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【月刊 ポップ・カルチャーの未来から/23年7月号】 僕がポップ・カルチャーについて言葉を綴り続ける理由について。

定期的に、自分が日々のライター生活の中で考えていること、思っていること、悩んでいること、目指していることなどを、少しずつ書き記していこうと思って始めた月次連載、その第4回です。

まず前々回と前回は、いろいろな方から特によくご質問を頂くことが多い「音楽ライターになったきっかけ」について振り返りました。具体的には、第2回では、大学時代の就職活動、第3回では、ライターとして仕事を得るに至るまでの過程を書いています。ライターを目指す(もしくは、ライターという仕事に興味を持つ)次の世代の方たちにとって、何かしらの思考や行動のきっかけを提供できたら、それ以上に嬉しいことは他にありません。


改めて、自分で書いた第3回の内容を読み返してみました。「音楽や映画をはじめとしたポップ・カルチャーについて書きたいという欲求が強くありました。」「ただただ、書き続けたいという情熱だけがありました。」と綴られていて、自分で書いておきながらヤバいくらい狂気じみているなと思いました。手軽に副業を始めようという考えをお持ちの方は、この一節を読んで、何の役にも立ちそうにない記事だと読むのを止めたはずです。その前後で何度か書いていますが、決して損得勘定だけではnoteに記事を投稿し続けられなかったと思いますし、お金を稼ぎたいだけなら他にもっと効率的な方法はいくらでもあると思っています。では、なぜ僕は、それでもポップ・カルチャーについて書き続けているのか。今までしっかりと思考を整理して言語化したことはありませんでしたが、今回、一度足を止めて考えてみようと思いました。


先日、米津玄師のライブを観て、思ったことがありました。彼は終盤のMCで、今回のツアーのタイトルになっている「空想」という言葉にかける想いについて語りました。米津は、幼い頃からフィクションの世界、つまり「空想」の世界に強く惹かれ続けてきた。様々なクリエイターの作品に触れた経験、彼の言葉を借りれば、そうした数々の作品を「観てしまった」「聴いてしまった」「体験してしまった」経験が、強烈な、そして不可逆的な原体験となり、それが今もなお、彼を創作活動へと向かわせる原動力になっている。米津はそれを、「祝福であり呪いなのかもしれない。」と言い表していました。彼が胸の内に抱く表現者としての業を言い表す言葉として、とても的確で、何よりも切実な言い回しだと感じました。

その後の人生を決定付けるような作品を「観てしまった」「聴いてしまった」「体験してしまった」経験に関する話を聞いて、遠からず、自分にも当てはまるかもしれないと思いました。つまり、そうした記事や文章を「読んでしまった」からこそ、僕は突き動かされるようにして文章を書き続けているのではないかと、そう感じました。


では、その記事や文章とは何なのかと言えば、それは、学生時代に読んだロッキング・オンの刊行物だったのだと思います。最初に読んだ記事は何だったかはもう覚えていないのですが、もともと音楽が好きだったので自然と様々な刊行物に触れていました。第2回の記事のトップ写真は、僕が高校生だった2009年〜2010年の「ROCKIN'ON JAPAN」です。感銘を受けた記事、心を動かされた記事の具体例を挙げていくとキリがないのですが、最も鮮烈に記憶に残っているのは、2011年、社長(渋谷陽一)が、BUMP OF CHICKENの藤原基央に、当時の最新シングル『ゼロ』について迫ったインタビューでした。

同曲のサビには、《終わりまであなたといたい》という一節があります。このインタビューは、その歌詞を踏まえた上で、「なぜ藤原基央は、《「永遠」にあなたといたい》ではなく、あえて《「終わり」まであなたといたい》と歌うのか?」という切り口のものでした。BUMPの表現の本質に深く迫る記事になっていて、当時大学2年生だった僕は、とても大きな衝撃を受けました。

うまく伝えるのが難しいのですが、その時、「ある作品を聴いてどう考えたか」「どう感じたか」について言葉にすること自体が、一つの「表現」になり得るのだと思いました。インタビューだけではなくレビューも同じで、少し大袈裟な言い方をすれば、「この作品を、このように受け取った」「このように解釈した」と語る言葉そのものが、一つの独立した「作品」としての価値を放ち得るのだと思いました。そして僕は、そうした言葉による「表現」「作品」を、かっこいいと思ってしまいました。


そしてもう一つ、僕の価値観を決定付けたある文章との出会いがあります。同じく2011年、東日本大震災から数週間後、計画停電中の薄暗い書店で「ROCKIN'ON JAPAN」最新号を手に取り、編集長の山崎さんの記事を読みました。(もともとロッキング・オン社のウェブサイトに掲載されていたテキストが、そのまま「JAPAN」にも掲載されていました。)その記事は、「音楽」について書かれたものでした。

その記事を読み強く心を揺さぶられたあまり、どうしようもないほどに涙が溢れ出てきた時のことを今でもよく覚えています。「理不尽な不幸」によって受けた傷を癒すことができるのは、「理不尽な愛情」である。そしてそれは「音楽」である。その考え方は、今でも自分の信念のようなものになっています。


他にも、挙げていくとキリがないです。大学生になってからは、ロッキング・オンが刊行しているカルチャー誌「CUT」を愛読していました。(前にも書きましたが、実は内定者の時は、「CUT」編集部への配属を希望していました。この雑誌への想いについてはまた追ってどこかで書こうと思います。)自分の心を強く震わせるような数々の記事や文章に出会い、そして、それらを「読んでしまった」からこそ、その体験が今もなお心に残っているどころか、それに突き動かされ続けるようにして、僕はポップ・カルチャーについて言葉を綴り続けているのだと思います。他にも理由はたくさんあると思いますが、一番根本にある理由は、おそらくこれです。


ライターを目指す(もしくは、ライターという仕事に興味を持つ)方たちに、何かしらの言葉を残せるとしたら、自分の人生を揺さぶるような記事や文章に、一つでも多く出会ってほしいと思います。大袈裟に思われるかもしれませんが、例えば、「この人が書く文章、なんか好きだな」と思うことは日常生活の中で意外と多いはずです。いろいろな記事や文章を読んで、自らの心を動かされる体験を積み重ねていけば、それが、今後の書き手としての価値観や指針になるはずです。そうした出会いを増やしていけばいくほど、荒野に放り出されても迷うことはないでしょうし、何より、無我夢中に書き続ける原動力になると思います。


すごく乱暴な締めくくりになってしまいました。今回書ききれなかったことは、また来月以降に書きます。よろしくお願いします!



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