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BUMP OF CHICKEN、救済のロック・アンセム20選

20年にわたり、この国の音楽シーンを牽引し続ける稀代のロックバンド・BUMP OF CHICKEN。

自分の人生を彩り、照らし、そして救ってくれるバンドとして、彼ら4人を選ぶ人は本当に多い。

何を隠そう、僕も、BUMP OF CHICKENの音楽に救われている一人だ。

半径1メートルの「宇宙」を描く歌詞世界。日々の生活の気分、願いや祈りを優しく包み込むバンドサウンド。そして、巡り行く「過去」と「未来」、「今」を讃える温かな手ざわりのブルースの響き。

BUMP OF CHICKENのロックを聴くと、まるで、同じソファーに座る親密な友人が、優しく語りかけてくれているかのような不思議な気持ちになる。

20年にわたって邦楽ロックシーンの王座に君臨し続けているバンドだというのに、その等身大な在り方は、今もなお不変だ。

そんな彼ら4人の音楽と出会えたからこそ、僕は、数々の苦難や逆境に、強い信念をもって向き合い続けることができた。孤独を大切なものとして受け入れることができた。そして、かけがえのない他者との繋がりの意味に気付くことができた。

僕の人生を導き続けてくれたBUMP OF CHICKENの音楽に、最大限の愛と敬意を込めて。

全楽曲の中から、「救済のロック・アンセム20選」をここに選出した。

彼らのロックに救われてきた人、これから救われることになる人。全ての人たちの人生にとって、この記事が何かのきっかけになれたら嬉しい。


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【PART 1】 今、初めてBUMP OF CHICKENに出会うあなたへ


まずは、まだBUMP OF CHICKENの音楽に出会ったことがない人のために、彼ら4人の代表曲10曲を紹介していきたい。

BUMP OF CHICKENの楽曲は、どれも、いつまでも色褪せることのないタイムレスな輝きを放ち続けている。デビューから20年、世代を超えて、今も新しいリスナーが増え続けていることが、その何よりの証左だ。

だからこそ、それぞれのリスナーにとって、出会いのタイミングは早くても遅くても関係はない。出会えるということ、出会えたということにこそ、深い意義があるのだ。

この記事を通して、そんな新しい「出会い」が生まれることを願う。


1 "ガラスのブルース"(1999)

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《ああ  僕はいつも  精いっぱい歌を唄う/ああ  僕はいつも  力強く生きているよ/ああ  僕の前に  クラヤミがたちこめても/ああ  僕はいつも  精いっぱい歌を唄う》

BUMP OF CHICKENの原点にして、永遠のマスターピース。若き彼らが、荒削りなバンドサウンドを通して表現したもの。それは、《ああ  僕はいつも  精いっぱい歌を唄う》という高らかな意思表明だ。この曲は、現在においても、ライブの大切なシーンで演奏され続けている。その事実こそが、藤原基央が"ガラスのブルース"に込めた「誓い」の揺るぎなさを証明しているのだ。何度聴いても、彼ら4人が音楽に託す想いの大きさに圧倒されそうになる。


2 "天体観測"(2001)

《見えないモノを見ようとして  望遠鏡を覗き込んだ/静寂を切り裂いて  いくつも声が生まれたよ/明日が僕らを呼んだって  返事もろくにしなかった/「イマ」という ほうき星  君と二人追いかけていた》

リアルとファンタジー。半径1メートルの日常と、果てしなき広大な宇宙。ロックには、それら全てを等号で結び得る力があることを、この曲は堂々と証明してみせた。《見えないものを見ようとして  望遠鏡を覗き込んだ》という一節が象徴的であるが、今、ここにないものを希求するために鳴らされるロックは、数え切れないほどのリスナーの心を射抜き続けている。そうだ、そのイマジネーションと肯定性こそが、僕たちがロックを求める理由なのだ。この楽曲の登場以降、ロックシーンの景色は一変したといっても過言ではないだろう。まさに、奇跡のロック・アンセムだ。


