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行間を訓む vol.12 ~ 湊あくあ「未だ、青い」編 ~

プロローグ

 
 「みなさんどうも、こんあくあ~⚓!!」ホロライブ2期生、バーチャルゲーマーアイドルメイド「あくたん」こと「みなとあくあ」さん。その愛らしいルックスとカワボが織り成す歌声は多くのファンを魅了し、今日まで多くの「あくあクルー」を獲得されてきました。
 今回はそんな湊あくあさんのオリジナル曲の中でも比較的最近リリースされた楽曲に焦点を当てて"行間訓み"をさせて頂こうと思います。

 あくたんこと「みなとあくあ」さんについて僭越ではありますが簡単にご紹介させて頂きますと、Vtuber事務所「ホロライブプロダクション」所属の2期生、おっちょこちょいでドジっ子なマリンメイド服を纏ったバーチャルメイドさん。
 「メイド服」「アイドル」「ドジっ子」というなんとも多方面のヲタクに刺さりそうな要素と、頭から足先にかけてすべてにおいて愛おしく思えるような「かわいさ/萌え」が詰まったそれらを裏切らないルックス。まさに漫画の中のヒロインがそのまま具現化したかのような「かわいい(kawaii)アイドル」を地で行くような存在。
 しかしながら人と接するのは少々苦手なようで、初対面の人はおろか何度か会っているホロライブのメンバー(ホロメン)でさえ親密度によっては目を合わせてお話しするのはハードルが高いようで、そのせいか常に室内でも深々と帽子を被っているとの情報もあるくらいの人見知り。外食の際には店員さんとお話しするのも億劫なレベル。どうやら俗に言う「陰キャ」らしい。
 でも、そんなあくたんは愛されキャラ。ひとたびステージに上がって歌を披露すれば瞬時に全世界に癒やしの波動を放ち、アイドルに大変身。ちょっと不器用でおっちょこちょいなところも愛せてしまうようなところもあり、母性本能(?)をくすぐってくれます。

 さて、本題に映りますが、今回の企画で取り上げる曲は2022.08.11.にリリースされたオリジナルシングル「だ、青い」です。
 あくあさんと言えばピンクと青の特徴的な髪色ですが、今回は「あくあ=アクア(aqua)」の名の如く空や海の色の代名詞とも言える「青」がタイトルに冠されており、「青い」という形容詞を「未だ」という形容動詞で修飾しています。
 「青い」で思い起こされる単語となると、「未熟さ」や「若さ」を意味する「青二才」、能力の天井が無く成長の伸びしろが無限大なことを意味する「青天井」、計画の理想やイメージを示す「青写真」、若い時代・人生の春とも言われる「青春」などの言葉があると思います。
 「未だ」をひらがなの「まだ」ではなくあえて漢字にすることで「未完」「未熟」「未来」などのワードを連想させます。
 ぱっと見たタイトルの印象としては「自身の今とこれからを見つめる」といったもののような印象を私は受けました。
 さて、実際はどうなのでしょうか。下記のリンクから一度ご試聴してみてください。▼

 いかがだったでしょうか。青春を思わせるような爽快感と疾走感ある曲調と軽快なメロディー、あくたんの透明感のある歌声、マンガ調(二次元)のMVが織り成す三位一体の心地よさ。まさにエモさのミルフィーユやぁ~!!(⇐🤔???)
 ―― 先程タイトルについて若干触れていますが、ここでひとつ疑問符が上がります。『「未だ、青い」という曲の題』『Vtuberとして4年以上活動してきたあくあさん』を見たときに、「青い」という形容詞は一体どのような意味を内包するようなものになるのでしょうか。歌詞の内容にヒントがあるかもしれませんので、順を追って"んで"いきたいと思います。

 注)セクション分けや歌詞の内容の考察ついてはあくまで筆者の個人的主観です。私自身は専門家でも何でもありません。もしかすると表現や言葉使い等に間違いもあるかもしれませんし、解釈違いが起こることは否めませんので万一の場合はご容赦ください。


