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「死ぬ」と「生きる」を考えるヒント

「死ぬ」ことについて、考え尽くした時期がありました

そして答えが出ました(私なりに)

今、何か「死ぬ」「生きる」ことを考える、向き合うヒントがほしい方に、シェアします

普段「楽しく暮らす」をテーマにしていますが、そこへも繋がるテーマだと思っています

「死」への考察

「死」という響きにネガティブなイメージを持つ人は多いと思う

その言葉から連想されるイメージは、例えば
・鎌を持った死神
・病床
・事故
悲しい・怖いイメージではないでしょうか

私が感じていたのは、それらとはちょっと違っていて、もっと現実的な「人の最期について」とでもいうのか、

誰しもに必ず、例外なくやってくる、逃れられない「死ぬ」ということに対峙するのは、人生においては最も現実的に有効な作業の一つだと思う

きっかけ

そもそも、なぜそんなに「死」を意識するようになったかというと、
山に住んでいた時、人々の繋がりって強くて、
街に出るとわからないのですが、基本的にお互いを「知っているのが当たり前」

それは人によって良くも悪くも何とでも捉えることができるけれど、私の場合は比較的、好意的に受け取っていた

ある時、すぐご近所のお婆ちゃんが亡くなった
ご高齢でもあったので不思議ではないけれど、その時のことは今でもよく覚えている

お婆ちゃんは普段から家の横の畑の世話を欠かさずする人で、腰はすっかり曲がってしまっていたけど、斜面を上り下りし、猪を解体し、頭もしっかりしていて普通におしゃべりできる、矍鑠とした人だった

肌寒い日でも外に出て火を焚いてお茶を沸かしたり、芋を焼いておやつにしたり、普段からよく外に出ている姿を見かけていた

まだ歩き出す前から、スリングで抱っこした娘と毎日近所を散歩する時、たまにお邪魔させてもらって、お茶をいただいたり、なんでもないことを話したり。お野菜を分けてもらったことは何度もあった。いつも娘を可愛がってくれたお婆ちゃん

「じゃがいもあるかー?」と上の畑から呼んでくれて、「いいんですか?もらいに行きますー」と、採れたてをレジ袋にいっぱい入れて、毎回両手で持ち帰るような日々だった

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お婆ちゃんは一人暮らしだったから、家主が居なくなった家はしーんとして、不思議なくらい静か
本当に何の音もしない、気配がない、しーんとした静けさ

生前、留守にしていた時の静けさとも、多分家の中にいたであろう時の静けさとも全く違う静寂。その全く違う「音の無さ」に、これが「いなくなる」ということなのかと、感覚的に感じたことを覚えている

人がいなくなるのは音がなくなることなのかと、

当たり前と言えばそうなのだけれど、あの時の、とてつもない「静」は、今住む街では多分感じることができない。
もし同じようなことがあっても、あの家、畑、その敷地から丸ごと感じられる「静」は、あの山の中の距離感だから感じることができたもの

お婆ちゃんは、幸せだったのだろうか
一人暮らしで寂しくなかったのだろうか
最期逝く形はあれで良かったのだろうか、納得できたのだろうか
ふとした時にポツポツと浮かんでは消える泡のような疑問が出てきては、分からない答えのまま消えていく
その答えはお婆ちゃんしか知らない。私には分からないことなのだけれど、何となく、お婆ちゃんはきっと「これで良かった」と言うのだろうな、と、そう感じていた

そこから、「死」というものについて、また死ぬまで続くそれまでの「生」について、何となく意識するようになった。きっかけはそれだっと思う


今までの「死」

今まで人の死に触れてきたことがないのかというと、そんなことはなくて、おばあちゃんの時も、おじいちゃんの時も、覚えている

人が死んで動かなくなることも、お葬式の時に棺桶の中の顔が綺麗だったことも、みんなで花を捧げたことも、お墓で手を合わせたことも覚えている

「死ぬ」という現象自体は理解しているつもりだったけれど、今回はそれとは違って、今までよりもっと感覚的にというか、より観念に近いというか、上手く表現できなくて申し訳ないけれど、そんな感覚


母からの告白

お婆ちゃんが亡くなってから1年後、母の病気がわかった

ガン。余命も宣告された
それからは、手術、入院、退院、初めは家にいる時間が長がったのが、通院から入院になり、私たちが山を降りてから一緒にいたのは半年。短いのか、十分な長さだったのか、私にはわからない

でも、一緒に過ごせた日々があったことは、母にも、私たちにも、意味のあることだったと思っている

母は、闘病中はまるで別人のようだった
母はいつもニコニコしている人で、しっかりはしているけれど「心配してもしょうがないし、まぁいっか」と言うような、まるでストレスとは無縁のような穏やかな人だった