3 "車輪の唄"(2004)

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《泣いてただろう  あの時  ドアの向こう側で/顔見なくてもわかってたよ  声が震えてたから/約束だよ  必ず  いつの日かまた会おう/離れていく  君に見えるように  大きく手を振ったよ》

「物語」を語ることを通して、メッセージを伝えていくという表現手法は、藤原基央による一種の発明だろう。そして、ストーリーテラー・藤原基央の才能が、一つの結実を見せた楽曲が、この"車輪の唄"だ。同曲が収録されたアルバム『ユグドラシル』において、BUMP OF CHICKENの音楽的冒険は一気に加速してゆく。マンドリンやウッドベースの導入といった新たなトライアルが切り開いた音の景色は、圧倒的に美しいものであった。彼らの音楽性は、この時期を境に、もはやギターロックの文脈では語り切ることができなくなってゆく。


4 "ギルド"(2004)

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《愛されたくて吠えて  愛されることに怯えて/逃げ込んだ檻  その隙間から引きずり出してやる/汚れたって受け止めろ  世界は自分のモンだ/構わないから  その姿で  生きるべきなんだよ/それも全て  気が狂う程  まともな日常》

藤原基央の人生哲学、その結晶のような一曲。「腹を空かせる」「休みを請う」といった切実で日常的な描写を通して、人間の根源的な「生」の在り方に、輝かしい意義が見出されてゆく。紡がれる言葉はどれもシンプルであるにもかかわらず、凄まじく壮絶な余韻が残るのは、それ故だ。たった5分49秒の楽曲とは思えないほどに、とてつもないスケール感を浮かび上がらせるこの曲に、自らの人生を想い重ねたリスナーは、きっと少なくないはずだ。


5 "カルマ"(2005)

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《必ず僕らは出会うだろう  同じ鼓動の音を目印にして/ここに居るよ  いつだって呼んでるから/くたびれた理由が重なって揺れる時/生まれた意味を知る》

藤原基央が書く楽曲の共通項。それは、「希望と絶望は等価である」という価値観が通奏低音として鳴っていることである。その根本原理をシビアに追求してみせたのが、まさにこの”カルマ”だ。生きることと、その原罪。両者の堂々巡りの果てに、最後には、自己と世界が繋がる必然性が浮かび上がってくる。この混沌のロック・チューンは、数え切れないほど多くのリスナーに「居場所」を認めてきたのだろう。


6 "メーデー"(2007)

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《息は持つだろうか  深い心の底まで/君が沈めた君を  見つけるまで潜るつもりさ/苦しさと比例して  僕らは近付ける/再び呼吸をする時は  君と一緒に》

音楽の受け手である「君」へ向けて、BUMP OF CHICKENが綴った直球のメッセージソング。心の中に「潜る」という極めて内省的な歌詞世界ではあるが、まるで宇宙に飛び出していくかのようなドラマチックなロックサウンドが轟く。「音楽を通して、リスナーの力になりたい。」彼らが、そうした使命感をより強く抱き始めたことを感じさせる一曲だ。この曲がライブで披露される時の、無数の拳が突き上がる光景は、何度観ても心を震わせられてしまう。


7 "虹を待つ人"(2013)

《そのドアに鍵は無い/開けようとしないから  知らなかっただけ/初めからずっと自由》

2013年のベストアルバム発売、初のスタジアムライブへの挑戦、そしてアリーナツアー敢行。この時期から、僕たちとBUMP OF CHICKENの音楽を通したコミュニケーションは、よりオープンなものへ変わっていった。その光輝かしい変革を象徴するのが、まさにこの楽曲である。大胆なエレクトロ・サウンドの導入に驚かされるが、藤原基央が紡ぎ続けてきた救済のメッセージ、その本質はやはり不変だ。どれだけ大きなライブ会場であろうとも、この曲は、一人一人の心を丁寧に繋いでゆくのだ。


8 "ray"(2014)

