![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/52512640/rectangle_large_type_2_39305a77dabe40d3a88a316e0947b250.jpg?width=1200)
新社会人へ|「情報」に支配されないために
こんにちは。
5月半ばにして、はや梅雨入りとは、本当に早すぎますね。
カラッと晴れるのは、2カ月先の夏を、待つばかりになりましたね。。。
イタリアが一部の国に向けて入国制限を解除し、
アメリカが秋以降のビッグイベントをリアルでの再開に踏み切るなか、
日本はいったい何をやっているんでしょう。
もはや国内では、コロナ関連の情報は触れるのもイヤだ、と思っている人も多いのではないでしょうか。
今回は、そんな「情報疲れ」をしている人たちに読んでほしい内容です。
特に、まだ社会に出て間もない人たちは、これからますます新たな情報に触れることになると思います。
そんな状況を迎える皆さんに、ぜひ心得ておいてほしいことです。
■情報は「量」で襲ってくる
現代社会では、私たちが一日に受け取る情報量というのは、すさまじいものだということです。
一説によれば、平安時代に生きた人の一生分、江戸時代の一年分の情報と匹敵すると言われています。
しかも、その量は今も加速度的に増え続けています。
一般的に、私たちが行動を起こすときというのは、何をきっかけにするでしょうか?
それはやはり、ほとんどの場合が「情報」をきっかけにします。
ニュースや動画で見たり、SNSのつぶやきに触れたり、上司や同僚から聞いたり、本で読んだり、あるいは周りの人の動きを感じたりしながら、みずからが取る行動を選んでいるわけです。
つまり、私たちは日々、何かしらの情報を受け取ったら、自分なりにそれらを選別して、自分なりの基準で判断を下し、そして行動に移す、という一連の行為を、数えきれないほど繰り返しているのです。
■情報操作は、まるで呼吸をするようにおこなわれている
そして、厄介なのは、そこに不随するように存在する「情報操作」というものです。
人々に向けて流す情報の量を制限したり、嘘にならない程度に編集したりする行為です。
これは、印象操作とも言われます。
情報を受け取った人が、もともと持っていた考えやスタンスを、「誰かにとって都合の良い方向」に変えるほどの影響力を、本人が気づかないように、巧妙に流し込んでいくことです。
極端な例で言えば、カルト宗教などによる「洗脳」が挙げられますが、そこまでいかなくても、身近な例なら、マスコミによる偏向報道や、情報番組でのやらせ行為などが、よく問題視されていますね。
あるいは、カリスマといわれる講演家やメディアによく出る評論家、動画サイトのインフルエンサーなども同じ力を持っています。
一定の影響力を持つ人たちが、鬼気迫る表情に、強い口調で「こうすることが正しいのです」と強く訴えてくるとします。こうした行為などにも、どこか印象操作の意図を感じることがあるのではないでしょうか。
■情報自体に罪はない
そして、ここで重要なのは、こうした印象操作をする人がたくさんいる、ということなのではありません。
操作をする側に立つのは、なにも宗教団体やマスコミなど、特別な権威を持つ人たちだけではないのです。
例えば、私たちの身の周りで、こんなことが起きたのを覚えているでしょうか。
昨年の春、新型コロナウィルスによるパンデミックが懸念され、最初の緊急事態宣言が発出されたときのことです。さまざまな情報がネットを中心に錯そうを始めました。
その一部の情報によってパニックになった人たちは、スーパーやドラッグストアに走り、トイレットペーパーを買い占めました。あるいは、スーパーやコンビニの棚から、冷凍食品やレトルト食品が消えてしまいました。
この、買い占めという行為は、一部の根拠ないウワサが猛スピードで拡散することによって、引き起こされました。
■でも情報は、私たちの「行動」をあやつる
今になって振り返れば、なんてバカげた行為だったんだろう、と誰もが思うはずです。
ですが当初、買い占めに走った人たちは、この情報を信じ、自分たちのやっている行為をバカげたものだなんて、誰も思っていなかったはずです。
そういう風に考えると、なにも大手メディアやマスコミだけが、情報を操作できる側にいるわけではない、ということがわかります。
「トイレットペーパーが店頭からなくなるかもしれない」という情報を流したのはインフルエンサーではないということですが、怖いのは、場合によっては私たちのような一般の人たちであっても、情報を操作ができる立場に立つことがある、ということなのです。
特に、パンデミックのような有事、たくさんの人が大きな不安を感じている状況では、なにより求められるのは「正確な情報」です。
確かな情報さえあれば、正しい行動ができるから、安心できるのです。
でも、その不安に乗じて、「どことなく正確っぽい情報」や「まことしやかな情報」をSNSなどを使って発信できるのも、事実です。こうしてつぶやいた一言によって、誰だってあのときのように、たくさんの人たちの行動を操作できてしまうのです。
いかがでしょうか。行動は、情報によって決まるといっても過言ではありません。
情報過多といわれる昨今、人が自分の行動を統制することがいかに難しいのか、理解いただけるでしょうか。
量で襲ってくる情報にやられてしまい、
いわゆる「情報疲れ」を起こしている頭では、
もはや正常な判断はおこなえなくなっているに等しいのです。
波のように押し寄せる情報から、いかに「本質」を抜き取るかが、必要だということを、肝に銘じて日々を送りましょう。
一日も早く、心安らぐ日がやって来ることを祈ります。
◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)
人間一般を知ることは、個々の人間を知ることよりも容易である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?