私がメイちゃんくらいの年だったけど
今はサツキちゃんの年からもだいぶ離れたよ
今年に入って
おばあちゃんの背を抜かしたことに気づいたよ
今まで気づかなかっただけなのか
私の背が伸びたのか
おばあちゃんの背が縮んだのか
それは気にしないけど
とにかく
その事実に気づいてびっくりしたよ

大学に入って家を出てから
なかなか会える頻度が減っちゃったけど
できるだけ毎月
おばあちゃんにも、おじいちゃんにも会いに行けるようにするね
何かの記念日には
プレゼントも渡すね

私は
ママみたいなママになりたいし
ママを産んでくれたおばあちゃんみたいな
おばあちゃんになりたいよ
そして
おばあちゃんが私にしてくれたように
もし私に孫ができたら
おばあちゃんみたいにたくさん優しくするし
「おばあちゃんのおじいちゃんおばあちゃんってどんなひと?」
って聞かれたら
たくさんたくさん、あなたがくれた幸せをお話しするよ。

だから
いちばんはおばあちゃん自身がずっと元気でいることだけど
私も頑張って生きるよ

いつか星になるときまで
できるだけ、できるだけ
ずっと病気をせずに元気でいてね

私は
ずっと願っているよ
そして大好きだよ
おばあちゃんも、家族も
みんなみんな大好きだよ。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?