《いつまでどこまでなんて  正常か異常かなんて/考える暇も無い程  歩くのは大変だ/楽しい方がずっといいよ  ごまかして笑っていくよ/大丈夫だ  あの痛みは  忘れたって消えやしない》

エレクトロ・ポップとバンドサウンド。そのあまりにも大胆な新結合によって生まれた、テン年代のロックシーンを代表する至高のロック・アンセム。"天体観測"に並び、ライブの要を担い続ける超重要曲である。(なお、初音ミクとの運命的なコラボレーションが実現したのも、この曲であった。)一つ一つの言葉が伝える「別れ」のメッセージは極めてシリアスなものであるにもかかわらず、まるで反比例するかのように、サウンドはポップさを増している。だからこそ、僕たちはこの曲に救われるのかもしれない。矛盾と思われるかもしれないが、それこそ、ポップ・ミュージックにしか起こせない奇跡なのだ。


9 "Butterfly"(2016)

《涙は君に羽根をもらって  キラキラ喜んで  飛んだ踊った/あまりにも綺麗だから  愛されなかった  量産型/悲しいほど強い魂  どれだけ憎んでも消えない  消せない/何よりも綺麗な事  本当は  もっと  知っている  ずっと》

2013年以降の4人は、まるで、自らが生み出した楽曲に導かれるようにして、次々と新しいトライアルを重ね続けてきた。その覚悟と挑戦の連続の旅路が、ついに一つの結実を見せる。"虹を待つ人"、"ray"で開拓したスタジアム・ポップ路線を同曲においても踏襲。その上で、特に圧倒的な進化を印象付けたのは、極彩色の光を燦々と放つ肯定のエネルギーだ。眩い光を受けて、一つ一つの言葉が大空に飛翔してゆくカタルシスは本当に凄まじい。この曲が、これほどまでに広いリーチを獲得しているのは、まだ出会ったことがない「あなた」と繋がるために他ならないのだろう。


10 "新世界"(2019)

《泣いていても怒っていても  一番近くにいたいよ/どんなに遠く離れても  宇宙ごと抱きしめるよ/ベイビーアイラブユーだぜ  ベイビーアイラブユーだ/明日がまた訪れるのは  君と生きるためなんだよ/僕の今日までが意味を貰ったよ》

自分たち自身の第2の「誕生」を祝福するかのような、力強い生命力がみなぎる至福のポップ・ナンバー。単なる《アイラブユー》ではなく、《アイラブユーだぜ》と叫んでみせるところが、どこまでも藤原基央らしいと思う。この曲は、「君」と出会うことで生まれ変わった新しい「世界」へ向けた、渾身のラブソングなのだ。その溢れんばかりのポジティビティに、強く心を動かされてしまう。


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【PART 2】 今、再びBUMP OF CHICKENに出会うあなたへ


彼らの音楽は、長い年月の中でいくつかの世代を超えて、数え切れないほど多くのリスナーに愛されている。

たとえば、BUMP がメジャーデビューを果たした2000年当時に大学生だった人は、今では30代・40代だ。もしかしたら、その中には子供と一緒にBUMPの音楽を聴いている人もいるかもしれない。

一方もしくは、今この記事を通して、久々にBUMP OF CHICKENと「再会」を果たした人も少なくないのではないだろうか。

そんな人たちのために、多くのリスナーが深い思い入れを持っているであろう10曲をセレクトした。

ただ単に初期の作品から選出したのではない。ここで、幅広い年代から10曲をセレクトしている理由は、あなたが愛したBUMP OF CHICKENの音楽は、いつ、どの時期を切り取っても、決して変わらないことを伝えるためだ。

藤原基央が生み出す楽曲は、作品を重ねるごとに明確な変化を遂げているにもかかわらず、いつだって同じ温度、同じ手触りで僕たちを包み、一つに結んでくれる。その輝かしい事実に、このリストを編み上げた僕自身も圧倒されてしまった。

