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セパタクロー熱中時代。vol.6

2013年9月。セパタクロー日本代表は世界選手権を控えていた。

セパタクローをテーマにしたいと考えた僕は協会から快諾を受けた。数日後に開催される世界選手権へも行くつもりだったから、手始めに挨拶を兼ねて練習を撮影させてもらうことにした。

練習場所として伝えられたのは東京郊外の小学校の体育館だった。平日の夜、厳しい残暑は和らいでいたけれど、少し動くだけで、じっとりとした汗が滲んだ。

「チャッ、チャッ、タタタ、ダン、バシッ、ドン!」

暑さ対策だろうか体育館の扉は開け放たれていて、明かりとともに、プラスティックで編み込まれたボールを蹴る乾いた音と床を蹴る音が漏れていた。

簡単な挨拶を済ませてから、写真を撮ろうとしたとき僕は戸惑った。

ロケーションは小学校の体育館だ。光線や背景など撮影環境が良いとはお世辞にも言えない。

それまでの僕の作風は背景をシンプルに処理することで、見せたい部分を可能な限り強調させるスタイルだったから困惑した。

何を撮ればいいのかさえ分からなかったのだ。

このときの僕はドキュメンタリーの「ド」も理解していなかった。ドキュメンタリーとは被写体そのものを伝えることだ。多少の演出を施すことはあったとしても、それが過剰になって良いはずがない。

そう考えれば、背景の良し悪しや照明の条件などは二の次。まずは被写体と向き合わなければならない。そして、撮影者は自分が伝えたい何かをじっくりと探すのだ。

写真はその「何か」を伝えるための媒体で、カメラはそれを残すための道具なのだ。当時の僕はそんな基本的なことすらわかっていなかった。

この日からセパタクローを追いかけると共に、写真の本質を求める日々が始まった。

(続く)

※写真は初めて日本代表の練習を撮影したときの一コマ。

SPOAL「セパタクロー熱中時代。」を一部加筆修正して転載>

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