おばあちゃんのきらいな料理
先月投稿いたしました『人生初の料理はキャンプ飯だった』の記事の中で、
ガールスカウトのキャンプで作っていた料理で、サラダ、フルーツポンチ、カートンドッグ、カレーライス、豚汁、魚のホイル焼き、そして重ね煮の7つのメニューだけが私の記憶に残っていると書いたのですが、この記事を書いた直後に思い出した1品がありました。そしてその1品がなぜ全く思い出せなかったのには理由がありました。今日はその料理について書きます。
私の中で封印されたメニュー
私がまだ小学校低学年の頃、ガールスカウトのキャンプ飯ですいとん汁を作りました。
「スイトン」私にとっては聞いたこともない初めて食べる料理でした。確か具材は大根とにんじんが入っていていたような、そしてすいとんのモチモチした楽しい食感だった、というくらいしか覚えていません。
他のキャンプ飯メニューと同じく、楽しかったキャンプの経験や美味しくできた料理を家族にも伝えたいため、すいんとん汁も自宅に帰ってきてから一度だけ作りました。
母にすいとん汁のことを話し、「随分と懐かしいものを作るのねぇ!」などと言われつつ、いつものように母に材料を用意してもらい、キャンプのすぐ後のある日の夕食に、早速習ったばかりのすいとん汁を作りました。
私は祖父母とも一緒に暮らし、特に祖母とは私の人生の大半、一番長い間時間を共に過ごしました。私はおばあちゃんっ子で、祖母はほとんど私の母親代わりでした。
そんな祖母が食卓につき、私がすいとん汁を作ったことを知ると、
「すいとんは…嫌だよ。おばあちゃん、すいとんは好きじゃないんだよ。」
と弱々しく言ったのです。
私は、至極驚きました。
子供だった私にとって祖母はいつでも優しくて、面白くて、強くて、好き嫌いなくなんでも食べられて、私の味方の”無敵なおばあちゃん”だったので、そんな祖母の口から「嫌い」という言葉が出てくるなんて、ショックでした。しかも私が作ったすいとん汁…。
あまりの驚きのためか、その日のすいとん汁を祖母が食べてくれたのかどうか、きっと孫が作ってくれたものなので一応は食べてくれたとは思うのですが、全く記憶に残っていません。
祖母がすいとんが嫌いな理由は、戦時中そして戦後、他に食べるものもなく、味気ないすいとん汁ばかり長いこと食べ続けていた辛い記憶が強烈すぎたためだと教えてくれました。もちろん、大好きな孫を傷つける意図はなかった筈です。
ちょうどその頃、私は小学校の図書室で漫画『はだしのゲン』に出会い、こっそりと、そして夢中で読みました。べつに”こっそり”読む必要はなかったのですが、あまりの衝撃的な内容に、読んでいる間は友達に邪魔をされたくない、茶化されたくないという気持ちで、短い休み時間ごとに本棚の間にひとり座り、数日かけて”おばあちゃんが嫌いになったすいとんを食べていた頃”の話を読みました。
キャンプで初めて作り、その後自宅で一度作って以降、すいとん汁は”祖母の嫌いな食べ物”と頭にインプットされ、「大好きなおばあちゃんの嫌いなものなんて作らない」と思ったのか、二度とすいとん汁は作りませんでした。
先月、『人生初の料理はキャンプ飯だった』の記事を書き終わるまで、このすいとん汁は私の記憶のどこか深い深いところに封印されていました。
ものを書くということは、まるで記憶の桐箪笥の引き出しを一つ開けて、閉めると、その引き出しの上下(または他)の引き出しがすっと開いてしまうようなものなのですね。その開けるつもりではなかったのにスッと開いてしまった引き出しの中を覗いてみると、当時は気にもとめなかったことが、今ではそれが例え苦い思い出だったとしても愛おしく見えます。
こんなこともあったな。
おばあちゃんの好きなもの、私の好きなもの
このすいとん汁の一件を思い出してから、すいとん汁がとても気になってしまい、
「本当のところ、どんな味だったんだろう?」
と、作ってみることにしました。
ネットで調べてみると、現代のすいとん汁のレシピがたくさんありました。それと同時に戦時中のすいとん汁のレシピも見つけました。レシピを見るだけで当時のものは現代のに比べて味も具もほとんどなく、食べしのぐものであり、決して美味しいものではなかったことがわかりました。
私の祖母は100歳を迎え、そしてそれから数ヶ月後に他界しました。
私は祖母の作る食で育ちました。
私の味は、祖母から受け継いだ味の延長線上にあります。
祖母に嫌な思い出の食べ物を食べさせたいというつもりはありませんが、
もしも今、具がたっぷりで、味もしっかりとしてとっても美味しいすいとん汁を私が作ったら、祖母は美味しいと感じてくれるかな?
祖母の好きなものをたっぷり入れたい。
まずは、祖母が好きだった食べ物を思い出してみました。
カニクリームコロッケ、お饅頭、道明寺、歌舞伎揚、ピザまん、チューペット、チョココロネ…!