歌詞訓み(§1)


お目覚め。タイトルの手書き文字・背景・滲ませるような演出が光る。


 イントロ(導入)で朝、あくたんが目を覚ました様子からタイトル掲出、今日も一日が幕を開ける。

風、一つ 染まっていく音を たなびかせて
流れ出す 朝焼けの空を 飛んでいく (通りすぎていく)
聞こえた 震えてる声の 君は誰だろう
なんでかな 会いたくなったんだ 会えるかな

 吹き抜ける風が音をたなびかせ、朝焼けの空を染め上げる。一日の始まりを告げながら私を通り抜けていく風。そんな風に混じって確かに聞こえた震える声。なぜか気になって声の主に無性に会いたくなった、会えるだろうか。


夢、一つ 鞄のポケットに 忍ばせて (忍ばせて)
鐘、一つ 始まりの朝に 遠く響く (鳴り響く)
思い出す 結んだ指に 残った温度は
今も未だ 青く残っている 褪せぬまま

 鐘が始まりの朝に響き渡り、それを合図に自分の「夢」を忍ばせた鞄のポケットを揺らして歩き出す。君と結んだ小指に残ったかすかな熱は、今も褪せずに私の心に青さを帯びて残っているのを思い出しながら。


「鳥や、 雲じゃないから 飛んでいくのは、無理だね」
それだったら 歩き出してみよう
そうやって 描いた今日を 通り越して
明日はもっと 君のそばへ
前へ、そう前へ 少しずつ 進んでいく

 鳥や雲のように空を飛べないのなら、同じ前進でも地に足を付けて歩き出せば良い。キャンバスに描いた「今日」という日を鏡あわせに自分と照らし合わせながら、一歩ずつ、少しずつ。明日はもっと「君」のそばへ近づけるように前に足を運ぶ。

文字通り疾走感のあるサビ。確かな足取りで前へ。



一歩、 五十歩、百歩 踏み出して 揺らめいている君が
青く滲む 青く滲む 綺麗に
会いに行く 会いに行こう 今すぐ

 歩武を進めその数を確実に増やしていくと、輪郭がぼやけて揺らめいている「君」の周りが青く綺麗に浸透して色づいてきた。きっと、会いに行くから。いやすぐにでも、今すぐ行ってみせよう。

ついに声の主である「君」の輪郭が見えた。


歌詞訓み(§2)


 時間が進むことを示す情景描写と共に旅路の歩みの進み具合を示しながら次の章へ。

波、白く さざめく音に 耳を立てて (耳澄まして)
赤く、 青く、 夕映えの空 昇る星 (瞬いている)
不思議と 不安な旅も 怖くないから 手を振って
うつむかないように 歩いていく

 白く色づいて打ち寄せる波の音に耳を傾けていると、昼と夜の境をぼやかして滲ませながら染まる夕焼け、その更に頭上には深く濃い青色のカーテンが降りはじめ、瞬く星がその輝きを増し始める。
 なぜだか自分でも不思議なくらい、怖くて不安な旅のはずなのにえらく落ち着いている。これまで出会って来た人々と思い出に一旦別れを告げ、俯いて下を向いてしまわぬように気をつけながら更に歩んでいく。


「憧れても、願っても 誰にもなれないな」
それだったら 自分になってみよう
そうやって 目指した今日を 飛び越えて
明日はきっと 会えるから
じゃあね、そうしたらね、 一緒に 何を話そう
一歩、 五十歩、百歩 重ね合って 紡いでいく時間が
融けていく 融けていく

歩を進め、前へ。時間も刻々と進んでは融けて行く。


 結局私は憧れ・願い・欲して努力をしてみたけど何物にもなれないのか。いや、何物にもなれないのであればオンリーワン(オリジナル=自分)になってみればいいのかも。
 今日という一日の目標をひとつひとつ着実に飛び越えて、明日にでも会えるであろう「君」に思いを馳せる。もし会えたら一緒に何を語ろうか。お互いに進めてきた時間がゆっくり無情にも消えてゆくと同時に、足跡を重ねながら織り成す時間は融けて混ざり合ってひとつになる。

それでもいつかは 夢が終わるなら
それでも良いかな 君がいるんなら
世界の中で 出会えた君が 理由になったら それでも良いかな

ついに出逢った「君」。幼い自分の姿のようにも見えるが…?

