見出し画像

【月刊ポップ・カルチャーの未来から/24年2月号】 改めて、僕がポップ・カルチャーについて言葉を綴り続ける理由について。

昨年4月に、「自分のこと」について綴る月次連載「月刊ポップ・カルチャーの未来から」を始めて、もうすぐ1年が経ちます。連載を始めた当初は、その月の活動について振り返る月報、雑誌でいうところの編集後記のようなものを想定していましたが、実際のところ、その月ごとに書く内容がコロコロと変わっていて、いまだに連載のスタイルを確立できずにいます。ただ、僕の中で一貫しているのは、これからライターを目指す(もしくは、ライターという仕事に興味を持っている)次の世代の方たちにとって、何かしらの思考のきっかけを提供したい、という想いです。今回も、今僕が考えていることを思うがままに書き残しておこうと思います。

この連載で、これまで特に大きな反響があった回が、23年7月号「僕がポップ・カルチャーについて言葉を綴り続ける理由について。」と、23年9月号「原稿料0円のnoteを書き続ける理由について。」で、いずれも、僕が音楽や映画について言葉を綴る理由について書いた回でした。その理由や原動力について、それぞれの記事の中で当時の僕なりの言葉でせいいっぱい表現していますが、まだまだ全てを言語化し切れていない感覚がありますし、今もなお日々考え続けています。先人たちの背中を見て憧れを抱いたから。言葉を綴ることを通して、音楽や映画の作り手たちを応援したいから。この時代を生きる者として、この時代のポップ・カルチャーの受容史をしっかりと残しておきたいから。このように、様々な理由が僕の中に並列して存在していて、さらに言えば、もっともっと深く突き詰めていくと、僕の思考の根底には、自分自身を強く突き動かし続ける根源的な理由があるのかもしれません。それはいったい何なのか。

つい先ほど、RHYMESTERの日本武道館公演を観て感じたことを綴った記事を公開しました。とても強く心を震わせられたライブでした。音楽には、「窓」を開く力がある。「窓」を開き、世界と繋がった先に、自分とは異なる他者との相互理解と連帯の可能性が広がっている。音楽って凄い。改めてそう強く感じたし、音楽や映画、小説などを含めたポップ・カルチャーこそが、人間を人間たらしめるもの、人間が人間らしく生きていくために必要なものなのだと深く思い知りました。また、海の向こうでは目を覆いたくなるような悲劇が現在進行形で加速しているけれど、そうした不条理な現実に対して立ち向かうために必要なのが、人間性、つまり、ヒューマニティという武器であり、ポップ・カルチャーこそがその役割を果たし得るのではないかと思いました。

時々、というほど頻度が高いわけではないのですが、たまに、Twitterや Instagramを通して、ライターを目指している方やライターの仕事に興味を持っている方からメッセージを頂くことがあります。数年前、僕の記事を読んでくれたある方が、とても嬉しいことに、ポップ・カルチャーについて言葉を綴る僕の活動に共感してくださり、このようなメッセージを送ってくださりました。(一部抜粋)

定量的に表せないことの価値を考える時、私は、もしも戦争が繰り返されたら、と想像します。 あってはならないことですが、もし戦争がまたなされたら。 音楽や映画は、政府からは真っ先に燃やされそうになる一方で、人々からは烈しく求められるのではないか…表現や芸術はきっとそんな感じで、不確実でもたしかに、人にとってなくてはならないものだと信じています。

このメッセージが届いたのはもう何年も前のことですが、僕は今でもよくこの言葉を思い出します。そしてその時に、必ずといっていいほど同時に思い出すのが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの"転がる岩、君に朝が降る"の歌い出しの歌詞です。

出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっとそれもあるよな

なぜ、あの言葉とこの歌詞が自分の中で繋がっているのか。これまでずっと、その理由を上手く言語化できずにいました。そのぼんやりとした感覚は今も変わらずに胸の中にあるのですが、ただ、先日のRHYMESTERの日本武道館公演を観て、自分の中で何かが少しだけ繋がったような気がしました。もし、ヒューマニティの象徴の一つとしての音楽が、ポップ・カルチャーが、誰かと誰かの相互理解と連帯の可能性になり得るのなら、僕は、それを一つでも多く、広く、伝えていきたい。気分はまさに、《戦争をなくすような大逸れたことじゃない/だけどちょっとそれもあるよな》です。もちろん、綺麗事ばかりでは何も変わらないし、一つひとつの行動の積み重ねによってしか、この日本は、この世界は変わらないけれど、ただ、その微かでも確かな希望を常に持ち続けていたい。そう思います。

今、この記事を書きながら、久々に"転がる岩、君に朝が降る"を聴き返しています。この曲がリリースされた2008年2月のことは、今でもよく覚えていて、当時高校1年生だった僕は、ラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」の中で流れてきたこの曲にエグい衝撃を受けました。ただ、その後しばらくは、その衝撃の理由を、《だけどちょっとそれもあるよな》という言葉に込められた切実なエモーションの正体を、ずっと分からずにいました。あれから16年が経って、今では僕が当時のゴッチの年齢を追い越し、少しだけではありますが、この曲に込められた想いを理解できるようになってきた気がします。それが、とても嬉しいです。

また来月!



【関連記事】


この記事が参加している募集

ライターの仕事

最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。 これからも引き続き、「音楽」と「映画」を「言葉」にして綴っていきます。共感してくださった方は、フォロー/サポートをして頂けたら嬉しいです。 もしサポートを頂けた場合は、新しく「言葉」を綴ることで、全力でご期待に応えていきます。