意識高い系の食器は子育てに必要か
娘が幼児期に思ったことを振り帰って書いてみます
私の子育て事情
私の場合は妊娠中に山へ引っ越して、産後は赤ちゃんの時は知らない土地、友達も家族も遠く離れた場所で初めての育児を訳も分からず、それこそ必死だった
正確には、私自身はゆったりとしていたけれど
「あれ?必死にならなければいけないのかな?」と感じることがあった
なんでしょう、環境の無意識の圧力のようなものを感じていて、「必死にならなきゃいけない」社会の風潮?を感じることで、必死にならざる負えない状況へ自分から追い込まれていったように思います(そんな必要ないのにね)
娘がちょっと咳をすれば「風邪ひいたの?」と周りから言われることがすごく気になってしまい、それこそあまり人と会いたくないと思った時もあった
その方達が「ちょっと言っただけ」なのはわかる
でも初めての子育てをする私は、そんな「ちょっとしたこと」でも気になってしまった日々。多分それほど余裕がないし、自分でもわからないことだらけの子育てだったから、(しかも赤ちゃんは日本語で会話できないのでこちらが察する能力が必要)不安が常に同居。大切だから、心配になってしまう。そんな心境があった
初めての子育てはセンシティブ
限界集落でワンオペ、小児科までは車で1時間。図書館やカフェなんて場所もなく、そもそも若者がいない
私の場合は少数派だが、一人で全部しなければいけない状況にあるお母さんは多分、きっとたくさんいる
「産後うつ」という言葉が珍しくないように、特に一人目のお母さんは大変な状況下にあることが多い。夜もまともに寝れないことが普通。そんな状態で、落ち込みやすかったり不安になってしまいやすい状態なのです
今振り返ると「あ、あれはちょっとあかんかったな。」とわかるけれど、その時は自分では分からない(今まで経験したことがないから自分で判断できない)、例えば鬱っぽいから病院行かせて欲しいと言ったところでできない(ではその間娘のことを見てもらえるかというと夫には見てもらえず。頼める親戚もサージスもない状況。物理的に病院へ行くことはできなかった。
鬱だったと思うけれど、診断されていないから鬱ではない、ということになるのだがしかし、その時病院に行っていたらどうなっていたのかな?わからないね
何をどうしたらいいのかが分からない、それこそ手探りの状態で、いろいろ調べる。例えば「そろそろ子どもの食器をどうしよう」とか
(前置きが長くなりすぎましたね、すみません。さてここから)
子ども用の食器商戦
ネット調べだけでも様々なのもが見つかる
例えば
「本物」に触れて育つとか
、
初めての器こそいいものをとか、
本物の食器、
職人の技に触れる...
意識高い系のブランドサイトに掲載されている食器たち
※意識高い系を否定しているのではありません。意識高いものが好きな方はそれでいいと思っていますからね。誤解なきよう
出産前にも思ったことですが、妊婦さんやお母さんたちへの赤ちゃんグッズ商戦が、不安を煽って買わせようとする手法が多いということ
この手法は一般市場においてもよくある手口で、
「ミルクには安全な水を」は「普通の水を使うのは安全でない」といメッセージを
、「赤ちゃんの頃から本物のものを身につけることで自然と確かな感覚が備わる」は「並の物では本物の感性は身につかない」「赤ちゃんからでないと手遅れ、本物の感性は身につかない」というメッセージを
、「安心の日本製」は「日本製じゃないから安全じゃない」を、意識的にか無意識にか発している(ように思えた)
そしてそれが自分のことならまだしも、赤ちゃんのことだから余計に心配になったり不安になってしまう
先の食器で言えば、それこそ5千円も6千円もする食器もある。例えば「職人が作った〇〇焼の陶器」とかね
何かと物入りな時期、赤ちゃんの食器だけでその値段、そこにお箸やフォーク、スプーンなども揃えると1万円超え。
そんな調子で揃えるのなら、赤ちゃん周りのもので何十万とする。
オーガニックコットンとか、無農薬自然栽培の野菜ペーストとか、角がなく丸い受注生産のベビーベットとか、きりがない
そんな生活水準の人もいるでしょうけれど、それこそ少数派の人たちではないか。庶民の方が人口が多い
多くの人にとっては、当然買えない
そうすると、その赤ちゃんの周りを安心で、安全で、良いものを揃えてあげられない母親というレッテルを貼られた気に、錯覚させられるのです(錯覚よ、錯覚!)