 いつか、描いた夢にピリオドが打たれる日がくるのであれば、それはそれで良いかもしれないとさえ思える。「君」が一緒にいるのであれば。
 私が歩んで愛した世界で出会えた「君」が幕引きの理由になるのであれば、それでも。

一人の今日を 飛び越えて 描いた今日を 通り越して
明日はもっと 君のそばへ 前へ、そう前へ
少しずつ 進むよ
一歩、 五百歩、 千歩 繰り返して 指に触れる君が
青く滲む 青く滲む 綺麗に
いつまでも そばにいて 良いかな 良いかな

ついに「君」を見つけ、連れ出す。青く色づくセカイと共に。

 ひとりの過去を乗り越えて、明日は今日より「君」の近くへ。その為に前へ前へと進む。小さいかもしれないけど、一歩一歩着実に繰り返して重なった歩みが実り、指に触れる距離まで来た「君」の姿が鮮やかな「青」に染め上がり、綺麗に滲み広がって行く。身勝手かもしれないが、願わくばいつまでも君のそばに居たい。良いかな。
 ※§1では歩数が1⇒50⇒100と増大しているのに対して、§2では1⇒500⇒1000と桁が多くなっていることで、少ないのであれば努力で以て物理的に数をこなすというようなメッセージを微かに感じる。


エピローグ

 ―― 青春を感じさせるような旋律と透明感のある歌声が心に吹き抜けるさわやかな風のようにすうっと通り抜けていくような良曲でした。

 さて、冒頭でもお話しておりましたがズームインすべき (焦点を当てて訓むべき)お題が残っております。それは…
①「青い」の形容詞の正体 
② 曲中に登場する「君」の正体
…という点についてです。それぞれ自分なりに考察してみようと思います。

①「青い」の形容詞の正体 

 曲中で「青く滲む綺麗に」と表現されているように、ぱっと見では比較的ポジティブな意味があるようにも捉えることが出来ます。ここでは比較的良い意味で使われがちな「若い時代・人生の春」とも言われる「青春」という言葉に充てて考えてみることとします。
 文字通り「若い=青い=未熟」となる点ではある意味ネガティブかもしれませんが、「未熟だったからこそ自由な発想ができた」「何も知らないからこそ何者かになれる気がした」という経験や知見を得ることも無きにしも非ずでしょう。「隣の芝生は青い」という表現にも「青」が使用されます。つまり、「青い=未熟で無知であるからこその良さや存在意義」があるということになるのではないでしょうか。更に言えば、「青空」や「青天井」といった言葉であればどこまでも広がっていくようなイメージを助長させます。
 「青い」という形容詞の正体は、こうした「若くて未熟だけど、だからこそ大きく広がって見える世界」という形容詞としての役割を果たし、それがまだ綺麗で愛おしく見えている自分(ここではあくあさん本人)はまだまだ可能性を秘め、多くのことに挑戦をするための自分の足と道程は青く滲んで(はっきりはしない部分もある)見えているということなのではないか…と考察します。

