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「どう繋がるか」&「そのなかでどう自身の考えを保つか」。試されているのは「個人」でなく「個々人のあり方」の時代。

ちょっと前まではしつこい風邪、そしていまは精神的な不調でナーバスになりかけてる、3度の飯の次にハンドメイドの世界が好きな、ハンドメイド変態ツルカワです。さて今日はそのリハビリに近い感覚で、久々noteを書いてます。文章を書くのが一番の薬なので。それもハンドメイドのことを書くのがね。ツルカワにとっては。

さて、わたしは自分が主宰するグループ展【PlumTree】(ギャラリー主である「ちいさな雑貨ギャラリー プラムツリー」で主宰するグループ展の屋号です。)のひとつの展示を終えるとき、作家さま宛の一斉メールで(いつも偉そうで、恐縮だけれど)決まって自分のそのときの思いを書きます。そのなかでよく書く事案だったりするテーマは、例えば2017年の第9回企画展であった「君住む街に粉砂糖をひとさじ」のメールから引用してみると、こんなことであったりします。

ここの数年でハンドメイドの動きはガラッと変わり
売るところ・見せるところ・そして
売り方や作り方を
教えてくれるところ、が増えていきました。
それはそれで、作家さまの助けになる分にはいいと思います。
でも、怖く感じるのは、どのように、まず、作ることに向き合うか
自分で考えるのを知らず知らずに放棄してしまわないかということです。
わたしの個人的な意見ですが。

でもそれってひとりだったら
考えろと言ってもむずかしいことかもしれません。

だから別にべったり癒着することはないんですけど
何かあった時にだけでも
作家さま同士で教え合い・考えて・助け合う、という
ヨコの糸の繋がりがゆるーくゆるーく
できてたらなあと思ってます。
【PlumTree】がそう云う場になればと最近とみに思います。
そうなれたらうれしいです。

ツルカワのこの文の中にはよく考えるふたつのテーマが込められています。それを書いてしまいますと、まずひとつは

・自分の頭で考えることを放棄しないこと

はい。これはまあ読めばよく分かりますね。でもハンドメイドを例に挙げたけれど、これ、凄く大事なことだと考えているので。
その理由はふたつめのテーマに大きく由来していて、それがなんだというと

・繋がるのは尊いけど、それが絶対的強制的な絆、いわば宗教にならないように気をつけること

だったりします。
ここでハンドメイドからはなしをちょっとそらしますね。これはツルカワの20代の痛い経験から来ています。

…丁度その頃鬱を患っていたツルカワでしたが、なんせ「精神病?ひゃーそれ弱い人間がなるもんでしょ」な時代で。いまのように理解が進んでもなく(ま、いまでも足りないけど)SNSも普及していない時代。そんな状況でもなんとかネットは普及しつつあったので、情報と仲間を求めて、「個人サイト」や「掲示板」を夜な夜な徘徊するのが日課でした。まあ、そうすると、仲間ができるわけですよ。
んで、オフ会して、チャットしたり、たまにはカラオケしたり。こうやって皆でいい方向に行けたらいいね、と励まし合いながら。
でも残念ながらそれはある時期、衝撃的な事件でその絆は途絶えました。
メンバー二人の自殺です。

まずひとり、そのなかでアイドル的存在だった女の子が自死しました。祭り上げられてしまったのも苦だったのだろうと今になれば想像つきますがその時はただただ呆然とするのみで。そしてリーダー的存在だった男の子がその数が月後、後追い自殺してしまったのです。わたしたちは、傷つき、紛糾し、ばらばらになり、今では残ったメンバーがお互いがどうしてるかも知るよしもありません。

重苦しい話、すみません。
だからそのときから、どんな組織とか団体の中にあっても「自分の頭で考えること」と「絆を大切にするあまり宗教化してはいけない」とツルカワは考えるようになりました。そのふたつがあれば、なんとか防げた事件だったのでと思うのです。

ときはいま、SNS全盛時代となり、同種の事件もよくありがちなものになりました。その反面、それ以上に個人と個人がオンライン・オフライン双方で繋がり合う良さを実感できる時代でもあります。その良さを享受しつづけるためにも、いま、わたしたちが試されてるのは「どう繋がるか」&「そのなかでどう自身の考えを保つか」だと感じます。

ハンドメイドに話を戻せば、ツルカワよく「ものを通してひととひとが繋がれる世界」とハンドメイドの世界を表現するのですが、それは間違いない良さだとしても、反面、繋がりすぎることによる危うさも抱えてる世界でもあります。

例えば、他人の作品がよく見えすぎることで起こるいわゆる「模倣」案件。模倣に関して言えば、いろんな意見があるでしょうが、現在、ツルカワの考えは「もし本当に真似てたら許されないけど、結局それが模倣であるかどうかは、作った人の胸のうちにしか真実はなく、うかがい知れないので、過剰に反応し合うのは誰のためにもならない」というスタンスです。

ですが、今この時代において、それまでは自分の頭でかんがえたものを、そう信じて、個人と個人が好きなものを作り合ってればよかったのに、それらが隣接して見えてしまうようになったことで、そういった葛藤が生まれる。葛藤だけでなく、それは「あのひとが真似た」的な指摘から発する個人的攻撃や、「繋がってた筈のひと同士」が派閥にわかれて争い合う例も目にしたり聞いたりします。

模倣について語ることがこの文の主題ではないので、この話題はこれくらいにしますが、この一例を挙げても「どう繋がるか」&「そのなかでどう自身の考えを保つか」を、あらゆる場面で、わたしたちは試されています。

繋がりつつ・繋がりすぎず・自分の頭で考えることを放棄しないこと。自己と他者を尊重するためのいい距離の取り方。それはとっても難しい。個人が、というより複数形の「個々人」がそれを模索していかなければいけない時代。それが今だと思います。「個々人」が試される時代。さあどう生き抜きましょうか。いまのところツルカワには最初の【PlumTree】に寄せた文で書いたように「自分の頭で考えることを放棄せず、ゆるーく、繋がる」しかその対処を見出せないのですが、とりあえずそれを胸に、かといって人間に絶望せず、ツルカワは、ハンドメイドの世界をよりどころに、あちこち寄り道しながら、生きてゆくことにしましょうか。




いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。