駆逐されたり恋バナしたり
待って私、今年あんまり湯船に浸かってなくない?
トイレ掃除をしていた30日、ふいに焦り出した。
実家に住んでいた時は、入らない日の方が少なかった。
従姉と暮らすようになってからは、一週間に一〜二度。
そして埼玉のワンルームに移って一人暮らしを始めてからは、だいたい年に五、六回だろうか。
入浴歴を円グラフに表すと、下記のようになる(どうしてグラフ作ったんだろう)。
今年は一度従姉たちとドライブ練習を兼ねてスーパー銭湯に行って、一度だけ寒い雨の日に彼氏の家に風呂を求めに行った(迷惑)。ほかの入浴チャンスとしては実家に帰った時だけれど、今年も去年もコロナのためにそう頻繁には帰れなかった。
そして自分の部屋のユニットバスには、この記事以降浸かった覚えがない。
自分一人のために浴槽を洗い、湯を沸かし、捨てるのがどうにも億劫でもったいなくて、ついついシャワーで済ませてしまうのだ。
でもここ数日、かなり寒い。浴室を出てからはタイムアタックのごとく下着を身に着けジャージを着て、半纏を羽織っている。せっかくお湯を浴びているのに、あまり身体がぬくまっている感じはない。
この状況を打開すべく、湯船に浸かろう。
そこで私は、数日前にポストに入っていたスーパー銭湯の割引券を握りしめて極楽湯に行くことにした。
身体を洗う用の手ぬぐいとバスタオル、化粧水と乳液をトートバッグに詰めて。
いざゆかん、極楽へ。
駅から出ている無料バスに10分ほど揺られてバスを降りると、見覚えのある青年たちの幟がでかでかと掲げられていた。
『進撃の巨人』だ。
主人公のエレンと、エレンの同期のジャン、ライナー、彼らの上司のリヴァイ兵長。
えっ……兵長、桶を小脇に抱えてドヤってるよ。
いや、それよりエレンの浴衣のはだけ方がヤバいんだけど。髪型キメてる場合じゃないって。
ていうかライナーとジャン、全然楽しそうじゃないじゃん。隣のエレンたちのキメ顔をご覧って。
ひっそりと苦笑しながら女湯の戸を開けたら、それほど混んでいなくてホッとした。
ほとんどは一人で来ている中高年の女性たち。これはのんびりできそう。
ささっと身体を洗って、一番大きな浴槽にそっと身体を沈める。
湯の色が黒いせいで、つい油断するとおでんの具のような気持ちになってしまう。
このまま溶けて、液体になれたらいいのに。
もしも自分の形状を選べるとしたら、私は液体になりたい。
最寄駅から自転車置き場に向かって歩いている水曜の夜や、会社に向かう駅の階段を上っている月曜の朝に、よくそんな妄想をしている。
どうしても二足歩行がしんどい時って、あるじゃないですか。
匍匐前進でもいいけれど、いっそのこと液状化してびしゃしゃしゃしゃしゃとしぶきを上げながら出退社したい。絶対にそのほうが身体は楽だと思う。
そんなことを考えていたら全身がほっかりと温まってきたので、ほかの湯船に行くことにした。ジェットバスは大人気だから、露天風呂にしようかな。
カラカラとガラス戸を開けて外に出ると、途端に冷気に包まれる。
慌てて近くの湯船に入ると、屋内の風呂よりもだいぶ温度が高い。
しばらく浸かっていたら熱くなってきたので、へりに腰かけた。
すると。
「あのぅ、女型の巨人ですか?」
と、いつのまにか近づいてきていた幼稚園くらいの男の子に声をかけられた。
マジレスしていいですか?違います。
なんて、言える度胸は私にはない。
かといってノリノリで「いかにも私が女型の巨人だぁ!!!」なんて言えるキャラでもない。
ていうか共通点、髪形しかなくない?しかも私、黒髪なんだけど。
こういう時の正解は、よくわからない。
結局私は、「あは、ははは」と否定も肯定もせず笑った。
彼はこれを、肯定と取ったらしい。
「女型の巨人だーーー!!!」
突然叫びだしてエア立体機動装置で近づいてきた。
すると少し離れたところにいたもう一人の男の子も、
「駆逐ちてやるーーー!!!」
と湯をかき分けてこちらに向かってきた。
う、嘘だろ?
