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行間を訓む vol.32 ~ 隣町本舗 「52Hzの鯨」編 ~

プロローグ


 もう9月になりましたね!つななでございます。秋生まれの私としては良い季節になったと言いたいところですが、9月だとまだ暑いというイメージが抜けきらない、そんな季節になってしまったというか。「地球温暖化」が「地球沸騰化」というワードに取って代わってしまうくらいですから、暑さ対策はまだまだ必要ですね…。

 さて、本日は9月4日。語呂あわせで「くじらの日」である本日の「行間をむ」で取り上げさせて頂くのは、バーチャルシンガーソングライター、隣町本舗となりまちほんぽさんの「52Hzの鯨」という楽曲になります。


単刀直入に失礼します。
初見の方は下記からまずは1回、聴いてみて下さい。


 ――― 作品として完成されすぎてて。私も初見では良曲すぎて、聴いた直後は暫し余韻に浸ってしまうくらいでした。

 どこか合唱曲のような雰囲気もあり、それでいてイントロからぽつぽつとつぶやきの儚げな雰囲気、サビ前に向けて上がっていく感じの曲調からのサビでどーーーんとクライマックス。どれ取ってもいいンすよ。すごく(迫真)

 タイトルにもなっていますが、そもそも「52ヘルツの鯨」とはなんなのかという部分について正直私もよく分かっておりませんでしたので、一旦そこを掘り下げてみることから始めてみます。


「52ヘルツの鯨」とは


 時は1989年、冷戦期にアメリカ海軍が極秘で運用していた海中探査システムが太平洋上で正体不明の音源を探知しました。周波は52ヘルツ。敵の潜水艦かとも思われましたがどうやら違う様子でした。
 冷戦終戦後の1992年、この録音データの機密が一部解除となった際に、同じくアメリカのウッズ・ホール海洋研究所のウィリアム・ワトキンスさんの分析の結果、「この特異な音はクジラの声だ」と彼は断定したのです。
 クジラの歌はコミュニケーションの手段と考えられているのですが、この52ヘルツの呼び掛けに応える声は過去に一度も記録されていなかった為、ワトキンスさんは「きっとこのクジラは仲間の誰とも交信できず、孤独に生きているに違いない」と考えました。
 未知の種の最後の一頭か、突然変異で誕生したばかりの新種か、あるいはシロナガスクジラと何かの悲しい雑種なのか ――― この鯨の歌は毎年観測こそされているものの、発信源である個体が現在まで発見されておらず、種類の特定まで至っていません。通常の鯨はもっと低い周波数を使うため、52ヘルツの歌は他の鯨に聞こえていない可能性が高く、「世界で最も孤独な鯨」と呼ばれてきました。
 ワトキンスさんは2004年にこの世を去り、その答えを知ることはありませんでしたが、その後も「52ヘルツの鯨」の謎は世界中の人々を魅了し続けているのです。

 また、関連するところでは作家の町田そのこ先生が「52ヘルツのくじらたち」というタイトルの小説を出版されており、そこでも「52ヘルツの鯨」について触れつつ物語が描かれています。2021年の本屋大賞の受賞作品にして2024年には映画化も決定している有名な大ヒット作品ですね。


 ――― 存在するかもわからないが、確かにその周波数でコミュニケーションする個体に繋がる手がかりは観測されている。未知なる物への期待と謎が秘められた存在、それが「52ヘルツの鯨」というわけなのですね。そんな謎多き鯨がタイトルに冠された今回の楽曲の歌詞は一体どんな世界が広がっているのでしょうか。次の章から歌詞の海に潜ってみることに致しましょう。


 注)セクション分けや歌詞の内容の考察ついてはあくまで筆者の個人的主観です。私自身は専門家でも何でもありません。もしかすると表現や言葉使い等に間違いもあるかもしれませんし、解釈違いが起こることは否めませんので万一の場合はご容赦ください。


歌詞訓み(§1)


裸足のままの夜 寝付けずに零れる
一つ数えて、二つ 鯨の夢をみる

 素足のまま零した水のように寝転がったのに、未だに寝付くことができない。どうすればいいのかも分からず、ふと数を数えている内に誘われるのは、悠々と泳ぐ大きな鯨の夢。


眠れず 午前二時
あの頃、どうしたかな
一つ数えて 消える
あの日のこと 忘れてしまうかな

 気付けば時計の針は午前二時を示している。自分はあの頃だったらどうしていただろう。ひとつひとつ数え浮かんでは消えてしまう数字のように、"あの日のこと"もいつか記憶の彼方に霞んでしまうのだろうか。


