「恐れのない組織」心理的安全性のエドモントン教授の最新本、二度三度と読み返し理解を深めていきたい。
恐れのない組織
「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす
エイミー・C・エドモントン 著 野津智子訳
2021年 2月の本
The Fearless Organization 「心理的安全性」がある状態であれば誰もが率直に意見提起ができ、失敗を恐れずにチャレンジすることができるため、結果としてイノベーションを起こしやすい組織となる。 ざっくり言うと上記が本書の主張であり(現実はどうであれ)ごもっともである。
「心理的安全性」の研究に20年以上も費やされてきた著者、かつ、論文と書籍が引用された総回数51,598という途方もない数字を持つ権威からの最新の本。 「近年では、心理的安全性がチームワークを向上させ、失敗の共有を促進するなど、その効果に対する認識は学会で確立した」とあり、「心理的安全性」を組織にて高めていくことは、もはや必須の課題となっている。
自分目線での話へ切り替えると、「心理的安全性」という言葉は、何度も触れてきたしなんとなくはわかっていたが、書籍にたどり着いたこと(とくにエドモントン教授の書籍)は、初めての経験だ。 いきなり最新書を読むのでなくて、二三冊周辺の本を勉強してから、こちらの本を読んだ方が理解が深かったかもしれない。
(というのも書いてあることはなんとなくわかるのだけれど、日々の日常との差異にも困惑しつつ、かといって日々を嘆いてばかりもいられないので、と、そういった思考が頭の中でぐるぐる回ってしまったか)
また、自分の生き方においても「正直であれ」「真摯であれ」「Be Unique」などといった人生の軸のようなものをもって日々行動しているだけに「心理的安全性」というトピックには考えさせられることが多い。 今後とも勉強を続けていきたい。
さて、自分の見解よりも抜粋引用の方が伝わると思いますので下記多めとなります。
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P14
心理的安全性とは、大まかに言えば「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」のことだ。より具体的に言うなら、職場に心理的安全性があれば皆、恥ずかしい思いをするんじゃないか、仕返しされるんじゃないかといった不安なしに、懸念や間違いを話すことができる。考えを率直に述べても、恥をかくことも無視されることも非難されることもないと確信している。
書籍の前半部分、おそらく何年もかけられてこの表現に至られたのだと推定しますが、自分らしくいられる文化 っていう表現って、素晴らしいですよね。アナ雪の「ありのままで」のメタファーも伝わってきますし、そうなんですよね。オープンマインドで、みんながみんな隠し事をせず、自分のことを(胸襟を)ひらいて、相手のことを分け隔てなく受け入れ、そんなことができるようになれば、世界はもっともっとハッピーになる、そんな印象をもっています。
P60
発言と沈黙の非対称性に関する考え方は、この言葉によっても表現されている ――「沈黙していたために解雇された人は、これまで一人もいない」。 安全第一で行こうとする本能は強力だ。 組織の人々は無意識に、対人関係のリスクを取らない。聖域に足を踏み入れるなど御免被る。 黙っていれば安全であることは100パーセント確信できるが、発言して確実に成果を得られるかどうかは自信が持てない―― チームワークなど、とうてい望むべくもない。
心理的安全性に関わる研究の様々な事例が出てくる中での「発言に対する絶対的信念」 と名付けられた、ほとんど常識となっている「職場における、発言についての当たり前になっているルール」として紹介されたテーマの付近での記載内容。 『一般に、発言に関してそのような思い込み(当たり前になっているルール)があると、高い生産性やイノベーション、あるいは従業員エンゲージメントの実現が難しくなってしまう。』ともある。 率直に話すことがいかに難しいことなのか、ということも紹介してくださっている。
その後、フォルクスワーゲンでの事例、ウェルズ・ファーゴ銀行の事例、ノキアでの事例など心理的安全性の低いときにおこる事例に関して展開される。心理的安全性が欠けていると、うまくいっているという錯覚が生まれ、やがてビジネス上の重大な失敗を引き起こしてしまう、と。
P125
どんなに詳しく書いても、この報告書では ――とりわけ世界の人々に対して―― 十分に伝えられないことがある。それは、この大惨事の背後にある、過失を促したマインドセットである。これが「日本であればこそ起きた」大惨事であったことを、われわれは重く受け止め、認めなければならない。根本原因は、日本文化に深く染みついた慣習 ――すなわち、盲目的服従、権威に異を唱えたがらないこと。 「計画を何が何でも実行しようとする姿勢」集団主義、閉鎖性―― のなかにあるのだ。
黒川が挙げた「染みついた慣習」はいずれも、日本文化に限ったものではない。それは、心理的安全性のレベルが低い文化(率直な発言も抵抗もしたがらない姿勢と、世間に対して体裁をよくしておきたいという強烈な願望とが混ざり合っている文化)に特有の慣習なのだ。
福島第一原子力発電所での大惨事は実は回避可能であったことが認められており、第三者における調査から「事故は明確に人災」であり、「事故の直接原因はすべて予測可能だった」と結論づけられた、との記載の後に記載された、国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、NAIIC)の委員長黒川清さんのご発言。 この章のタイトルは『危険な沈黙』とあり、日本だからこそ、心理的安全性を高めていく行動は、極めて必要だと個人的には判断している。 まさにこの観点での研究は『失敗の本質』が非常に有名だが、続編の読書レビュを下記リンクしておきます。
