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しゃもじとなべと女三代のカレーライス

女三代の台所

私が生まれた家では3人の女が台所にたっていた。
祖母・母・私。
3人同時に台所でたつわけではなく、それぞれの担当の日がある。
それぞれの得意料理や好きな料理があるので、料理が重なることはほぼなかったのだが、カレーライスだけは三者三様だった。

祖母と母の同じ日本のカレーライスでもそれぞれ全く違うものだった。

母のカレーはトマトの風味が濃く、どの具も大きく切られゴロゴロっと形をとどめていていた。印象は、限りなくハヤシライス、シチューに近いカレーだった。

祖母のカレーは、まずトマトを入れない。そして初日はともかく、2日以降はお肉以外ほぼ原型をとどめないものだった。母のものに比べて水気が少なく、もはや”ボテッボテ状態”。でもそれはジャガイモやにんじん、玉ねぎなどがルーに溶け込んでしまった状態だったので、全く味が濃すぎることはなかった。カレーの残りが最後の最後にいくほど美味しかった。

この二人がカレーを作る際にどのような調味料を使っていたかは、実は知らないが、共通点が2つある。

新鮮な月桂樹の葉を使う。

これは庭に生えていた月桂樹の木から葉をとりに行くのが、私のいつもの役割だったからよく覚えているのだ。カレー/シチューの時は

「SUMACOさん、ちょっと月桂樹の葉っぱをとってきてちょうだい。」

と言われて、おかって口からサンダルを履いて庭にとりに行った。

そしてもう一つの共通点は、

カレールーを2種類使う。

我が家ではカレールーはその日に作る予定がなくても、特売日などにちょこちょこ買い、いつも買い置きがある状態だった。そのため、いろんな種類があったので2種類を混ぜて使っていた。

道具もそれぞれ

カレーの具は母も祖母も、トマト以外は、ほぼ毎回変わりなく同じだった。お肉、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、マッシュルーム、ニンニク。

この二人がカレーを作る際に一つ違いがあった。
それは使用する道具だ。

まず鍋が違う。

祖母はいつも決まってアルミの両手鍋だったが、私が覚えている頃からすでに底は平らではなく、中心部が滑らかにくぼみ、鍋底の角はボコボコだった。外側はおそらく長年の焦げがこびりついていて底部分に近づくと真っ黒だった。蓋は、本当にその鍋の蓋としてセットのものだったのかわからない。大正生まれの祖母の嫁入り道具だったのでは?と思うほど古く、どんなにボロボロになろうとも祖母はそれを使っていた。最終的には、両手鍋だった取手は両方とも取れてしまい、蓋のつまみも無くなっていたが、それでも台布巾や菜箸を使って最後まで使い続けていた。我が家の台所では、誰がどの道具を使っても良かったのだが、祖母にはこれが一番使い勝手が良かったのだと思う。

そして、決まって木製の”しゃもじ”を使っていた。炒める時はもちろん、煮て、ルーを入れたときにかき回すのもしゃもじだった。
祖母が使っていた鍋はそこまで大きいものではなかったので、しゃもじを使っても底まで届いたが、どう考えてもしゃもじを持つ手は鍋の上部くらいまでは入る。熱気が熱いはず。

でも、祖母の手はとにかく熱さに強い。私では到底掴めない熱い湯呑みじゃわん、鍋、お芋さんなど平気で持てるのだ。

母もカレーやシチューに使う鍋が大体決まっていた。祖母のとは違うアルミ鍋で、径が広く、底はしっかり平らで祖母のものより重くて硬いアルミ鍋だった。でも、しばらくして母は新しい鍋を使いだした。径が広くて中深のテフロン加工の鍋に変わった。蓋はガラス製で中身がよく見えた。そして母は炒めるのには菜箸を使っていたと思う。煮る時、ルーを入れた後などはオタマを使っていた。母は、母の料理そのものも同じく、”新しいもの”を取り入れてみるのが好きな人だ。(ただ、冒険、実験的ではない)

私のカレー

さて、私のカレーはというと。
まだまだ経験も浅かったので、なんでも冒険だった。
実家で暮らしていた頃は、祖母の鍋は私にとって上級者向けだったので、母の使う鍋を使い、祖母の使うしゃもじとオタマを使った。

ある時、冷蔵庫に肉がなく、すぐ近くにお肉屋さんがあったのだが、買いに行くのが面倒くさくて
「まぁいいっか!」
と軽い気持ちで冷蔵庫内にあったシャウエッセンを入れてカレーを作ったことがあった。私は昔も今もソーセージが大好きだ。

しかし、それをものすごく母に叱られた。

叱られた理由は、

  • 面倒くさがらず、作りたいメニューがあるならちゃんと材料を揃えろ。

  • 肉を入れるべき料理の中にソーセージなんて入れるな。

お肉を買いに行くのを面倒くさがったのは悪いと思ったが、料理はなんでも試してみないとわからないんじゃないか?と思っていた私は悔しかった。というわけで、それ以降はちょっと反抗して、カレーの具にはいろいろなものを入れてみた。