② 曲中に登場する「君」の正体

 曲中に「君」という人称代名詞が何度も登場しますが、それは一体何を指すものなのでしょうか。さらにMV内のマンガ動画ではあくあさんの幼い自分の姿を「君」と匂わせ、それを探す描写と歌詞の羅列がされています。
 これについては、「青い」という形容詞の部分にある意味通ずるところがあります。あえて自分の姿でかつ幼く小さく表現されているところから察するに「心の中にいる未熟で幼稚(=青い)な過去の自分」のSOS(恐らく)の声が聞こえ、逢いたくなるというところから冒頭の導入が始まり、最終的に見つけ出し、扉の外の世界に連れ出すという描写があります。
 今の自分は過去の自分に出逢ってたくさん話すことで更なる知見を得て、目指すべき「未来の自分の姿」や「目標」を描き、青く見える世界(やるべき事、やれることが多い広大な世界)で共に歩んでいく…というストーリーなのではないか…とします。
 上記のように仮定すると、「君」が小さく幼く描写される点・「青い(=若い)」という形容詞を体現するという点で合点が行きます。さらには未来や目標を目指す、つまり前へ進む過程で、「過去の自分」を「今の自分の構成要素」として受け入れて、自分を更なる高み(輝かしい未来)へ押し上げるというストーリーが見えてきます。
 見つけた「君」である自分の目に涙が浮かんでいる点はSOSの裏返し、手を差し伸べて連れ出す描写で「受け入れるだけの包容力を持った過去から見て未来の自分」・「過去の自分を愛おしく見ることが出来、過去に比べて成熟した自分の体現」、青く広がる世界で未来へ向けて共に進み出すという点で時系列上は成立しそうです。
 しかし、旅(=「人生」ともとれます)を続ける以上、時間は前にしか進みません。しかも「いつか来る終わりの理由が自分」と訓んだ点、前に進むのに過去の自分に逢いにいくという点で説明がつきません。この点は「君=過去」であると同時に「君=未来」とも捉えることが必要かもしれません。
 足を前に進めつつ過去の自分にも目を向けて未来に進むヒントを探すという解釈をし、歩んできた愛おしい世界(自分が打ち込んできた分野)の中で夢が終わる時、自分の未来や過去が歩みを止める理由になるならそれでもいいかもしれない、つまり「一生懸命努力をした過去」や「巨大すぎる目標や未来へ一所懸命努力をしたけど叶わない」という部分が存在するのであればそれはそれでブレーキをかける理由になってもいいかもしれないという考え方であれば説明はつきそうです。
 従って「明日はもっと君の側へ」という歌詞から、「君」という人称代名詞は「前へ進む過程で受け入れるべき過去」であり、さらには「目指すべき自分の目標や未来」という解釈を歌詞の前後内容によって変容し得る、そんなものなのではないか…と考察します。

 以上のことから、「未だ、青い」という表題は「未だ自分の目指す道程や未来は青くて未熟かもしれないが、だからこそ未だ自分の目には綺麗に映っている」といった具合の"訓み"となった形でございます…。うーん、深いですね…!!


みおわりに

 この企画を始めた際の企画説明でお話ししておりますが、「作者(クリエイター)が何を伝えたい(表現をしたい)のか」という点は「受け取り手によって様々」ということは曲げようもない現実です。プラスの意味かマイナスの意味なのかということもある程度利己的な意図を入れて考察することもできるでしょう。つまり読み手によってどのような意味にも取ることが可能です。
 以上を踏まえた上で私は歌詞に含まれる言葉意味と並びから誠に勝手な推測で「こういう解釈もあるのでは」という考えの選択肢を調べ拡げた上でその中の一部を選択して切り取っているに過ぎません。
 言葉ひとつ取ってもどれだけたくさんのことを連想し考察できるかという点において勉強をしながらこの企画を行う(これも誠に勝手だが)ことができることは私の推し事人生の上では「愉しみ」なのであります。それを「面白い」と思って記事を読んで下さる方がいることは大変にありがたいことでございます。読んで下さる方、いつも本当にありがとうございます。

 この記事をご覧になり、湊あくあさんが気になった方は、チャンネルとTwitterアカウントを下記に載せておきますのでどうぞ! ▼

湊あくあTwitter:https://twitter.com/minatoaqua

それではまた次回の「行間を訓む」でお会い致しましょう!!
おつあくあ~⚓!!👋
2022.09.28. つなな

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