山本七平:『「空気」の研究』1977年に関してもリンク先では触れられていた。(実はまだ読めていない)
『危険な沈黙』僕は先ほど言った通り、「正直であれ」「真摯であれ」「Be Unique」として生きてきたこともあり、この危険な沈黙というやつは本当に危険だという意見の人間である。その根底があって、沈黙⇒サイレント⇒ Noといいなよサイレントマジョリティー ということでサイレントマジョリティーが発売されたときは、ものすごく共感して欅坂46は一発でファンになった。
あ、ぼくの欅坂に対する思いは下記にて。
脱線してしまいましたの話を元に戻します。あと4つ引用あります。
P144
「あなたには自分の意見や考えを、ともに仕事をする人々に伝える義務がある」ことが示されているためだ。 ある意味、あなたの意見や考えは、あなたや人々が所属する企業のものと言える。ゆえに、胸に秘めている権利はあなたにはないのである。
第5章では、それまでの心理的安全性が低かった職場から逆に高くなった職場ではどうか、という観点での紹介を行っている。『徹底した率直さ』と表現されている節におけるレイ・ダリオ(PRINCIPLES が非常に有名)が従業員に示した姿勢である。 日本文化とは甚だしい違いを感じるとともに、「自分に正直に相手に誠実に」をモットーとして生きてきた自分としては、こちらの文化に向かっていきたいという期待感を強く感じてしまったシーン。
P242
逆に、発言しすぎる人となると、めったに見かけない。私は、基準を過度に下げてあらゆる種類の無駄な、あるいは不適切な発言を自由にさせるのは現実的ではないということより、むしろ、度を越して発言する人が期待するほどいないことを伝えたい。また、もしそのように発言する人が現れたときには、(過度な発言という)この特別なリスクに対し、心理的安全性を減らすという対処法をとるのではなく、発言者にみずからがもたらした影響について意見を伝えるのが最良の対処法である。
そう、ここ何度も読み返したのだけれど、はい、わたくし先ほど記載したモットーとともに、度を越して発言する人 になっている可能性は高いです。自らがもたらした影響、というところは、近年改めて考えながら行動しているつもりです。
P257
たとえば日本では、率直な発言やミスの報告を促そうとしても徒労に終わるというのである。言うまでもなく、この完璧な論理は、トヨタ生産方式という現実にぶつかる。トヨタ生産方式は、たゆまぬ改善と完璧な実行に対するアプローチであり、ヒエラルキーの上下を問わずあらゆる従業員に絶えず、積極的に、進んで誤りを指摘することを求める。これは日本の文化で一般的に行われることなのだろうか、ノーである。では、トヨタの文化に深く根付いているのだろうか、答えはイエスだ。
言い換えるなら、やろうと思えばできるということである。
(中略) 成功できるかどうかは、及第点と言えるくらいの心理的安全性をつくれるかどうかにかかっている。問題やミスについてどんどん率直に話さなければ、質の向上は望めない。躊躇なく支援を求めないなら、従業員のパフォーマンスは平均以下になる。判断に対し恐れず異を唱えなければ、回避可能な大小さまざまの失敗をしてしまう深刻な危険性がある。 そのため、本気で取り組もう。これはあなたがやり遂げるべきことだ。文化的な力に逆らうことになるかもしれないが、やろうと思えばきっとできる。
心理的安全性を組織に高めていく活動を行っていく中で、本書にて学び、そして 本気で取り組もう。これはあなたがやり遂げるべきことだ。という応援をいただいた気がする。 周りが率直な発言ができるよう、普通の方が言いにくいこと、動きにくい営みにおいても、自分としては率先垂範で動いているつもり。 ただ、その営みでも行動をし続けるから度が過ぎた結果となり失敗もある、そうしたときに・・・〇〇〇・・・ やめておきます。
これからもがんばります。
P270 (解説より)
エドモントン教授によると、「信頼」は個人が特定の対象者に抱く認知的・感情的態度であり、「心理的安全性」とは集団の大多数が共有すると生まれる職場に対する態度だ。
(中略)個人間に存在する信頼の影響は、あくまでも信頼を抱く個人と信頼される対象者のやりとりに限定されるが、集団で共有される心理的安全性は集団全体の行動に影響を与える。職場に異なる意見を受け入れる雰囲気があれば、メンバーは率直な提案が可能となる。周りはそれに耳を傾け、チーム全体で建設的な議論を交わす。
一方で、個人間の信頼のままであれば、会議中は各自が自身の思いを胸の内に留め、後に信頼する相手にのみ考えを共有するので、チーム全体の活発な議論にはつながらない。
(中略)そして、チームワーク研究者は「チームは単なる個人の寄せ集めではないので、分解せずにチームとして現象をとらえるべき」と唱え、個人間と集団で起こる心理的現象の区別をより意識的に行うようになった。エドモントン教授も、心理的安全性が単なる個人間の安心感ではなく、集団にしか起きない特殊な心理現象であることを示したのだ。
解説の記述から 「個々人の信頼」という話題と「心理的安全性」は別物という記載を抜粋しておきました。
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以上です。 抜粋も多かったのですがコメントもつけてしまったら(目安としている)4,000字を大幅に超えてしまいました。 構成も不十分で読みにくかった文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。 今週も、ブクログへのリンクで〆たいと思います。 ありがとうございました。(本棚登録797件、レビュー32件だそうです)