私が実家を出てからは私が実家でカレーを作ることはなくなった。
休暇で実家に戻る際に「何か食べたいものはある?」と聞かれて必ずリクエストするのは祖母のカレーと母の揚げ春巻きだった。母のカレーが美味しくないわけではないのだが、私は祖母のカレーの方が好みで、母の揚げ春巻きは今でも誰にもどこにも敵わない絶品だと思っている。

私が実家を出てからいつの日か、庭にあった月桂樹の木はなくなっていた。処分したらしい。それ以降、我が家では乾燥した月桂樹の葉を買って使っていた。

ヨーロッパにいても、タイにいても、私はカレーをよく作るし、人にもふるまってきた。いろいろな具の組み合わせやトッピングを試してきて、やっとこの歳になってから”我が家のカレー”が定着し始めてきた。

私にとって”我が家のカレー”は祖母のものと母のと2種類あったので、私の”我が家のカレー”には、祖母と母、両方のスタイルが入っている。
いいとこ取りだ。

祖母のカレーのように具の原型がとどまらないタイプのカレーで、母のようにトマトを入れる。ただ、カレーに入っている固形のじゃがいもが苦手なので、代わりにカボチャを使う。
祖母と母と同じように2種類のカレールーを使用し、月桂樹の葉を入れて煮込む。食べる日の前日にカレーを仕込む。

私は、実家を出て初めて買った木べらを20年以上使い続けている。しゃもじより柄は長い。カレーを作るときに必ず使用するので、その先の部分は黄色く染まっている。そして、私はカレーを作るときにはル・クルーゼの鉄鍋を10年以上使っている。
私のカレー道具だ。

私の”我が家のカレー”写真ざっくりレシピ

鶏肉、玉ねぎ、しめじ、ニンニクを炒めるときに、
乾燥月桂樹の葉を入れて一緒に炒める。

トマトやカボチャを鍋に入れて、水を入れて煮込む。
カレールーは必ず2種類混ぜて使う。

タッパーに使いきれなかったルーを入れ、冷蔵庫に保存している。
カボチャをたくさん使用するので、カレールーを一般より少なめに使っても
とろみと旨味が出て美味しくできるのが我が家のカレー。
必ず入れる調味料は、シナモン、カレーパウダー、インスタントコーヒー、
トマトケチャップ、醤油、塩。その時の野菜の具合で味も変わるので、
その都度調味料の量も種類も多少変える。
トマトとカボチャがトロトロになってしまうまで煮込む。
かぼちゃはじゃがいもよりも崩れやすいのがまたいい。
そして、やはり木べらがいい。
トマトとカボチャでフルーティーな仕上がりになる。
一晩寝かせたカレーの方が断然美味しいので、
作った翌日に食べる。さらにカボチャがカレールーに馴染んでいる。
最近は、カレールーの味だけだと”濃すぎる””油っぽい”と感じるので、
とにかく玉ねぎとカボチャをたっぷり入れて、ルーと一体化させるのが好き。
トッピングには炒ったピーナッツは欠かせない。福神漬けは、長い海外生活で手に入りにくかったり、高かったり、そして買っても食べきれないというのを経験してきたため、全く使わない。
その代わり、きゅうりのピクルスや、それに近いサラダをトッピングすることが多い。
サラダもトッピングとしてカレーの皿にもってしまう派。
ときには、作ったその日にカレーを食べることもあると、
その日のカレーはまだ野菜やスパイスが馴染んでなく、ルー自体が
サラッとしているので、チキンカツや焼きチキンを買ってきてのせたりも。
そんなガッツリトッピングの場合は、甘酢にさっと漬けたラディッシュが爽やかで美味しい。

日本のカレー

日本のカレーは、私が今まで生活してきたどの国でもみんなが美味しいと言ってくれるので作りがいがある。
最近、大根と鰹出汁で作るカレーも好きで、日本にいる母に作り方を知らせたところ、あちらでも作ってくれて「美味しい」と言ってくれた。この残りのカレーで作るカレーうどんが非常に美味しいのだ。

私の友達には菜食主義者もいるし、私も含めて多少食物アレルギーがある人もいる。
そんな環境で、他の誰かと一緒に同じものを食べられる楽しさがある食は普段の食でありながら、ちょっと特別でもある。

当時の祖母は全く意識をしていなかったと思うが、
祖母の作るカレー、
そして祖母の

「知らん。やってみたら?やったらわかるだろ。」

という私の冒険カレーに対する姿勢が、私の”我が家のカレー”のバラエティの幅を広げてくれた。

祖母はもういないけれど、母は今でも同じ調理器具を使っている。
調理器具は星の数ほどあるが、自分が使いやすい、使い慣れた調理器具は使うほどに存在を主張し、それを使うことが料理の”味”にも影響するなぁと20年、30年以上カレーを作ってきてなんとなく思う。
もしかしたら道具も「うちの味」エッセンスにもなるのかもしれない。




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