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【月刊ポップ・カルチャーの未来から/24年4月号】 ライターの力を必要としてくれる人の存在。

いつもは記事の中に書くことのない「自分のこと」について綴る月次連載「月刊ポップ・カルチャーの未来から」。昨年4月に始め、音楽ライター・映画ライターとして活動する日々の中で考えていることをその時々ごとに綴り続けて、今回から2年目に突入です。これからライターを目指す(もしくは、ライターという仕事に興味を持っている)次の世代の方たちにとって、何かしらの思考のきっかけを提供したい、という想いで、今回も今僕が考えていることを思うがままに書き残しておこうと思います。過去回は、マガジン「月刊ポップ・カルチャーの未来から」からどうぞ。

この連載では、23年7月号「僕がポップ・カルチャーについて言葉を綴り続ける理由について。」23年9月号「原稿料0円のnoteを書き続ける理由について。」、そして、24年2月号「改めて、僕がポップ・カルチャーについて言葉を綴り続ける理由について。」と、計3回にわたって、僕が音楽や映画について言葉を綴る理由について書いてきました。今回は、ライターとしての活動を続ける中での手応えについて書こうと思います。とても果てしないテーマで、その全てを明確に言葉にして表すのは非常に難しいのですが、今思っていることをつらつらと書いていきます。

まず、手応えの定義からして様々です。例えば、自分が担当した記事(インタビュー/ライブレポート/レビューなど)をたくさんの人に読んで頂けることで得られる定量的な手応えがあれば、読者の方や依頼者の方からとても嬉しい感想を頂くことで得られる定性的な手応えもあります。また、ライターとしての仕事の獲得という文脈で言えば、依頼者の方から「新しい案件を依頼してもらえる」という事実そのものが、過去の仕事に対する一つの手応えになります。僕は、このような手応えをモチベーションにしながらライターとしての活動を続けていますが、ただ、必ずしも全ての記事についてそうした分かりやすい実感を得られるわけではありません。

時代の大きな流れとして、人々が情報を得る主な手段が活字メディアから動画メディア・音声メディアへ移行していて、それに伴い、特にこの10数年ほどで、音楽雑誌や映画雑誌の廃刊が相次いでいます。遡ると、情報を得る手段としての雑誌の存在感が強かった90年代(〜00年代)までは、雑誌を買って、アーティストの長文インタビューや長文レビューを読む、という習慣が多くの人に染み付いていました。しかし、近年の相次ぐ書店の閉店も相まって、今の10代〜20代の多くの方にとっては、本屋で雑誌を買うという行為そのものが馴染みのないものになりつつあります。また、ウェブメディアの記事についても、世の中全体的にタイパ重視のものが増えていて、短く、端的な記事が好まれ、逆に、あまりにも長すぎる記事は読者から避けられる傾向が強くなっているように感じます。よくニュースなどで、「若者の活字離れ」というトピックスを目にしますが、若者に限らず、こうした流れが進んでいるのは一定の事実だと思います。

そうした時代の変化をひしひしと感じる中で、時には、ライターとして無力感や虚無感を感じることもあります。特に、雑誌にしてもウェブメディアにしても、「どれだけ多くの人に記事を読んでもらえたか」という定量的な手応えばかりを追い求めてしまうと、やり切れない気持ちに陥りやすいです。そうした時代において、では、どうして僕はライターとしての活動を続けているのかと言えば、まずは、この連載の過去回でも書いたように、自分の中に言葉を綴る確固たる理由があるから。次に、幸いなことに、こうした「活字離れ」の時代においても、活動を続けるに足る一定の手応えを得ることができているから。そして3つ目が一番大事なのですが、音楽や映画を言葉にして綴る力を必要としてくれる人がいるからです。

必要としてくれる人は、必ずしも音楽メディアや映画メディアの方だけではありません。僕の音楽ライターとしての実体験で言うと、各レコード会社や各事務所の中にも、その力を求めて声をかけてくださる方がいます。そうした方たちの中には、第三者(ここで言うところのライター)による言語化作業を介することによって、アーティストの活動が大きく前進したり、新しい可能性が開かれることを、過去の経験から理解されている方が多いです。例えば、最も分かりやすいのがインタビューやレビューです。客観的な観点(ビュー)を持つライターとの対話を通して、アーティスト自身、また、レコード会社・事務所のスタッフ自身が新たな気付きを得て、それが次の活動にポジティブな形で繋がっていく。長年にわたり、そうしたサイクルの繰り返しを通して成功体験を積み重ねてきたスタッフの方の多くは、音楽ライターの役割や技術に対してリスペクトを示してくださります。もちろん、アーティストやスタッフの方を巻き込みながらそうしたサイクルを生み出してきたのは、音楽メディアやライターの歴代の先人たちで、その末端を担う者として、そうした方たちには頭が上がりません。

音楽ライターとしての力を必要としてくれる人、求めてくれる人が、確かに存在する。そう感じられることこそが、活動を続ける中での非常に大きな手応えであり、また、鶏が先か卵が先か、のような話になりますが、その手応えは、その後の活動を続ける理由にもなります。僕自身、まだまだ微力ではありますが、頂ける期待には全力で応えていきたいと思っています。

また来月!



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松本 侃士
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