私のことは心配してくれているし、それでも任せておいてくれる、いい意味で放任してくれているけれど、定期的に「元気?」と調子を聞いてきてくれる。そんな人だった

だから私は、自分のことを自分で決めることができたし、経済的にも、精神的にも常に応援してくれていたし、やりたいことに挑戦することができていた

小さい頃からの母のイメージは変わらず、ニコニコしながら力を抜いて生きている人。目が合うといつも笑いかけてくれる、そんな人だった

病院には一人で行ったそうだ
胸が苦しくなって呼吸がしにくい感覚があり、近くの病院へ行ったら大きな病院を紹介されて、それがたまたま住んでいた場所の近くだったので、自分で歩いて受診しに行った。検査したら末期のガンだったと、
私はそれを電話で聞いた

山にいた頃、まだ引っ越す前は電話で近況を聞いたり、話をしたりしていた。その時、母の声からは、いつものように、でもどこか、もしかしたら不安があるのかな?という感じだった

山を降りて、一緒に暮らすようになってから、上手くいかなかったことはたくさんある

両親にとっては引っ越して初めての土地での暮らし、暮らし方の違いから慣れないことも多く、父に至っては転職が思うようにいかず(私たちにも反対されたりして)経済的に先行きが不安な気持ちが現れていた

私は私で、私たちにとっても初めての土地、初めての暮らし、でも決定的に違うのは、幼子の子育て中であるということ

夫は仕事で丸投げ状態。途中入園や一時預かりは満員でできず、一日中幼児の面倒を見ながら食事を作り、家事をし、休日は平日の繰り返し。夜はまだ起きる娘に起こされる

常に板挟み(娘と両親であったり、夫と父であったり、娘と家事であったり、母と娘であったり)いつも何かや誰かの板挟みの間にいる感覚だった

みんなが大変だった

バタバタしながらの日々は、それなりにバランスが取れたり崩れたりを繰り返しながら、だんだん落ち着いてはいったけれど、母の病は進行していった

母は、あまり笑わなくなった
後から思えば、あれは鬱だったと思う

闘病の方を持つ家族へのお願い

抗がん剤の影響なのか、精神的ショックのせいなのか、環境が変わったことによるのか、またその全てなのかわからない。けれど、実はガンの闘病中鬱になる方は、知られていなけれどすごく多いらしい。手術に転院した大きな病院には相談センターがあり、専門の看護師さん(だったと思う)に訊いた話には、「鬱を発症したり、精神科医にかかる程の辛さがあったり、きつい思いをされている患者さんはとても多い。けれど、その内半分の人は自分で我慢してしまう。本来なら精神を落ち着かせる薬を使用したり、不安を和らげる処方を受けて負荷を減らしてほしいし、そういった医療的フォローを受ける必要があるほど大変な思いをしている状態なのだから、受診してほしい。医療サイドにもそういったソフト面のフォローはもっと必要だと思っている。だって、ガンの宣告を受けるということは、それだけでとてもショックで大きなことなのだから」と。そう仰っていた

一緒に話は聞いたものの、結局母が精神科を受診することはなかった

父も、そういうことにはあまり意識が無かった様子だった

後から思ってもどうにもならないことだとわかっている。
けれど、今私がこのことを書いているのは、二人に一人がガンになると言われている今の時代、これを読む人の中にはこの先家族が病になったり、友人や自分自身が患う可能性だってあるはず

そんな時はこんなこともあったということをチラッと思い出して、「ちょっとおかしいな」と思ったら、一度信頼できる精神科を受診してみてほしい

家族は、あなたの苦しい思いを軽くしてあげたいと思っている
けれど、その方法がはっきりわからなかったり、医療の力を借りないといけない程の状態になっているけど、その判断ができなかったり、様々だと思う

薬によるガン治療の影響も心配かもしれない
でも、もし深く苦しんでいるなら、受診してほしい
薬に抵抗があるのならば、話を聞いてもらうだけでも可能。実際にそんな患者さんもいらっしゃる。家族には言えない不安な気持ちをそこで出すだけでも、何かが軽くなるかもしれない。「医療をうまく使いながら、利用すればいい」と、その看護婦さんは言っていた


私自身のこと

そもそも私自身はこれまで大きな病気をしたこともなく、ありがたいことに普通に生きてきた

ただ、初めて自分の「死」を意識した時期がある
それは、妊娠中

母になった女性であればわかる人は多いと思う、出産には母体も死うる可能性があることは、自分の体の変化で考えざるを得ない瞬間がある

でも、全ての人がそうではない

赤ちゃんが生まれてくるまで何の心配事もなく、ワクワクしながらポジティブに過ごす人もいると思う。それはそれで、とても素晴らしいこと

でもそうでないからといって、素晴らしくないということではない。
むしろ、同等に素晴らしい体験であると思う
なぜなら、それは特別なことだから

我が身のことにならないと、どこまでいっても他人事。わかったつもりになっていても、本当の意味では体感しないわからないことは多いし、そこで得た理解は自分の身になるもの。その時でしか得られない考えや思想が生まれるから