おっと!!思い出すのは私が放課後や土曜日に祖母と一緒に食べたおやつばかり(笑)
「ちょっと一緒に食べない?」
と、ニヤッとして、
大きな長い、エンジ色の革の、小さな鈴の付いたガマ口の入った竹の買い物かごから、祖母が近所で買ってきたこういったおやつを取り出し、二人でよく一緒に食べました。
もしかしたら、私が思い出す”祖母が好きだったもの”は、祖母が”私が”好きだと思っていた祖母も好きなものかもしれません。
さて改めて、では食事的なもので祖母が好きだったものはと考えてみると、
。。。あれ?
バリバリと働いていた母と分担して食事を作っていた祖母は、
平日はほぼ毎日美味しい料理を作ってくれて、
私の大好きなメニューはたくさんありますが、それが祖母自身が好きだった料理なのかはわからないなと気がつきました。
カレー、酢豚、豚のピカタ、きんぴら、焼きそば、焼き飯、コロッケ、ミートスパゲッティ、ミートボール、キャベツ巻き、ヒラメのムニエル、五目煮、チキンのトマトソース煮込み、シュウマイ、餃子、ビーフストロガノフ、シチュー、グラタン、ハンバーグ、唐揚げ、冷やし中華、麻婆豆腐、麻婆茄子、カレーうどん、天ぷらそば、カツ丼、お好み焼き、ブリ大根、ブリの照り焼き、焼きなす、三色そぼろご飯、お稲荷さん、高野豆腐、ほうれん草の胡麻和え、大学芋、いちごジャム、マーマレード、白玉団子の入ったお汁粉。
こうみてみると、どれもやはり子供だった私が好きなものです。祖母のおかげで私は大学生になるまで冷凍食品、レトルト食品、ファーストフードとは無縁の生活を送っていました。
さてさて、では祖母が「ん、美味しい!」と言ったものはなんだったかな。
思い出せるのは、
買ってきたかっぱ巻き、干瓢巻き、たくあん、奈良漬、お刺身。
母が作ったすき焼き、鰻丼、鯛のお吸い物、ちらし寿司、さわらの味噌漬け焼き、サンドイッチ。
普段は、焼き鮭、焼きたらこ、しらす干しご飯、素うどん、おそうめん、白いご飯と胡麻塩、自分で漬けた梅干し、お茄子ときゅうりのお漬物。
祖母は柔らかいお肉が好きで、肉厚なお魚が好きで、お茄子が好きで。
祖母が好きものを入れ、私が美味しいと思うすいとん汁を作ってみ
ようと思いました。
きっと美味しいすいとん汁
まず、お汁の出汁はしっかりと。
夫が先日釣ってきたティラピアのアラで出汁をとり、冷凍椎茸を戻した汁を合わせることにしました。
祖母は鯛のお吸い物を美味しいと言っていたので、味のとても似ているティラピアにはきっと驚きながら喜んでくれると思います。
アクはしっかりとり、頭部や骨に残っていた魚の身も具として残します。
野菜は、しめじ、お茄子さん、玉ねぎ。
柔らかくて、祖母が好きだった野菜ばかりです。
魚と椎茸の出し汁で野菜を柔らかくなるまで煮ます。
そこに、黒糖少し、醤油を少し入れて薄味程度に味を整えます。
一旦火を止めて、すいとんの準備をします。
すいとんには小麦粉と片栗粉を使い、水で練ります。
割合は小麦粉2:片栗粉1:水2弱くらいで。
再びお鍋に火をつけ、この時点で肉厚の二口大程に切ったティラピアの身を入れて煮たてます。
そこにスプーンを二つ使って丸めたすいとんを落としていき、
しっかり火が通るまで煮て出来上がり。
ティラピアの身からも少し味が出ていて、すいとんからほんの少しとろみも出てくるので、
味付けは薄めの方が食べている間中それぞれの具材の味を楽しめると思います。
お椀にもったら、小ネギを散らします。
夫は初めて食べるすいとん汁。
私にとっては人生で3回目に食べるすいとん汁。
食べてみると、
「ふわぁ〜〜〜〜!美味しい!」
と声が出ました。
ひと口、ひと口、ぎゅうっと濃縮された魚の旨味と野菜の甘みをお汁が引き立ててくれます。そのお汁自体には全ての旨味が均一に出ていて、具材を食べるごとに、それぞれの味を「ポーン!」下から盛り上げてくれるので楽しいこと!
すいとんは、その味全てを染み込んで、もちもちっと、むちむちっと食感で遊んでくれます。
戦争当時20代前半だった祖母、
私のおばあちゃんになってからの祖母、
どちらの祖母にも食べてもらいたい、
とっても美味しいすいとん汁が出来ました!
世界中どこでも、
食べること
美味しいと感じること
が生きる上で大事だということ。
子供も大人も
隣の知らない人も
八百屋さんも
先生も
大統領も
兵隊も
みんな
同じように大切な人がいるんだよね。
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