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経済学のあけぼの:イギリス


「スペイン時代からオランダ、イギリス時代へ」

中南米への植民地政策を中心に、繁栄を遂げたスペインですが、その富貴隆盛がいつまでも続いたというわけにはいかず、やがて、大きな選手交代劇が起きますが、そのプレーヤーがオランダとイギリスとなります。

17世紀はじめの南米の銀産出量が激減したこともあって、スペインは次第に衰退します。スペインに代わって勃興したのが、スペインからの独立戦争に勝利したオランダでした。

オランダ独立戦争は、1568年に始まり、途中1609年から1621年の「12年休戦」を挟んで、最終的には1648年(ウェストファリア条約)のオランダ独立の国際的承認まで80年にわたって続けられました。八十年戦争とも言います。

オランダ独立の過程はスペインとの関係だけでなく、ヨーロッパの動向、特にイギリスとの関係が密接です。

独立戦争であると同時にカトリックとプロテスタントの宗教戦争でもあり、さらに主権国家の形成という大きな筋道の上での戦争でもありました。旧覇権国スペインと新興勢力オランダの大航海時代における通商圏をめぐる戦いという経済的な側面もあったわけです。

1602年にオランダは東インド会社を設立して、東南アジアの香辛料製造地帯を手中に収めることに成功します。

イギリスも1600年に東インド会社を設立して、東南アジアからインドへの進出をはかります。こうして、ヨーロッパは世界への進出を競っていくことになります。

ヨーロッパの覇権争いは、主力輸出品である毛織物産業を成長させることになりました。ここから製造業をどのように育成すべきかという関心が生まれていくのです。

イギリスに焦点を絞るならば、 百年戦争やばら戦争で疲弊した封建領主の地位が15世紀に低下していきますが、 その結果、相対的に国王の権力を強化させることになりました。

また、毛織物産業の展開による羊毛需要の増大によって、 15世紀後半になると「囲い込み」が始まります。

その結果、産業資本に雇用される労働者が生まれました。 国王は、経済的には商人資本と結びつき、軍事的には常備軍を保有し、いわゆる絶対王政を確立することで、スペイン、オランダ、フランスなどと重商主義戦争を遂行していくことになるのです。

「重商主義の時代へ」

この時期の経済思想は重商主義と総称されますが、それは一般に15世紀末から 18世紀半ばにかけての長期間を括る経済思想の呼称です。

時期が長いこともあって重商主義の中身は実に多様であり、論者によってウェイトの置き方が異なります。

より正確に言えば、政策論争の文献の中に、経済理論が断片的に埋め込まれているという感じです。

こうした発想の背景には、何らかの仕方で国家(政府)が規制・保護・管理しないと、 経済はうまく動かないであろう、という認識がありました。

重商主義の初期の論者は、価格革命をはじめとした貨幣現象に注目し、物価上昇の原因などを探りました。

他方、後期の論者は、貿易体制を支える輸出産業の育成などに目を向けることになります。 わが国では、イギリス重商主義について、 名誉革命(1688)を境にした「前期重商主義」と「後期重商主義」という区分が行われてきました。
 
「イギリスの重商主義」

イギリスの重商主義は、名誉革命(1688年)以前が前期、以後が後期と区分され、その両者の特徴は内容を異にしています。

重商主義の初期の論者は、価格革命をはじめとした貨幣現象に注目し、 物価上昇の原因などを探りました。

他方、後期の論者は、貿易体制を支える輸出産業の育成などに目を向けることになります。

前期重商主義は絶対主義的重商主義で、その背景にあるのは、特権的独占による商人資本と王権の結合でした。

一方、後期重商主義は議会主義的重商主義で、その背景は商人資本の抑制とマニュファクチュアの保護です。

前期の主張はトマス・マン(1571-1641)が中心であり、彼は、取引差額、貿易差額に目を付けました。

後期の主張はジョン・ロック(1632-1704)、ジョサイア・チャイルド(1630-99)、ダニエル・デフォー(1660-1731)によってなされました。その中心的な主張は、産業資本の保護にあります。

一応、概略的に、このような特徴を述べることができるとしても、16世紀(1500)から18世紀(1750)にわたる約250年間の重商主義なるものを語るとなれば、取り上げる主題が多岐にわたり、何がどのように重商主義なのか、判然としなくなります。

「重商主義の再考」

ラース・マグヌソンの「重商主義の経済学」(2017年)などを見ると、従来のマルクス主義の枠組みから見た重商主義の分析ではなく、近代経済学の視点から見たものである故に、納得できるものがあります。

重商主義とは,「人を欺く言葉であり,理論や実践,政策に関して一貫性を欠く実在しない観念的存在で」,「混乱をもたらす様々な方法を用い,多数の目的に使われ」,それは「不幸な言葉」「国家形成の教義」「自由貿易システムと正反対のもの」さらには、「特徴的政策は保護主義と経済の国家管理」等々,これまで多くの見解が生じました。

従って、重商主義をそれぞれの人がそれぞれのイメージで語ったのだと言えます。

あらためて、「重商主義とは何か?」それは書物,手引,小冊子,パンフレット,年鑑などにより,政治的な議論から商業,貿易,海運業,製造業の利益の役割,外国の熟練労働者の移住,利子率の低下と事業への刺激,いかに国家を豊かにするかといった広範な問題群を扱ったものでした。

ラース・マグヌソンは、重商主義を16-18世紀の近世に出現した一連の言説として捉え,「国力と豊かさとの関係が課題」であったとします。

経済成長,貿易の展開,運輸と金融の発展,市場経済,独占,国家形成などを背景に形成された重商主義を,経済学説史と経済史の両面から考察し,イギリスを中心に,ナポリ王国,スペイン,ドイツ諸邦,フランスなどの実情を検討し,その歴史と理論を解明しています。

ここに至って、もう一度、重商主義とは何かを問わなければならなくなりました。

はっきりしていることは、近代国家の成立過程にあって、「国力と豊さの関係」を経済活動の中からもう一度捉え直してみるという問題意識を軸にして、重商主義を究明することです。

20世紀、21世紀の経済の中にも重商主義は何らかの足跡を残しているのかどうか、もし残しているとすれば、それは何かなど、総ざらいしてみる必要があります。

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