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いつか、映画『ベルファスト』に込められた願いが結実する日が来ますように。

【『ベルファスト』/ケネス・ブラナー監督】

「映画とは、現実を映し出す鏡である」という定説がある。しかしもちろん、ただ単に現実を映し出すことだけが映画の役割ではない。映画には、未来への望みや祈り、そして願いが込められている。

この変えるべき現実を、いつの日か必ず変えてみせる。そうしたクリエイターたちが胸に抱く未来へ向けた想いを、映画を通して、次の世代、次の時代へ向けて継承していく。それこそが、映画を作ること/観ることの輝かしい意義の一つであると、僕は思う。

映画の作り手、そして私たち観客は、未来のために闘い続けている。その闘いには様々なテーマがあるけれど、例えば、暴力や差別、抑圧は、私たちが断固として立ち向かい続けていくべきテーマの一つだと思う。しかし悲しいことに、その闘いは、未だ終わりが見えないばかりか、2020年代に突入して更に混迷を極めている。


1969年の北アイルランド紛争を描いた『ベルファスト』の物語が、2022年現在の世界情勢とリンクしてしまったことは、とても悲しいことだと思う。それでも今作は、数々の分断によって蝕まれた現実の世界に対して、「映画」からの一つの回答を示してくれた。

特に、終盤で、父親が主人公・バディに送った言葉は、時代を超えて継承していくべき力強いメッセージ、未来への願いそのものである。大人が子供へ、つまり、次の世代へ向けて、伝えたいこと、いや、伝えていかなければいけないことが、あの短い言葉に見事に表されていた。


「映画」は、この現実を、現在進行形で加速するこの悲しい物語を、直接的に変えることはできない。だとしたら、この変えるべき現実の物語を変えていくのは、「映画」を観た私たち観客自身である。

その闘いに挑む上で、「映画」は、この現実を正しく批評するための観点を授けてくれる。そして、真に目指すべき未来のビジョンを示してくれる。それは私たちにとって、この仄暗く不透明な時代における、何よりも輝かしい道標となる。

予期せぬ混沌が次々と重なっていく2022年4月現在、世の中全体を見渡せば、視界に飛び込んでくるのは目を覆いたくなるような絶望ばかりではあるけれど、しかし私たちは、決して一人ではない。いくつもの時代を超えて、先人たちが繋いできたバトンは、今の時代を生きる私たちの手に託されている。とても厳しい闘いではあるけれど、未来のために、一つずつ勝機を繋いでいくしかない。

いつか、この「映画」に込められた願いが結実する日が来ますように。




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