独り言を書くことで生きている

noteにこうやって独り言を書いているから、私は今生きている。

記事を書く体力があるなら本当はさほど病んでないんじゃないかとか、疲れてないんじゃないかとか、そう思う人もいるかもしれない。
でも私の場合はそうではない。
心配されたい訳でもない、単に自分の感情や置かれている状況を書くことがひたすらに生きることに繋がっているんだ。

どんなに疲れていても、瞼が自然と落ちてきても、布団に横になりながらスマートフォンで記事を書く。独り言を書く。

体調が悪くて喉から声を出すのがしんどい時ほど、文章を書きたくなる。
私は本当は自分のことをたくさん話したいんだと思う。

だけど現実の世界ではなかなか人に心を開けず、というより開かず、さも素の自分でいるかのように振る舞うのが得意だ。
弱みは見せない、弱みを見せるだけで相手に「どうにかしなきゃ」と思わせることが辛い。
期待をこめて言っているように思われるのが辛い。
辛いから辛いと言いたいけど、辛いと言ったらその人が私のことを助けなきゃいけないと感じるんじゃないかって。
それはあまりにも周りを振り回していると感じる。

結局、些細なことに気付いてもらうのを待ってるだけなんだろうな。
恐ろしいくらい受け身で受動的で、めんどくさいやつだなと思う。

嬉しい感情は表に出せるのに、ふざけて悲しむことや寂しがることはできるのに、ネガティブな感情にかかったストッパーは自分の力では外すことができなくて、だれかに「言ってごらん」と言われるまでは口をつぐんでしまう。

自分が感じたことをそのまま口に出すと傷つく人や不快な思いをする人がいると知ってから、尚更言葉に気をつけるようになった。
それでもお酒を飲んでしまうとやっぱり素が出てしまうけれども。

あぁ、歌いたいな、思いっきり。
家を移してからもう一回も思いっきり歌ってない。

あぁ、大笑いしたいな、思いっきり。
大泣きしたいな。
蓄積したらダメだと分かっているのについつい溜まっていってしまう自分の気持ち。

土手でギターを弾きながら歌いたいと思ってはいるけどなかなか足が向かないし、今は外に出れるような体調じゃない。
けどこの状況が続くとあまり良くない気がするから、どこかでガス抜きをしないと。

つい無理をしがちだ、つい「私がやればいいや」「私が我慢すればいいや」と思って多少の不満はかき消す。それが蓄積されていく。だめだめ、ちゃんと言葉にして伝えないと、人は言葉で言われないとわからないことが沢山あるんだから。

でも言葉にすることすらめんどくさいと思ってしまうんだ。


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