安心して戻ってこられる場所

四年前の春過ぎ、アトピーで倒れて寝たきりで何も出来ない時に、ネットで探して唯一ピンときた皮膚科に行った。
書いてあった口コミ通り、とにかく待った。
午前九時に着き、整理券をもらって、喫茶店で待って待合室でも待って、整理番号は10番だったのけれどとにかく四時間ひたすら待って、ようやく診察室に通された。
そしてこれも口コミ通り、その先生はとにかく僕に寄り添い、長く重い話を聞いてくれた。


僕はこれまでに本当に沢山の皮膚科で受診をしてきた。
そしてその殆どが、いや全てが、症状だけを見て薬を出して終わりというもので、たまに光線治療とか血液検査とかをしていたけれど、診察スタイルや結果はいつも同じだった。
皮膚科医との対面での診察時間は、どんなに長くても五分が最長だったと思う。
ある時期からは、どこの皮膚科に行こうが、結局自分が一番自分のことを分かっているとの傲慢な結論に達し、診察時は開口一番「今こんな感じなんで○○と○○を下さい」と言い、僕にとって皮膚科はただ薬をもらいに行く所ということになっていた。
つまり皮膚科医には特に何も期待せず、薬に頼るという考えだったのである。

そして四年前、その薬もついには効かなくなり、というか薬でただ抑えられていただけの症状がついに大爆発してしまい、もはやこれまでの対応では済まなくなってしまったのだった。
それは僕の体からの悲鳴でありSOSでもあった。
そして僕は寝たきりになり、深い鬱状態に陥った。


僕の長く重い話を、その先生は僕の目を見ながら、そして時折メモを取りながら、とにかく辛抱強く聞いてくれた。
このような寄り添い方は、以前通っていた精神科の臨床心理士の姿にそっくりだった。
僕は皮膚科でこのような診察をされたことがなかったので、この時も開口一番「今こんな感じなんでもうステロイドや薬は無しでやっていきたいです」と言ったのだけれど、その先生は返事は一旦脇に置き、僕の身に何が起き、今何を思っていて、これからどうなりたいかを聞いてきたのだった。

僕は自分の体と心が、話しながら少しずつほどけていっていることを実感した。
先生とのその空間で、僕が安心というものを久しぶりに感じた瞬間でもあった。

「私は、あなたがこれから良くなっていく為のお手伝いをさせてもらいます」

僕は自分の中の何かが、遠くの方で音を立てて動いたのを感じた。
(『希望の儀式』)

今年から整体を学び始め、それまでの僕になかった新しい軸のようなものが出来つつあるのを実感している。
そしてその整体の考え方やアプローチの方法が、四年前から寄り添ってくれていた皮膚科の先生のアプローチ方法とそっくりなことに気がついた。
そしてもっと大きく言ってしまえば、僕がバーテンダーとしてカウンターに立つ時に持っている心構えにもそっくりなのだった。

それは「寄り添う」ということ。

そしてそれは、言い方を変えると「安心させてあげること」でもあり、また別の言い方をすると「安心して不安にならせてあげること」でもある。
あげること、とは言っているけど、もちろんそんな上から目線では全くなく、寄り添うとはつまり「目線を合わせる」ということであり、「隣で一緒に歩く」ということでもあると思っているので、基本の立ち位置は常に同じ高さでありたいと思っている。

不安というものは誰にでもある。
その不安が必要な時も、場合によってはある。
そしてその不安からは目を逸らすのではなく、誰かと一緒になってその不安に対して向き合っていくという方法もある。
例え一人だとしても、自分にはあの人が付いているとか、何かあったら話を聞いてもらえるとか、または何かあったらあの音楽を聞くとか、あの場所に行くとか、あの頃の自分を思い出すとか、そういう救いとなるような安心がとても大事だと思っている。
安心とはつまり、大丈夫だと思える気持ちでもある。

全然大丈夫ではなくても、信頼出来る人に「大丈夫だよ」と言われながら背中を撫でてもらって何故かほっとしたことがある人は沢山いると思う。
そういうのをただの現実逃避と言う人もいるかもしれないけれど、例え一時でも安心したりほっとして肩の荷を下ろすことが出来たとしたら、自分の外側の問題は何も変わっていなくても、確実に自分自身は変わっているはずなので、もっとそういった心の動きも尊重されるような世の中になればいいと思っている。

実際今の僕も、それまでの考え方だったらちっとも大丈夫ではない状態なのかもしれないけれど、根拠などは全くないように見えても自分に大丈夫と言い聞かせたり、たまに娘からも「パパ、大丈夫だよ」と言われていて、何というかそれだけでもう本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だなと思う。
薬ではどうすることも出来ないことが、言葉や触れ合いなどで変化していくことは絶対あると思っている。

尊敬している同い年のヨガインストラクターである愛ちゃんが、最後のシャバーサナ(屍のポーズ)が終わって右側に体を倒して起き上がる時に、毎回こう言っていたのをふと思い出した。

「いつも誰かに、外側ではなくて自分の中に、安心して戻ってこられる場所があることを感じます」


四年前に僕の中の遠くで音を立てていたものが、今はもうすぐそこまで来ている。

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