前置きが長くなったけれど、私は出産ということについてどう向き合っていいかわからない(はっきりしない)時期があった(注:ここで言う「迷い」は産む・産まないの迷いではなく、妊娠期の最期の「出産」という出来事に、「どうメンタルを持っていけばいいのかわからない時期があった」という意味)

出産を経験した人の中には「あーそんなのあったね」と思う方もいるでしょうが、多分これを読む多くの人には何のことを言っているかわからないと思う。それを説明すると長くなるので、それについては別の機会にするとして、とにかく「もしかしたら死ぬかもしれない」という現状に、改めて「死」について向き合った

そして出た結論は、

「もし死んだとしても、それはそれで仕方ないっか。」

あっさり。

でもこれ、妊娠中というものは、逃れられない
よく「死ぬ気で仕事する」とか、「命がけでやっている」と言っても、「本当に命がかかっている」のとは全然違うと言ってやりたい
「俺はこの仕事に命かけてやってるんや!」って言って、もちろん本当にかかっている場合もあるでしょうが、実質かかっているのはどれぐらいの割合でしょう

「死ぬ気でやってる仕事」でも、正直なところ、例えばもし今からハワイに渡航しても、自分は無事でしょう?それを止めることで本当に死ぬわけではない場合がほとんどだと思う。実質「逃げられる」という選択肢が、取らないだけでそこにある

でも、妊娠はおろす以外赤ちゃんからは逃げられない。だって、自分の身体の一部だし、繋がっているし、お腹の中にいるのだから。ハワイに行こうとブラジルに行こうと一緒

仕事していれば、仕事をしていない時間が必ずある。24時間頑張っていたとしても、トイレに行ってスマホを見たり、ご飯を食べたり、睡眠をとったり、でも、妊娠中は妊娠中以外の時間はない。
「えー、も、ちょっと無理。一瞬変わって」なんてできない

赤ちゃんから逃げたいと思ったことは無いけれど、これ、もうどうにも逃れられないなという自覚はあった。ポジティブでもネガティブでもなく、ただ事実として「そうである」という受け止め方

そして2つのパターンを考えた

一つ目は、私だけ死ぬパターン
もしそうなったら旦那もいるし、親戚もいるし、まぁなんとかなるだろう。命をつなぐことができればいいや。と

2つ目は、一緒に死ぬパターン
うーん、それはそれで赤ちゃんが寂しくないからいいかな。

でも、これに至るまでには一度「ここで死んだらどうなるのか」ということを考える。今までの人生、これからやりたかったこと、考えられる限りいろいろなことを考え尽くす

そして考えて考えて、
正直、今の時点で全部やりたかったことができているわけではないし、これからやりたいこともたくさんある。でも、もしそれが叶わなかったとしても、私はやりきった!もう100%向き合った!産むぞ!もうこれでダメだったら、それはそれで仕方ない。というところに至った

今、あの時自分自身の「死」について向き合えたことは良かったと思っている

漠然とした空想で「もし死んだら」と考えるのではなく、実感を持って捉えると、人は真剣になる。真剣に捉えて出した答えは自分にとって納得できるものであるし、その答えが一つの基準となって別のことを判断することもできるようになる

そうするとスッキリして、余計な迷いや不安を手放すことができ、集中してその先へと臨むことができた
踏ん切りがついたというか、覚悟ができたというか、はっきりとした決断ができた

今、私が「死」について思うことは、あっさりしている。「死」は「死」。そこに何も付加しない。死ぬこと自体は怖くないけれど、痛いのは嫌だ。
だから、事故とか病気とか痛い思いをしないですむ方がいい

単純ww

「死」についてしっかり自分と向き合って考えると、考えきったからもう考えなくてもいいや!OK!やりきったぜ。という心境に至って、とても軽くなる。

だから、あえて「私はいつか必ず死ぬ!だから、それまでをどう生きるのか」と、最期を決めてからそれまでを考える。「死ぬ」と決めると同時に「死ぬまで」が発生し、ではその「死までをどうするのか」について考えが沸き起こる

「生きて死ぬ」ではなく「死まで生きる」。死まで生き切る!覚悟が生まれると、「生きる」ことにも向き合うことができる。

だから、「生きる」の前に「死ぬ」と向き合ってほしい。だって、みんないつかは必ず死ぬのだから

超ハードな問題を先に解いてしまう。そんな選択も、ありだよ

じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