老後の暮らしを精神的に豊かにするために
何か大きく環境が変わるときは不安になる。
つい先日、定年退職したが、やはりいろいろと心配になって、今後のことを考える時間が増えている。老後資金は足りるだろうか、何か生きがいを持たないといけないんじゃないだろうか、などなど、考えても考えても答えは見つからない。(ビールを飲んだり、昼寝をしたりしつつ考えているせいで見つからない、という可能性も完全には否定できない)
そこで、本やネット記事に答えがないか探してみているが、いまひとつしっくりこないのである。
「老後に備えてお金を貯めましょう」
→ もう遅い感じがする。
「余裕のあるお金を投資に回しましょう」
→ ないわ、そんなもん。
「趣味を持ちましょう」
→ めんどくさいわ。
「地域デビューしましょう」
→ 今さら、そんなことしたくないってば。
書いてあることは、いちいちもっともだが、できそうにないことも多いし、まだそんなに頑張らなければいけないのだろうかと嫌になる。読めば読むほど、元気がなくなってくるのである。
気を取り直して読み続けていたら、この本を見つけた。
まず、タイトルが素晴らしい。
退職してからというもの、どうにもならないことを堂々巡りに考えていたから、我ながらバカみたいだった思う。
今の私にピッタリの本だ。
心配ごとが、これでもか、これでもかと膨らんできてしまっていて、やたら気が滅入っていた私にとっては、切れ味抜群の言葉の数々が心地よい。
「〝定年後〟だって大丈夫にきまっている」
やたら危機感をあおるような本や記事を読んで辛くなってきたら、この本を読み返して元気をもらうことにしよう。
定年退職後、あれやこれやとグズグズ悩んでいる人に、本当におススメの本だと思う。
ロシアによるウクライナへの侵略行為には、本当に胸が痛む。
それに比べれば、老後の心配など取るに足らないに決まっている。老後資金が足りなければ働き、長生きしたいのなら禁煙し、カツ丼を食べる頻度を減らせばよいだけのことだ。もっと心配すべきこと、やるべきことがあるだろうと反省した。
本やネットの記事の中には、適当に思いついたことを並べただけだったり、やたら不安をあおったりと、とても現実の老人に寄り添っているとは思えないものがたくさんある。勢古浩爾さんが指摘するとおり、そんな記事を書いている人たちは、本の売れ行きや記事のページビューが気になるだけで、私たち一人ひとりの生身の人生には、なんの興味もないだろう。
そんな記事に一喜一憂する必要はない。「ふーん」ぐらいに読んで、過敏に反応しないよう注意しなければならない。
また、年を取ったら生きがいを持て、とも言われる。たしかに、現役時代は仕事に追われて、そんなには充実していなかった。それゆえに、退職して自由になったら、もっと生きがいのある老後にしたいという思いが強くなったのは事実だ。
しかし、「充実」させるのは、決して簡単なことではない。
「~したい」という「その意味を大切にして、定年後など、好きにすればいいのである」
この言葉もいいな。
でも、よくよく考えてみると、若い人だって、好きにすればいいのである。会社に勤めていたら好きにできないと思われてしまうかもしれないが、それぞれの制約の中で、好きにする方法はどこかにあるはずだ。
こんな私でさえ、会社で発信していたブログに好きなことを、しっかり混ぜていたのだから。
誰にも指示されず(妻を除く)、誰にも束縛されない、この暮らしはなかなか心地いい。
退職して間もない今は、思いだしたようにnoteを書き、そばに寄ってきた猫を撫でている。
やっぱり、じじいだな。
私は公園のおじさんではなく、引きこもりのおじさんだ。っていうか、じじいだ。はたからみれば、公園のおじさんより動きが少ない分、より死んでいるように見えるだろう。
でも、カッコいいおじさんなんか目指さなくていいんですよね。
激しく同意。
私は、今でこそ「ただの人」だが、何を隠そう、在職中も「ただの人」だった。
だが、「ただの人」にも夢がある。これから「なにを詰め込むか、詰め込まないか」を考えていくのは、楽しみでしょうがない。
…ちなみに、今日はおやつには、みたらし団子を「詰め込む」予定です。今から西友に買いに行ってきます。
それでは皆さん、ステキな一日を!
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