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セパタクロー熱中時代。

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セパタクロー日本代表を追いかけた5年間の軌跡です。こちらの原稿は有料メディアSPOALで執筆した作品を編集部の理解を得て転載しています。SPOALには他では読めない作品がたくさん…
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#セパタクロー

セパタクロー熱中時代。vol.15

2018年、インドネシアのパレンバンで開催されたアジア大会。セパタクロー日本代表はチームダブ…

セパタクロー熱中時代。vol.14

2018年5月、新潟オープンが開催された。代表選考を兼ねた大会でもある。代表候補選手は一足早…

セパタクロー熱中時代。vol.13

2017年の年の瀬。セパタクロー日本代表は大きな決断を下した。翌年に控えたアジア大会でエント…

セパタクロー熱中時代。vol.12

もうひとつは僕のドキュメンタリーに対する解釈の問題だった。タイ在住のカメラマンの友人から…

セパタクロー熱中時代。vol.11

「なんで正面からの写真がないの?」 それは思いがけない指摘だった。普段のスポーツ撮影では…

セパタクロー熱中時代。vol.10

当初は仁川アジア大会を区切りに考えていたセパタクロー取材だったけれど、一から見直すことに…

セパタクロー熱中時代。vol.9

2014年、仁川アジア大会。この大会では3種目が実施された。2人制のダブル、3人制のレグ、団体戦のチームレグ。日本はダブルとチームレグにエントリーした。 大本命のチームレグに先立っておこなわれたダブルで、日本は大接戦を制して銅メダルを獲得した。これが弾みになるはずだった。 4年前の広州アジア大会のチームレグで史上初となる銅メダルを獲得したとき、関係者は密かに期待した。これで注目が集まって、少しでも環境が改善されるのではないか、と。 しかし、期待したような大きな変化はなか

セパタクロー熱中時代。vol.8

撮影を続ける中で考えたのは発表方法だった。 雑誌やネットなどの媒体も考えたけれど、写真家…

セパタクロー熱中時代。vol.7

タイは急激な経済発展により欧米文化が流入して、生活様式が変化しつつあった。それでも郊外の…

セパタクロー熱中時代。vol.6

2013年9月。セパタクロー日本代表は世界選手権を控えていた。 セパタクローをテーマにしたい…

セパタクロー熱中時代。vol.5

それからしばらくは写真について考える日々が続いた。 辛うじて思いついたのは新しいことへの…

セパタクロー熱中時代。vol.4

今、思えば、写真を始めて10年くらいまで、僕はいつも焦っていた。 当時の僕の写真はパッと見…

セパタクロー熱中時代。 vol.3

僕が初めてセパタクローを取材したのは2004年だった。写真を始めて2年、まだカメラマンとして…

セパタクロー熱中時代。vol.2

セパタクローは東南アジア発祥の足を使ったバレーボールのような競技で、セパはマレー語で「蹴る」、タクローはタイ語で「籐で編んだボール」という意味があり、その2つをかけ合わせた造語だ。 3タッチ以内で相手コートにボールを返すのはバレーボールと同じだけれど、一人での連続タッチが認められていること、手と腕以外であれば頭や肩、背中の使用も認められている部分が異なる。 日本でセパタクローの歴史が大きく動いたのは1994年の広島アジア大会だった。 当時、日本にセパタクロー専門の選手は