この記事が、あなたとBUMP OF CHICKENの「再会」のきっかけになれたら嬉しい。


1 "アルエ"(1999)

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《ハートに巻いた包帯を  僕がゆっくりほどくから/日なたに続くブリッジを探しておいで/哀しい時は目の前で  大声出して泣いてよ/そんな寒いトコ今すぐ出ておいで  アルエ...》

あまりにも無防備で、ヒリヒリするほどに痛快なロック・チューン。綾波レイ(および、「新世紀エヴァンゲリオン」)への熱き想いを、音楽を通して表現したエモーショナルな楽曲である。まさに、当時のメンバーたちの青春の温度が伝わってくるようだ。そして、どんなに生々しく剥き出しの感情をテーマとした楽曲であっても、ポップな形で届けようという矜恃が、この時から既に確立されていることに驚く。


2 "K"(2000)

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《走った  走った  生まれて初めての/優しさが  温もりが  まだ信じられなくて》

売れない絵描きの男と、一匹の黒猫の物語。フィクションの世界の中からゆっくりと浮かび上がる人生の真髄には、毎回ハッとさせられる。インディーズ時代の異様ともいえる直情的なエネルギーを、余すことなく詰め込んだこの曲の迫力は、今振り返っても圧巻だ。


3 "ラフ・メイカー"(2000)

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《涙で濡れた部屋に  ノックの音が転がった/誰にも会えない顔なのに  もう なんだよ  どちら様?/「名乗る程  たいした名じゃないが  誰かがこう呼ぶ"ラフ・メイカー"/アンタに笑顔を持って来た  寒いから入れてくれ」》

"K"と同じく、ストーリーテリングによって、感情の移ろいを鮮やかに表現してみせた初期の名曲。観念的な言葉を使用することなくとも、エモーショナルな葛藤や些細な心境の変化を伝える藤原基央の作詞術は、この時期から既に絶大なる完成度を誇っていたといえるだろう。やはり、何度聴いても心に染み入る。


4 "Stage of the ground"(2002)

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《迷いながら  間違いながら/歩いていく  その姿が正しいんだ/君が立つ地面は  ホラ/360度  全て  道なんだ》

けたたましく轟くドラミング。切実な祈りのように響くアルペジオ。大陸的なスケールを伝えてゆくコーラス。もはや「ギターロック」の文脈に位置付けることのできない果敢なサウンドデザインは、今改めて聴いても凄い。BUMP OF CHICKENの音楽的冒険は、ここから幕を開けたと言ってもよいだろう。「メンバーが立つステージと僕たちの客席は地続きである」ことを伝えるこの曲がライブで披露される度に、やはり胸が熱くなってしまう。


5 "ロストマン"(2003)

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《君を忘れたこの世界を  愛せた時は会いに行くよ/間違った  旅路の果てに/正しさを  祈りながら/再会を  祈りながら》

失うことをリアルな実感として受け止めてこそ、初めて踏み出せる新しい一歩がある。9ヶ月にもおよぶ難産の果てに生み出されたのは、そんな喪失と再起の一曲であった。極限まで洗練された一つ一つの言葉、その総体としてのメッセージの強度に、強く魂を揺さぶられる。《状況はどうだい》という自身への問いかけ然り、極めて内省的な歌詞世界ではあるが、最後には、鮮烈なバンドアンサンブルが、壮大なロックの景色を切り開いてくれる。その音楽体験は、あまりにも感動的なものだ。


6 "銀河鉄道"(2005)

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《誰もがそれぞれの/切符を買ってきたのだろう/今までの物語を/鞄に詰めてきたのだろう/荷物の置き場所を/必死に守ってきたのだろう/これからの物語を/夢に見てきたのだろう》

「孤独」の本質に徹底的に向き合うことで、初めて他者とのコミュニケーションの回路が生まれる。銀河鉄道の乗客を主人公としたストーリーが伝えるのは、そうした輝かしい真理だ。藤原基央が紡ぐ音楽物語、その最高傑作といっても過言ではないだろう。もちろん、自らの「孤独」と向き合うことは、決して容易なことではない。それでも、優しく爪弾かれるアコースティックギターの調べは、僕たちの背中をそっと押してくれる。