意識高い系食器メーカーに言いたいこと
実際私が見た例で言うと、「○○焼の日本製、職人の技でこぼれにくい子ども用食器」を5千円で扱う店があった
だが、その器を買うことが職人の技に触れ感性が身につくものなのだろうか。その器を買うことだけで?
そんなわけない
器ひとつ買えば安心、そんな単純なものではない。そしてメーカー側もそれがわかっているはず。
「割れた器を金継ぎすることでいいものを長く使う大切さが身につく」とか、「ものを大切に扱うようになる」とか「一生もの」だとか言っても、金継ぎする器はそのメーカーの器でなくてもいい。ものを大切に扱うようになるのは食器の話だけではなくもっと総合的な働きかけで成り立つもの。「一生もの」として使うのは買った何割の人でしょう?その人たち以外は「一生もの」を「一生ものとして使えない」駄目な人たちですか?
ここでも先に述べた「ちょっと言っただけ」と同じようなことが起こっている
その商品は本当に赤ちゃんとお母さんの側に立って考えたものですか?
赤ちゃんが食器を落としたり投げたりすることはよくあること。そんな時単純に陶器は「危ない」。
では、そんな乱暴な振る舞いをする赤ちゃんが異常なの?母親の育て方がなっていないの?育ちが悪いの?
違うよね
そういうものなのです。それが自然。普通のこと
だけど、そこで赤ちゃんが器を割ったら「もうっ せっかく買ったのにこんなことして」とお母さんが怒ったなら、残念な気持ちになってしまたら、
悲しい
それは、その良い器が割れてしまったからではなく、「お母さんがネガティブな気持ちになってしまった」から。そしてお母さんがショックを受けていることを、赤ちゃんが少なからず感じてしまうなら、良いことが何もない
そこまでして、果たして「上質な陶器」を買う理由があるのか
〇〇焼であれ職人の技であれ、なんであれ、お母さんと赤ちゃんの気持ち以上に大切にするべき、それほどの価値があるの?
「私たちは優れたノウハウを持っている。ならばそれを赤ちゃん用にも作ってあげたい」と思って出しているのかもしれない。でも、本当にそう思っているのなら、そのノウハウを“赤ちゃん用のものにする意味”を考えてほしい
「赤ちゃん用を作ってみただけ」のものになっていませんか?と問いたい
相手の状態や環境やそれがどのようなシーンでどのように使用されるのか、深く寄り添うことなく「何よ「ちょっと言っただけ」なのに(ブツブツぷんぷん!)」となりませんか?とw
陶器が割れるからプラスチックにしろという話でもなくて、この辺りのニュアンスが難しい...
例えば割れない木製食器ならいいのかというと、木製の漆塗り食器も陶器と同じく高額
この価格が付くほどの手間がかかっており、真っ当な価格設定だと思う。でも、これにおいても「それを買わない」という選択が(または他のものを使うことが)いいものを揃えてあげられない母親だというメッセージに売言葉がなっていないかということを考えてほしい
陶器でも天然木の塗り椀でも何であれ、
買った時が最上位ではなく、実際に使っている時が最上位になるように、シーンを想像して販売し、提案してほしいと思っています
そしてもしメーカーが本当に一人でも多くの赤ちゃんに本物を届けたいと思っているのなら、どうか他の商品で得た利益を還元する形で少数でもいい、買いやすい価格で相手のことを本当に考えた上質なものを、提供してもらえたら、どんなに素敵なことかと思います
「ちょっと言っただけ」
商品作りも人との接し方も共通することがあるのだなと思う
私は、子育ての幸せな時間の中にあるお母さん達が、少しでも不安や心配な気持ちにならないようにサポートできるような、そんな社会(周りの環境)だったらいいのにな、と思う。そのためにできることをしていきたいと思っている
長くなりましたが、今回の記事は大変な状況のお母さん達を少しでも守りたい!という気持ちで書きました。かつての私を守るために。
みんな、がんばってるよ👍
じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