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AKB48という、一つの「時代」について。

日本エンターテインメント界における究極のフィクサー・秋元康。

おニャン子クラブ、小泉今日子をはじめとするアーティストをプロデュースすることで、この国における「アイドル」の定義を更新し続けてきた音楽プロデューサーである。

そして、その彼が仕掛けた平成最大のリアリティショー、それがAKB48だ。

「会いに行けるアイドル」というコンセプトのもとに始まった少女たちの物語は、「組閣」、そして「選抜総選挙」という大人たちの仕掛けによって、過剰さ/過激さを増しながら加速していった。

そう、僕たちが与していたのは、少女たちに過度な負荷をかけることによって成立する、あまりにも残酷なエンターテインメントだったのだ。それは、美談や成長物語、少女たちの青春譚といった言葉に容易く回収されるような生温いものではなかった。

前田敦子は、2011年の総選挙で1位を奪還した時、涙を堪えながらこう語った。

「私のことは嫌いでも、AKB48のことは嫌いにならないでください。」

それは明らかに、勝者の言葉ではなかった。彼女がいかなる葛藤の中で、そしてどれほどのプレッシャーを負いながら、あの栄光のステージに立ったのか。もはや、想像を絶する。

何よりも恐ろしいのは、この残酷な構造に加担してしまっているのは、その観客自身に他ならないということである。そのことに気付いた時、アイドルというショービジネスの存在意義、正当性とその根拠を、シビアに問い詰められることになった。そして、ある「臨界点」を迎えた時、僕たちは疲れ果ててしまった。

2012年、専用の劇場も投票システムも持たない乃木坂46がデビューを果たす。ただただ美しく可憐なアイドル像を追い求め、表現の可能性を鮮やかに切り開いてきた彼女たちが、次の国民的アイドルとなり得たのは、やはり、そうした時代の流れにおける必然だったのかもしれない。

2009年から毎年続いてきた「選抜総選挙」は、令和元年、2019年には開催されないことが発表されている。

新たなムーブメントの幕開け、そして終焉。

AKB48という現象それ自体が、日本アイドル史における一つの「時代」だったのだ。



※本テキストは、「【永久保存版】 僕たちを「次の時代」に導いた平成の邦楽30曲」の一部を抜粋・再編集したものです。


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