幼児期

 5人の子供たちそれぞれ育った状況は同じではない。

 なぜなら最初の子は親としても初めての事ばかりで育児書ばかり見ていた気がする。主人は転勤族の国家公務員で全国どこに行くのかわからない。名古屋から東京に来た時は、辞令がでて引っ越し業者に依頼するにも東京方面として頼み、実際に住むところが決まったのは引っ越す3日前だった。2週間以内ですべてやらなくてはいけなかった。いつも押し入れに段ボールを潰してしまっていたし、入った官舎で3年もいれば一番の古株となる。それほど入れ替わりが激しいところだった。本省勤務なので帰りは遅く終電の時もあった。一日中赤ちゃんと2人だけの生活で、その上育児書通りには進まないし(そのころは障害の認識がなかった)知り合いもいなかった。

 長女はそのような環境で育ったし、2歳半離れて生まれた長男はいわゆる健常児。育児書通りの成長を見せて初めて長女が一般の成長の仕方と違うということを認めなくてはいけなくなってきた。身体の障害ではなく知的障害といわれる子どもの場合そのことに気が付き認めるまでに時間がかかる。そして認めたあとにはどのように対処すればよいのか、育てていけばよいのかまたまた悩むのだ。

 なので同じ親から生まれてきても、それぞれ状況がちがうのだ。3人まで東京(途中筑波科学万博の関係で筑波との二重生活を一年)で4人目は長野、5人目は山梨。環境も状況も違うが幼児期に気を付けていた共通することと言えば感性を鈍らせたくなかった事だ。

 たとえばお座りができるくらいのとき、夏なら部屋の中にビニールプールを置き、裸の赤ちゃんと水の入ったビニール袋をいくつか入れて遊ばせたりした。握る感触が面白いと思うしビニール袋が破れてもまた面白いから。体を使った遊びもよくした。「飛行機」といって私が寝て足を上にあげそこに子ども自体を飛行機にして飛ばす。時々乱気流もあるので凄く喜んだ。

 反対に主人がお風呂に入るとヘタな歌を唄うのでなるべく聞かさないように退散させた。4人目の娘は今音楽をやっているが悪影響がなかったと思いほっとしている。どこの家庭も同じことをされていると思うが私も感覚や感性を重視した。ストーブが危険と解らせるときは本当にちょっとだけ触らせて熱いことを体験させた。ほんのちょっとなら火傷もせず、さっと手を引っ込めて2度と近づかなかった。

 5人とも泳げるが、それもちょっとしたチャンスを利用した。怖がって私にしがみついていた子が、あるときすべって頭まで潜ってしまったことがあった。その子を抱き上げたときの対処の仕方で水を怖いものと見るか楽しいものとみるかが変わる。その時は「水の中はどうだった?」って聞いたと思う。大変だおぼれたとびっくりして抱きかかえたら子どもも怖い経験になってしまうと思うから。そしたらまたみてくるといって潜れるようになった。

 5人それぞれのことは次回から個別に書いていこうと思う。

 

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