待て待て待て、落ち着くんだ君たち。
私が女型の巨人なら、君たちのお母さんやそのへんのおばあちゃんだって巨人だよ。
ていうかこれ、君たち二家族と私しか露天風呂にはいないからいいものの、他の人がいたらわりと迷惑だからね!
そもそも冷静に考えて、銭湯で『進撃の巨人』コラボって、明らかに狙っているだろう。
一度気がついてしまうと、生まれたままの姿で湯から湯へウロウロするマダムたちがみんな巨人に見えてきてしまう。
女型走りで彼らから逃げつつ彼らの母親たちの方を窺うと、どうもママ友会らしく盛り上がっているようだ。
「遊んでもらっちゃってすいませーん」
と笑顔で手を振られたので、笑顔を返すしかなかった。
この『進撃の巨人』ごっこは、始まりと同じくらい唐突に終わった。
「喉かわいた~!バイバイ、巨人」
そうあっさりと言い残して、男児二人は浴室から出ていった。
お母さんたちも、「ゲーセンにいな」とにこやかに送り出している。
常連さんなのかもしれない。
ともあれ解放されてひと安心。
再び露天風呂に浸かりなおす。
「弟と遊んでくれてありがとうございます」
今度は小学校低~中学年くらいの女の子二人組に話しかけられた。
わわ、礼儀正しいお姉ちゃんたちだなぁ。
「いえいえ、おつかれさまです」
と、なぜか敬語で返してしまう。
「お姉さんに彼氏はいますか?」
うん?君たち、初対面ですごい距離の縮め方してくるね。
思わず「彼氏って恋人のこと?」と聞き返すと「そう」と言う。
私が彼女たちと同じくらいの年の頃、見ず知らずの人に彼氏の有無を聞いたことはなかったなぁと思いながら、とりあえず「いますね」とだけ答えた。
「どこが好きなの?」
あっ、タメ口になったぞ。そんな突っ込みを入れられないくらい、熱い興味を顔いっぱいに浮かべて彼女たちは私を凝視していた。
ませた小学生が納得するような、彼氏の好きなところ。って、なんだろう。
「賢いんだ」と、まず言った。
「どのくらい?」とすかさず返ってきた。
「パズルゲームをシュシュって解いちゃうの」と具体例を挙げたら、二人はあからさまにイヤそうな顔をした。
「ただのゲーマーじゃん。ほかは?」
ええっ、ゲーマーって、そんな吐き捨てる感じで言わなくても。
「私と手を繋ぐ前に、爪を切ってくれるところが好きだよ」
これはどうだ。いまだに爪を切ってから触れようとしてくれるって、個人的にはかなりのキュンポイントなんだけど。
ところがこれも、二人には不評だった。
「いつもは爪伸ばしてるの?」
「長い爪でいると泥が入ったりするんだよ」
そ、そうですね。伝えておきます。
すっかり私はいつのまにか舎弟に成り下がったらしく、「足は?速い?」「クラスで何番目に背高い?」ともはや尋問のような追及を受けた。
そっかぁ。君たちの年代だと、やっぱり足の速い子がモテるんだね。
背は正直、高くても低くてもどっちでもいいんじゃないかなぁ。
おませなのか、年相応なのかよくわからない。
そんな恋バナから始まり、エレンたちの中では誰が一番好きかといった話を風呂と小休止用の椅子の間を行ったり来たり話していたら、いつのまにかいなくなっていたお母さんたちが戻ってきた。
「そろそろ出るよー」と呼び掛けられて、「はーい」と二人は声を揃えた。
「現役のお姉さんから彼氏さんの話が聞けてよかったです。ありがとうございました」と最初に声をかけてきた子が丁寧に頭を下げて、彼女たちは母親たちと連れ立って去っていった。「現役のお姉さん」っていったい……?
私も彼女たちと話して心身ともにほっかほかに火照ってしまったので、彼女たちが着替え終わったであろうタイミングを見計らって脱衣所に移った。
結局一年分を一日で取り返す勢いで湯に浸かってしまったなぁと思いつつ着替え室を出て、くつろげる場所を探す。
お休み処に彼女たちがいないことを確認してから、そっと隅に座った。
いやはや、まさかこんな年末になるなんて。
静かに穏やかに一年の疲れを癒すはずが、幼児に駆逐され、ノロけさせられた。
でもがっつり一年分は浸かれたから、まぁ、いいか。
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