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分けなかった家事のゆくえ

なんか、私ばっかりトイレットペーパーを買ってる気がする。
そう気がついてしまったのは、noteのお題「#家事分担の気づき」がきっかけだった。
主催者もこんな「気づき」は求めてないだろうに。

一緒に住み始めてから約二年、私と夫はお互いのこだわりに合わせて家事を炊事と掃除に大別し、そこそこ円満に暮らしてきた。
「安上がりに健康に」がモットーの私が玄米とぬか漬けを軸に据えた食事を作り、花粉を憎悪し猫アレルギーに苦しみほこり撲滅を心に固く誓っている夫が、鍛え上げた筋肉を生かして掃除に励む。
お互いの領分、つまり私は掃除に、夫は食事にそれほどこだわりがないため、「より気にしているほうに任せる」というスタイルはかなり楽だった。それに私たちは二人暮らしなので、そう凝った料理を作る必要も頻繁に掃除をする必要もないのである。

だがここで、一つの問題が浮上する。
炊事と掃除以外の家事をどうするか、だ。
浮かれていた同棲当初、「買い物もそれぞれ行くだろうし、共同備品系は気が付いた人が気が付いたときに補充しよう」とラフなルールが定められた。
安い食材を求めていくつかのスーパーをはしごする私のほうが行動範囲が広いため、たびたび夫に頼まれて薬局でデンタルフロスやビニール手袋を買いに行くのだけれど……トイレットペーパーとなると、ちょっと話が別である。
いや、「私ばかりがトイレットペーパーを買ってる」と気づくまでは正直特に意識していなかった。

いまにも降り出しそうな曇天の朝、トイレに入るとペーパーが残り2ロールになっていた。そろそろ買いにいかなくっちゃ。
家からの距離を考えると薬局に行ってからスーパー、八百屋の順が一番楽だけれど、トイレットペーパーはかさばる。
スーパーと八百屋に行ってから、最後に薬局に寄って買おう。

そう段取りをつけてスーパーと八百屋で食材を買い、薬局でトイレットペーパーを選んだ。
トイレットペーパーを包むビニール製の袋の上に、豚の鼻のような間の抜けた穴が二つ開いている。
そこに人差し指と中指をくぐらせると、重みでビニールが指にぎゅっと食い込んだ。

noteで見かけた「#家事分担の気づき」が頭をよぎる。
気づいちゃった。
私ばっかり、トイレットペーパーを買っている。
しかも私たちは車も自転車すら持っていないから、15分歩くしかない。
手に入れたら最後、一切の寄り道を許さないような、かさばる物体を抱えて。
すごく嫌なわけじゃない、でも、地味に嫌だ。

一度「けっ」と思ってしまうと、夫の言動をさかのぼってムカついてしまうのが私の嫌なところである。
少なく見積もっても、夫は私の二倍はトイレットペーパーを使っている。
私が便秘で呻いている日も、彼は欠かさずトイレにこもるからだ。
しかも時々、「いやはや、今日のはなかなか立派であった」とちょっと自慢げに言う。
白湯を飲んで腹を揉んだり、暇を見つけてはラジオ体操第二の「1,2,3,4,開いて閉じて 開いて閉じて」と飛んだり跳ねたりして腸のご機嫌をうかがっている私には一切そんな兆候は見られないというのに。
ほとんど同じものを同じタイミングで食べているのに、どうしてこうも違うのだろう。
朝のリビングでぼうっとしていると、カラカラカラと勢いよくトイレットペーパーを巻き取る音がよく聞こえる。

いっそのこと、このトイレットペーパーは夫がペーパーがないと気づくまで別の場所に隠しておこうか、とよからぬ考えが頭をよぎる。いや、トイレットペーパーがなくて困っている夫なんて見たくないな。
彼は彼で私がぬかを洗っている台所の排水溝のネットを替えてくれたり、シャンプーを詰め替えてくれたり、ほかにもおそらく私が気づいていない、あるいは気づいていても面倒くさくてやっていないような名もなき家事を片づけてくれているのだから、ここはお互い様とすべきだろうか。
それに「トイレットペーパー代よこせや」とせびるほど、高い値段でもない。
でも、それならこのもやもやは、いったいどこからくるのだろう。

トイレットペーパーを片手に歩いていると向かいから走ってきたUber Eatsの自転車に舌打ちされて、慌ててトイレットペーパーを前に抱きこんだ。
車を運転しているときみたいに、自分の体積が増していることを意識しないと、と思う。
トイレットペーパーで増幅された私の身体は、気を抜いていると狭い歩道をうっかり独り占めしてしまう。
夫はどうやって運んでいるんだろう。そもそもこの豚鼻しか掴めるところがないから、私みたいに片手で持って身体の横に下げているのかな。

ああ、そうか、私は。
この体積とこの厄介な感じを彼と共有していたいんだ。

私が欲しかったのは、このトイレットペーパーを買って帰る道のりに対する共感とねぎらいだった。
彼ももともと一人暮らしなので、トイレットペーパーを持ち帰る特有の面倒くささは知っている。だけど私がトイレットペーパーを買うようになったことで、遠からず彼にとってトイレットペーパーは「常に家に当たり前のように常備されているもの」になってしまうかもしれない。
トイレットペーパーがあるのは当たり前じゃない。私が買って、運んでいるんだよ。
ここらで夫に、そうアピールしておきたい。

その一方で、トイレットペーパーの袋はこれ以上便利にはならないのだろうかとも気になる。
私がこうもネチネチ書いているのは、この持ち運びにくさというか、歩道の占領具合も大きな原因なのだ。
Uber Eatsの人みたいに背中に背負えたら、一人分の道幅に収まるのに。
紐か何かで肩にかけられたら指への負担も軽くなるし。
それとも、キャンディレイみたいに首から下げる?それはさすがに恥ずかしいな。

そんなことを考えていたら、はたと思いついた。
百均のスマホショルダーからスマホを外し、ストラップをトイレットペーパーの豚の鼻にくぐらせる。
そのまま肩から斜め掛けすれば、トイレットペーパーが肩から下げられる!!

トイレットペーパーを肩から下げて歩くと、片手が空いているってこんなに便利なことだったんだと気づく。
片手がトイレットペーパーでふさがっていると、押しボタン式の信号でボタンが押しにくかったり、目の前で人が転んだりお金を落としたときにすぐに手が出せない。
トイレットペーパー=近所に住んでる、という解釈なのか、トイレットペーパーを持っているときに限って道を聞かれたりする。片手にトイレットペーパー、もう片手にエコバッグを持っていると、「この大通りを〜」と指さすたびに動きが妙にオーバーになってしまう。
そもそも片手がふさがる前提で買い物計画を立てないといけないというのも、ストレスっちゃストレスだ。
それがなんと、スマホショルダーさえあれば一気に解決。

嬉しすぎて、家に帰るや否や肩からトイレットペーパーを下げたままくるくる回って夫に見せた。
「すごいじゃん、るるちゃん!天才!!」
夫が熱く拍手喝采している。
図らずも夫へのアピールとトイレットペーパー運搬の新技は同時に披露された。あまり気づきたくなかった気づきと、私の生活を便利にする気づきの突然のコラボだ。

「たしかにあんたばっかり買ってるねぇ、今度俺にもストラップつけさせて」と無邪気に笑う彼を見ながら、ひょっとしたらこのからっとした性格が快便の秘訣なのかもしれないな、と思った。

トイレットペーパーを肩から下げる図

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