手を離した隙に
溺れちゃう前に
耳を澄まして

 手を離して広大な海の中に"あの日の記憶"が溺れ沈んでしまう前に、耳を澄まして”あの声”を捉えなければ ―――


52Hzのあなたの声は
あと数センチの届かない思い出
輝け 海の子

 周波にして「52Hz」だったあなたの発するその声は、大海原を優雅に漂う鯨の声らしいと聞くけれど。その姿を完全にとらえることはできずに、あと数㎝くらいというところで手が届かない思い出として残ったまま。母なる海にその身を預ける鯨のその声を轟かせ、いつまでも輝かせて欲しい。



歌詞訓み(§2)


気付けば 時が経ち
あの頃、どうしたかな
一つ数えて 増える
あの日の夢 叶えられるかな

 気付けばいつの間にやら時が過ぎ去ってしまった。"あの頃の自分"はいったいどこへ置き去りにしてしまっただろうか。それすら思い出せない。
 ひとつひとつ数えては膨らんでどんどん増えていく"あの日語った夢"をこの手で叶えられるだろうか ―――


手を繋いだ時に
思い出せる様に

 やっとの思いでしがみつくようにその手を伸ばして繋いだときに、"あの日の夢"を思い出せるようにしておこう ―――


52Hzのあなたの声は
あと数センチの届かない思い出
轟け その鼓動

 「52Hz」で繰り返されるその声は、大海原を優雅に漂う他の鯨たちにすら届かない。距離にしてあと数㎝くらいというところで手が届かないもどかしい思い出。せめて確かな存在であることを示すために、その鼓動を轟かせ続けて欲しい ―――


52Hzのあなたの声は
あと数センチの届かない思い出
泳げない 想いで

 「52Hz」で発されて大海原を彷徨い続けるその声は、聞こえているのにあと少しのところで捉えられず"想い"を届け合えない苦い思い出のままだ。そんな自分は探すために自由に泳ぎ回ることすらできないという想いと事実がしこりのように残る。だから今日も記憶の海に潜り続ける。



エピローグ


 自分の心のどこかに眠っているかもしれない"あの日の記憶・思い出"。それを探し当てることができたなら。それを大海原に存在するであろう未だ見ぬ鯨の姿を追っている様子に見立て、発信源側として声を誰かに届けたいけど届かない、探索者側は痕跡を見つけられても核心にまでは至らない。いつまで経っても巡り会えない。歯がゆくて寂しく、どこか切ないのに、それでいて爽やかな一曲。まさに隣町本舗さんの世界観らしい楽曲でした。


 ――― みなさんは「52Hzの鯨」は本当にこの世界に存在すると思いますか?存在すると断言したワトキンス氏に賛同しますか?それとも否定しますか?あるいはその他の可能性?
 未だに科学の力でも解明不能な「未知で不確実なもの」はまだ多く世界に存在しますよね。例えば宇宙人や幽霊・UMAやUFOなど…多種多様なものが取り沙汰されます。存在を信じひたすら探す人、存在すら知らない人、存在を否定する人。いずれにせよいろんな立場からの意見があるとは思います。つまり、個々人がいろんな周波数で交信しあっているとも言えます。
 ラジオやテレビも周波数やチャンネルを合わせることで共有する媒体のひとつですが、実際に電波や赤外線の類を肉眼で見たことがある人がいるかというと必ずしもそうではないでしょう。しかしながら今では当たり前に存在する物として認識されています。
 理解しがたい現象や存在、果ては人間の心や思想に至る全ては周波数や想いが通じ合えばいつかは結び合うこともあるかもしれない。いつか出会うその時に、掴んだその手をしっかり離さないように。
 もしかしたら自分の近くに居るかもしれないし、お互いに探し合ってしまってたまたまめぐり逢わないだけかもしれない。ひょっとしたら唯一無二を探す自分自身が「鯨」ということも…!?なにかを掴もうとして試行錯誤しもがく様はまさに人生のよう。
 「52Hzの鯨」は人知れず大海原を漂いながら我々にある意味で何かを発して教えてくれているような気がします。

ともすればあと数センチの紙一重 ―――



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それではまた次回の「行間をむ」でお会い致しましょう!
それではッ!!👋
2023.09.04. つなな


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