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自分を甘やかすことと許すことは何が違うんだろう?

 現在、17時25分。友達との夜ごはんの待ち合わせは19時なのに、もう約束の店の近くのカフェまで来てしまっています。時間を持て余していますが、仕事を辞めて時間ができてからはよくあること。余裕を持って行動しようという思いから、こんなに早く着いてしまいました。

 でも、私にとっては都合のいい時間です。noteをゆっくり書くことができるから。

 最近考えていたことは、自分を甘やかすことと許すことの違いってなんだろうということです。

 私はうつになってから、思いっきり自分を甘やかしています。無理をしないようにのんびり生きています。でもそれって本当に甘えているだけなのでしょうか?

 一つ前に書いたように、私は受けようと思っていた資格試験の受験を辞めました。私はそれについて、「これって甘えすぎかなぁ」と思っていたのですが、ふと気がつきました、これは「許し」だと。

 受験を辞めたことによって、私は悩みと罪悪感から解放されました。「資格くらい取っておかないと、休んでいるのに何もしてない人だと思われる」という誰に対してのものなのかよく分からない悩みや、「一度受けると決めたのに意欲が薄れているなんて情けない」という罪悪感。これらは今もう私の中にはありません。

 かたや、最近は健康に気を使い始めてジョギングをしたりもしているのに、誘惑に負けてお菓子を食べすぎてしまったりすると、明白にこれは「甘え」だと思い、罪悪感が生まれます。

 その行動を選択したことによって、罪悪感が生まれるのが「甘え」であり、反対に罪悪感から解放されるのが「許し」なのではないかと私は思うようになりました。

 それであれば、うつで仕事を辞めてからの私の生活の多くは、自分に甘やかされているのではなく、許されるようになったものなのではないかと思います。

 他人の目を気にしなくてもいい。好きなように過ごしていい。仕事を無理にしなくてもいい。こうやって自分を許すことで、さまざまなしがらみや悩み、休んでいることへの罪悪感から解放されているのです。

 もともと完璧主義だった私は、ずっと自分が許せなかったのだと思います。挫けることも、怠けることも許さなかった。それらはすべて甘えであり、怠惰で情けないことだと思っていました。

 でも、違うのだと思います。甘えではなく、人間は時には挫けることもあるし、自分を労わることが最優先な時は怠けたっていいんだと許すことが必要だったのです。許されたなら、罪悪感を感じることはない。

 最近心が軽くなったのは、自分を本当に許せるようになったからかもしれません。もし、自分が「甘えてるのではないか?」と悩むことがあったり、悩んでいる人がいたとしたら、そうすることによって自分の心は罪悪感を感じるのか、それとも解放されるのか、考えてみてください。

 さて、ゆっくり書いたものの、まだまだ時間があるので、他のみなさんの記事をたくさん読もうかな。今日も読んでくださり、ありがとうございました。

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