7 "R.I.P"(2009)

《そこに君が居なかった事  そこに僕が居なかった事/こんな当然を思うだけで  今がこれ程愛しいんだよ/怖いんだよ》

僕たちは、全ての「過去」の記憶を完全に共有し合うことはできない。そのあまりにも普遍的な事実に、残酷なほどにリアルな輪郭を与えていく同曲は、そう、あまりにも切ない。しかし僕たちは、その「切なさ」という共通認識を通してこそ、かけがえのない他者と繋がることができるのだ。極めて内省的なテーマを扱った楽曲ではあるが、その射程はあまりにも広い。


8 "宇宙飛行士への手紙"(2010)

《出来るだけ離れないで  いたいと願うのは/出会う前の君に  僕は絶対出会えないから/今もいつか過去になって  取り戻せなくなるから/それが未来の  今のうちに  ちゃんと取り戻しておきたいから》

藤原基央はずっと、「宇宙」へのロマンを音楽に託してきた。この「宇宙」というテーマは、決して天文学を通して解明できるような理知的なものではない。おそらくは、複雑にして壮大な心象風景のトレースなのだろう。僕たちは、大切な人の「過去」を遡ることも、「未来」を覗き見ることもできない。それでも、いや、だからこそ、一瞬一瞬にして過ぎゆく「今」を君と生きたい。なんて美しく切実なメッセージなのだろう。BUMP OF CHICKENの音楽の真髄は、やはりその「切なさ」にこそ宿るのだ。


9 "ゼロ"(2011)

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《終わりまであなたといたい  それ以外確かな思いが無い/ここでしか息が出来ない  何と引き換えても  守り抜かなきゃ/架かる虹の麓にいこう  いつかきっと  他に誰も  いない場所へ》

この残酷で不条理な世界を、それでも「あなた」と生きたい。ファンタジーとリアルが互いに手を取り合いながら、その一つの結論へと僕たちを力強く導く壮大なロック・アンセムだ。《終わりまであなたといたい》という一節がまさに象徴的だが、藤原基央は、ここで《いつまでもあなたといたい》とは歌わなかった。それは、「終わりがあるからこそ、かけがえのない今が輝く」という根本思想の表れそのものだろう。その限界性は、やはりどこまでも切ないものであるが、だからこそ、この現実を力強く生きるためのメッセージとして機能するのだ。


10 "記念撮影"(2017)

《想像じゃない未来に立って  僕だけの昨日が積み重なっても/その昨日の下の  変わらない景色の中から  ここまで繋がっている/迷子のままでも大丈夫  僕らはどこへでもいけると思う/君は笑っていた  僕だってそうだった  終わる魔法の外に向けて/今僕がいる未来に向けて》

スクエアでシャープな音像は、圧倒的な未知性を放ちながらも、そこに乗るカジュアルな言葉たちは、彼らが表現し続けてきた「切なさ」の本質を見事に射抜いている。そう、BUMP OF CHICKENは、分かり合えない「過去」と不確実な「未来」の狭間で、「君」と出会うことができた眩い「今」を歌うのだ。その表現姿勢は、《僕は今を叫ぶよ》と歌った"ガラスのブルース"から見事に一貫している。BUMP OF CHICKENの新たな代表曲の一つとして、これからより広く、より深く愛されていく楽曲になると思う。


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全20曲を振り返って改めて確信したこと。

それは、冒頭にも述べたように、僕は、BUMP OF CHICKENに救われながら生きてきたということ。そしてきっと、これからも僕の人生における道標であり続けていくことだ。

今回、初めてBUMP OF CHICKENに出会った人、再会した人だけはではなく、僕のように、ずっと彼らの音楽に救われている人とも、同じ気持ちを共有できたら嬉しい。



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